「どうする家康」
29日の総集編は録画してますが、ゆっくり観れるのは来週に為りそうです。
30日以降年内は一秒もNHKは点けてません。

紅白等に、下手に松潤やどうするのキャストが出され無くて私としては良かったです。
年越しは、
「ご本人が歌う」昭和の曲の歌番組と、数正、いえ松重さんのドラマをずっと観てました。
松潤がチラッとゲストで出てくれ無いかなあと、妄想しながら。

しかし他の局の歌番組?は、
何故ご本人がまだ存命なのに、「別の人(芸人や外国人)」に歌わせるのが多いのか?
昔はたまにはいいかと思ってましたが、今はそう云うのが乱立して、「日本の歌をアチラの人に歌わせてパクらせる」為なのか?!
と疑います。
B◯Sも何年も前に「無許可」で、「アンパンマン」を歌ってyoutubeにあげてて不愉快でした。
だって「与える」アンパンマンとは真逆の人達だと思ってますから。


さて「どうする家康」最終回。
年が明けても呟きたいなあと。

脚本家の方は、沢山の伏線をちりばめる事を得意とする方みたいで、他の作品は勿論、「どうする」でもその、ちょっと鬼滅の刃の登場人物みたいに、人には色んな事情、顔が有ると云う事を、まんべん無く書かれる優しさと才能を発揮されてたように感じました。
それは、1年と云う長い時間を表現に掛けられると云う事も有ったと思います。
だから私は、1シーズン20回以上有り、長いシリーズの米ドラが好きです。
キャラの過去や心理状態等が詳細に画かれ、どのキャラにも愛着が湧くから。

前に、脚本家の方は私みたいに「(良質な)漫画世代」じゃ無いかなあと呟いてたけど、松潤のインタビューで脚本家の古沢さんは、正に漫画家志望だったとの事なので、「私好み」な作品に納得しました。


写真は最終回で、老齢の家康の最期の思い出の夢?の場面で、
若き家康が彦と七に起こされて、三人でワチャワチャやってる部屋の床です。
右奥には、作品の重要アイテムだった若き家康が彫った「兎」。
手前のピントがボケてる物は、「ドラマ内」で老齢の家康が最期に彫って居た漠だろうと思ってます。

ドラマ最終回の後、主演の松潤が現代の縁の地で、「戦に必要な鉄を食べる漠」を家康が彫らせた説明を聞いてますが、それを観たら又ドラマを観る気持ちが違いますね。
それは他のblogの方も書いてました。
漠は「悪夢を食べてくれるから」と云うのも見ました。
ドラマでは直接、晩年の家康が信長のように、悪夢を観て苦しむと云う場面は無かったと思うので、
とにかく「どうする」の家康は、
晩年は「戦巧者」と言われるくらいだったけどその根底には、
「戦何て大嫌いじゃ!」
と云う気持ちがずっと有った、「弱虫泣き虫」な優しい人何だろうと思います。

前回の感想と少し違うけど、
大坂の陣の後、寝たきりに為った家康を正信が見舞って、その後阿茶様と廊下で、
「お幸せだったのでしょうか」、
「本当に欲しい物は」、
と手を合わせ、そこで鐘が為り、次の場面で、史実の家康の亡く為った日付が出るけど、
この日付は、次のシーンでは無く、前のシーンに掛かってるのかなあと。
つまり、正信に感謝の言葉と手の温もりを貰い、家康は微笑んで(るように見えました)亡く為ったと。

後は前回書いたblogのように、正信から感謝を伝えられ、自分のやった事は、
「ただの人◯しでは無く」、
誰かから感謝されてもいい事だったと、
自分を許せてから逝ったから、
幸せな思い出を走馬灯で観れたのかなあと。

床に伏してたのに、急に座って彫り物をしてたから、
「あれ?元気に為ったの?」
とちょっと違和感が有りましたが、
上記のように観ると、
あの漠を彫ってた家康自体が、家康の夢(最期の思考)の中の自分だったら、その後の不思議な展開も分かるかなあと思いました。

まあつまり、家康には最期に、一人でも昔からの家臣が居て良かったなあと。
ドラマの正信は、他の昔からの家臣よりはドライな感じもするけど、
「民の為の領主」じゃまだ無かった家康を◯そうとしたくらい厳しい人だから仕方無いと思ってました。

