目玉焼きは母の味だった。卵をフライパンに落とすだけだけど、焼き方、焼き加減、味付け、家それぞれだよね。
うちはまず、卵は一人一個。小さい頃、卵アレルギーがあって1日に2個までしか食べられなかったから、朝は目玉焼きで一個、そう決まってた。体の大きな友達が卵二個の目玉焼きを作ってるのを見た時は、そんなに食べていいの?って思ったけど、その友達は、だって目玉は二個だろ。って笑って平らげてた。
で、うちは一個なんだけれども、それを熱して油を引いたフライパンに割り入れて、少し焼いたら少量の水を入れて蓋をして蒸し焼きにする。黄身は半分、下の方は火が通って固まっていて、上の方は固まってないのがベスト。それを醤油をかけ、黄身を割り、白身と黄身を混ぜて食べてた。
小さい頃はお母さんが作っていたし、それを見て育ったから、自分で作る時もその通りに作ったし、別な作り方があるだなんて考えもしなかった。でも、大人になってコックになって、いろんな事を知ってくうちに自分のうちの目玉焼き以外の作り方も知った。
卵は事前に別の器に割っておいてもいいし、焼く時に水を差さなくてもいいし、蓋をしなくても、いい。焼く時に卵をひっくり返す人だっている。味付けだって、醤油だけじゃない。薬味をつける人もいる。もう、世界中の調理の形がある。
そんな色んな調理の方法を知っていく中から自分の好みのものを見つけ出していって、だんだんと自分なりの目玉焼きの形が出来てきた。
それはもう、お母さんが作っていた目玉焼きとは全然違うものだけれど、自分で見つけた、自分なりの目玉焼きだと思うとなんだか、冒険の末に見つけた宝物みたいに思える。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、世界で高名なシェフだって目玉焼きの黄身ほど最高のソースはないって言ってるんだから、大袈裟でもないと思うよ。
母の味だった目玉焼きはそうやって成長してきた。今でもよく作るし、作るたびにお母さんの作った目玉焼きも思い出す。
卵一個とフライパン。君ならどんな宝物を作るんだい?
この前、どっかの首相が「新しい日常を取り戻すことを始めなければならない」って会見で言ってたけど、そういう言葉の使い方、嫌だなって思った。
