3月11日 金曜日 14:46
主人は会社。
ゆきねーは、学校(卒業式の練習で体育館にいた)
あやのんは、幼稚園でバスに乗る直前。
ひさのんは、車で爆睡。
私はというと、その時、友だちのお子さんを預かってて、一緒に家の中にいた。
車の中の物を家の中にいれ、友だちの子ともうすぐであやのんが帰って来るから歩いてバス停に行こうね、なんて話していた矢先の出来事。
小さい揺れの方が携帯の緊急地震速報より早かった。
ブーブー鳴り始めたら、揺れがどんどんどんどん大きくなった。
最初の大きな揺れで、50kgあるテレビ(韓国製)が棚から落ちて、台所の食洗機が床にたたき付けられ、その音で振り返ったら冷蔵庫の中の物が雪崩のように落ちてきた。
私の耳に入ってきた音は、半端ないもの。
ドーンドーンって地響きのような音。
ガシャーンガシャーンと食器棚から聞こえてくる音。
ガシャンガシャンと床に食器がたたき付けられる音。
そして、自分が待機している真横にあったピアノが倒れ掛かった。あまりの勢いで倒れきらずいったりきたりしていた。元に戻った瞬間に押さえつけた。
片手でピアノ。片手で友だちの子の手を握り、揺れるのを必死に我慢した。
もう少しで終わりそう・・・と思ったら、また強い地震。それはそれは長い時間だった。
ピアノが倒れないことを確認したら、とにかく友だちの子を抱きしめて
「絶対大丈夫だからね。おばちゃんが絶対守ってあげるから。大丈夫だから。」
そういう事しか出来なかった。今思えば無力だよな・・・。
でも、友だちの子はとても冷静で。
私が若干取り乱していることを察していて、
「しのせんせー。外に出たほうがいいんじゃない?ひさちゃん、車で大丈夫かな?」
車にいた我が子も心配は心配だったけど、ひさのんに関しては、家が崩れなかったら絶対大丈夫だと変な自信があった。案の定、揺れが収まってから車を見たら、爆睡していた。大物になるな、こいつ。
外に出ることを考えたけど、立ち上がることも出来ない程の揺れ、これで柱が倒れて家がつぶれたりしたらとんでもないことになる。
窓を開けたりする余裕なんてなかったし、とにかく、この子を私が覆ってあげればこの子だけは助かるって思った。揺れる中、天井を見た。間違いなく回っていた。揺れているのはもちろん、回っていた。天井が外れるんじゃないかと思った。
「こうやって人って死ぬのかも。」
大袈裟なようだけど、亡くなる時ってこうやってなんだろうな・・・って本気で思った。子供達は怖い思いをしているんだろうな・・・もう三人と会えなくなるかも・・・子供達は無事だろうか・・・旦那さんの会社は火災とか大丈夫だろうか・・・もういろんなことを考えた。
そう思っているうち大きな揺れはおさまり、急いで友達の子と外に逃げた。大きな揺れで風除室の扉が開いたらしく、アンディはすでに避難していた。
それから、団地の人たちも外に出てきたので、みんなで集まり情報を交換し合いながら一緒にいた。子供達を車に乗せていたけど、余震が大きすぎて車に乗ってるのが怖いくらい。近所の人たちが、子供達をずっと離さずにいてくれて感謝。みんなで子供達を抱きしめるしかなかったんだけど・・・。
こんなときなのに、幼稚園はバスで送ってくれ、あやのんと無事再会。私のほうが泣きそうだったけど、あやのんは笑顔で
「ただいまー」
とバスから降りてきた。大丈夫だったか聞くと、思い出したのがシクシク泣いてしまったけど、あやのんなりにがんばってきたんだね。偉かった偉かった。
そして、小学校にもお迎え。
子供達は、学校の玄関先で集まって迎えを待っていた。
先生にゆきねーをお願いすると、ゆきねーは私の顔をみるなり号泣。二人で抱き合って泣いてしまった。万が一ってことも考えていたからな・・・。ゆきねーと一緒に近所のお友だち二人(家に帰っても一人の子)も預かって帰宅。
すぐにどっちもお家に帰ったけど、帰宅したら旦那さんがもう帰ってきて家の中の片付けを始めていた。旦那さんの顔見たら安心して泣いてしまった意外と涙もろい私。年かな。
子供達に、この悲惨な家の中の状態を見せたくないねと話し合い、三人に毛布やらおやつを渡して車で待機させ、二人でチャッチャと片付け。
電気がないから、日が上がっているうちにご飯の準備だけしちゃおう、ということになって、冷蔵庫のあるものをかき集めて晩御飯作り。
家の場合、その日はガスと水があったからご飯の準備が出来た。
片付けをした私達は空腹だったが、子供達は地震のショックからか、その日の夜はおやつもご飯も食べれず。ゆきねーは水も喉を通らず顔色も悪かった。それでも、夜はグッスリ眠っていたので良かったけど。
その日の夜、つながらないはずの携帯がつながり、義兄から連絡が。義兄は仙台に住んでいるが、八戸で作業をしてたとのこと。しかし、地震発生で作業撤収となり仙台に戻ろうかと思ったが、ガソリンもなく、仙台には戻れそうもないということで、江刺に来た。
でも、こういう時、大人の男性は多い方がいい。強い余震は続いたけど、お兄さんがいてくれて安心して休めた。感謝。
今日で震災から9日。
私の友人は依然見つかっていない。
沿岸の津波の被害・・・見る度に心苦しくなる。
私が住んでいる内陸部(江刺区)から、車で2時間もかからない所。そんなに遠くない。去年も家族で海水浴に行った。
今は、亡くなった方達にご冥福をお祈りすると同時に、避難生活を送られているみなさんが一日でも早く前を向いて歩いていけるように祈るばかり。
テレビでは放映されていない内陸部の災害後の生活を(翌日からの状況)また改めてアップします。