こんあいば(‘◇‘)

けいです











心が痛いので

ニュースも全くシャットアウトして

見ないようにしています。

でないと心が痛いんです。









大地震

大津波

神はお怒りです。

きっとジャニーズ潰しの祟りですよ。









そんなことを

思ったり思わなかったり。








少しずつですが

被害状況が明らかになって

死者の数怪我人の数が増えてきているのが辛いです。

この寒い時期なので

避難生活で体調を崩す高齢者の方も数多くいらっしゃるでしょうし

高齢でなくても避難生活っていうのは本当に心身ともに疲弊するので

温かい食事と温かくて安全な居室を提供して差し上げて欲しいと願います。





こんな時、

ジャニーズなら

いち早く被災地へ支援の手を差し伸べたであろう。

タレントによる炊き出し

事務所からの義援金

支援物資の提供が

いち早くあったことでしょう。

本当に残念です。

きっとジャニーズイズムを受け継ぐ人達は

何か出来ることをと考えていると思います。












被災者

支援部隊

両方を体験した身としておもうことは

被災した時って

本当に今のこと明日のことが不安過ぎて

絶望しているので

誰の言葉も受け入れられなくなってた。

励ましの言葉が偽善に聞こえ、

どれだけ助けの手を差し伸べられても

もうほっといてくれ

どうせ私なんか

上から目線で安全な場所から降り注ぐ言葉なんてありがたくもない

同情するなら金をくれ

そんな気持ちでした。

でも見捨てられたくない

忘れて欲しくない

こっちを見てて欲しい

そんな矛盾でいっぱいで

そんな自分にもさらに嫌悪感と罪悪感で

若者なら立ち上がれるだろ?

若者なら自分たちで未来が作れるだろ?みたいな感じで

自立自立!はい立って!前向いて!さあ!いつまで下向いてるの?あなた達は若いんだから動けるでしょ?働けばいいでしょ?みたいな感じで周りから責め立てられるのが本当に辛かった。

明日になったら夢であるかもしれないと思って目が覚めてもいつまでも絶望のまま、

醒めない夢がいつまで続くんだろう、みたいな

暗闇のトンネルをどうやって抜け出したのか

今となってはなんかあやふやで記憶にない

考えたくもない

思い出したくもない記憶です。



だから

簡単に頑張ってなんて言えないし

何も無かった地域に住む私が

簡単にお見舞いとか大丈夫?とか

気つけてねとか

そんな軽々しくも発言したくない

そんな重苦しい気持ちでした。






そして

東日本大震災の時には

DMAT部隊の後発隊後方支援隊として

災害拠点病院での活動を経て

地域を超えて同じ気持ちで被災した人を助ける、助けなければ助からないという事実を目の当たりにし、

他者が入らなければ支援しきれない部分だったり

いっときの支援だけでは助けきれない部分だったり

そりゃ

食料とか水とか

毎日毎日いるものだから

毎日毎日提供しないといけない

そして

避難生活を送られる方は

食料と水の提供冴えしていればいい訳ではなく


やはり日常生活というものがあって

学校があって仕事があって

避難所から出勤する人

避難所から通学する人もいらっしゃって

疲労がどんどん溜まって

睡眠を取ったり疲れを癒す

寝る場所や家族がプライベートを守って過ごせる場所が大事だったりするんだけども

避難生活の時って


そういうのを望むのが

贅沢だ生意気だ避難生活のくせに

ボロを着て震えてろみたいな

心無い声もあったりするんです。

避難ししても、非日常の中に日常があるのだから

睡眠休息とプライバシーは大事なのに

そういう所はまだまだ行き届かず

体育館とか公民館は

大きな部屋に家族が沢山詰め込まれて

膝や腰が痛いのに

固くて冷たい床で過ごさねばならなかったり

布団がなくて毛布だけで寒くて凍えなければならなかったり

避難生活なのにホテルみたいな環境まではいかなくても

やはり

椅子が欲しいベッドが欲しいトイレは個室で

せめて家族ごとに個室で

鍵がかかる個室とか

そういう場所は必要だと思います。

体育館の中でも家族単位でテントが建てられたらプライバシーの確保になるし

体育館が嫌だから車中泊したり

グラウンドにテント張ったりとか

そういうのも提供出来たらもっと避難生活が過ごしやすくなるのにって思ったり



そして

初対面の人の集まりだけど

同じ意志を持って志高く持って活動する

人達って本当に尊いと思うし

そういう活動をする人たちって

やはり

やらされてるんじゃなくて、行きたいから行く助けたいから行く少しでも役に立てたらと思って行くものなので

遠慮なく差し伸べた手を握って欲しいとも思いました。





だから

偽善だろうがなんだろうが

いち早くお見舞いの声を上げるって

大事なことだし

誰かの励みになってると思う。

その時は受け入れられなくても

あとから振り返るとあの時励ましてもらって良かったと思えたらそれでいいと思うし

何もしないよりは

何が出来たらと思えたら

素敵だなと思う。

助けを欲しい人が助けてと言える

助けたい人が助けてあげたい、助けてあげるよと言える

そんな優しい世の中であって欲しいと思うし








こんな自然災害の脅威の前に

紅白の視聴率とかなんだとか

めっちゃどうでもいい













夏にRita金沢旅行で行った

輪島の朝市が火事で焼損していて

悲しくなりました。

そんな些細なことでも

他人事では無いって思ってしまいます。

なにか力になれたらって思う。

輪島塗を買うことが復興になるって言うのなら

ひとつでも購入出来たらって思うし

泊まらせて頂いたホテルは

無事みたいだけれども

お見舞いのメールを書くことも

励ましになるんじゃないかと思ったり











人と人との思いやりを

試されている気がします。






まずは

避難リュックの確認をもう一度。

寒い時期、体を温める為のグッズを

もう一度揃えたり

電池の追加、バッテリーの充電などや

水の買い足しも必要。

まずはできることから。

人のこともだけれども

まずは自分のことから。





ペンライトの灯りも

光量が足りないんだよと思っていたけど

こういう心が荒む時に

ペンライトを着けていると

推しが応援してくれている気持ちになるんだなと思って

だったらペンライトも無駄じゃないな

光量とかじゃないかって

思いました。

スタンド型を立てておき、首からぶら下げておき

電池入れ替えたばかりだからまだ3時間はいけるはずとか







心の余裕にはならないかもだけど

無いよりある方がいい

そんな気持ちでペンライトをお守り代わりに使う人もいるんだろうなって








色々考えます。

温かい部屋と温かい食事と

健康な家族に感謝。

些細な日常にも感謝がたくさんあると

思って過ごさねばと改めて思いました。



やっぱり

ニュースは辛いから

見ないようにするけど







普通に日常を送ることが出来る

今の今の今に感謝を。

そして

被災された方、現地入りされている支援部隊の方への労いの気持ち、

どうぞご安全にという願い。

少しでも

1歩ずつでも

ゆっくりでも

遠回りでも

止まらずに進めたら良いかなと思います。











2024年1月2日

けい拝