でも正信の言葉や、その以前には、
「岡崎の為」に、妻子を捨てるように親代わりみたいな左衛門尉と数正に言われてるし、
万千代(直政)からも「民を笑顔にする領主」がいいと言われ、更にドラマ初回には平八郎に、「家臣が命を賭けるに値する領主」で在れ!
と、
言葉は違えど、元来は彫り物や物語を作る事が好きな家康に、皆が物凄いプレッシャーを掛けてますよね?
(そう云えば、中の人(松潤)もゆるキャラとか好きだし、演出ってつまりストーリーを作る事ですよね。本当に「どうする」の家康その者ですね。)

改めて観ると。
そして更に、最愛の妻子から正に命懸けの、
「戦の無い安寧の世」と云う、
現状弱小国の領主にとっては途方も無い「重い物」を背負わされてるなあと。

正信だって自分ではやら無かったでしょう?
まあだから、有る意味秀吉はやっぱり凄いんだなあと思います。
勿論、皆命を家康に預ける程に協力的何だけど、それが又、家康には逃げ場を無くしてるなあと思ったりして。

家臣や母親から「妻子を捨てろ」と言われ、国や家臣、領民の為にそうしたのに、
その「共犯者」の家臣や身内は家康より先に亡く為って、
大変な時代を知ら無い身内や周り、庶民等からは鬼だ狸だ卑怯者だと言われ、いや本当に可哀想だなあと。

あ、
別の方のblogで拝見しましたが、
家康の狡猾で怖い狸というイメージが作られたのは
江戸時代が終わってから
これは新政府の薩長史観で
薩長が 江戸幕府は悪かった それを作った家康は悪い人としたかった。

だそうで、まあつまり「今も」昔も、
自分の都合の悪い事は、自分が敵わ無かった人が「死んでから」、好きなように言える(貶められる)と考え、後から「証言を作る」輩が居るんだなあと思ったりしました。

ドラマに戻って、
秀吉の妹の旭姫の事でも、昔は「妻子を捨てなされ!」と言った母親が、
「そなたは優しい所が良かった」とか、
自分が死ぬ前には、
「もう何も捨てるで無いぞ。一人ぼっちに為るな。」と言う所は、
いや本当にどの口が言うのかと、珍しくちょっと怒りが湧きました。
(あ、勿論中の女優さんは好きです。)
だってもう家康には、とっくに大切な人は殆んど残って居無いのに、と。

「捨てさせられ無い」力(権力、武力、地位)を手に入れる為に、
「そうするしか無い」状況だったのは、
「知ってますよね?!」
って、私なら言いたいわと思いましたが、家康は言わ無いで、全て自分のせいにして、自分の事を「ただの人◯しじゃ」と言う。

いやいや「戦争」は相手が有る事何だから、
相手から自分の国や人を守る為でも有った訳で、家康が戦う事で、相手に◯される人達の命を守ったと云う事も有るのです。
本当の人◯しは、無抵抗の人々を◯す事で、世の中の犯罪者は勿論、アメリカやオーストラリア、チベット、ウイグルの先住民族を絶滅させて来た者達の事ですよと、未来の私は言いたいのですが。
因みに日本が朝鮮を併合したら、朝鮮人の寿命も人口も倍くらい伸びました。衛生、食事、医療等、トータル的に生活環境が良く為ったので。学校も病院も庶民が行けるように為り、両方使用(勉強)してたので日本語とハングルの識字率が上がりました。


今や日本人が「日本なのに」、チベット、ウイグル民族のように迫害されそうです。
もう昔みたいに、自分の国の人(日本人)の為に、命を懸けて「戦ってくれる」人がどれだけ居るでしょうか?
いや私は戦いますが、まあ現状の戦いは、
「日本(人)」に仇為す組織(企業、団体)や人には、力(金)を持たせ無いようにし無ければ為りません。
庶民の私のお金等は微々たる物ですが、子や孫の世代にも、細やかだからこそ、その抵抗は継続し無ければと思ってます。
だってそれは自分と家族(子や孫)、友人や罪の無い日本人を守る為だからです。

先日出掛けた先の神社で初詣させて頂き、素敵な切り絵の御朱印を頂いて来ました。

先人の方々が戦わ無ければ、
「(暫しの)安寧の世」も無かっただろうと思います。