20.悪魔の猟奇的惨殺事件:通州事件 | 和敬清寂 ~書かぬが仏~

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通州事件をご存じですか?

中国が清国だった頃、中国人がたくさんの日本人に働いた猟奇的で悪逆非道な虐殺事件の事です。

この一部始終を見た日本人の証言を読んだときには、恐怖とおぞましさと気味悪さで頭の中が半ばパニックになりました。

悪魔の血がなせる業で、とても普通の日本人には想像する事も出来ません。

しかも、中国人達は、殺戮が終わった後に、殺された人たちの金品の一番良いものを略奪したいがために、残虐な殺戮の一部始終をじっと見ながら、終わるのを今か今かと待ち続けていました。

まともな日本人は目を背け、普通の中国人は平気で見続ける。人間自体が違う。

しかも、その時の写真を使って、「日本人が南京大虐殺をやった」と言って、日本人を貶め、自分達の悪行を隠しています。

これは、韓国がやっている強制連行や慰安婦問題も同じ手法です。

中国人のこの血が今の韓国人の多くにも流れている事をよくよく理解するべきです。


中国人の残虐性は、いまだに続き、チベットやウイグルでは同じような事が行われ、法輪行に対する弾圧も人間のする事とはとても思えない行為を続けています。

文先生はとにかく血統が大事だとおっしゃられました。
悪魔の血統が存在する・・・恐ろしい事です。



「徳島の保守 通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)-日本人皆殺しの地獄絵-
に、「天皇さまが泣いてござった」(
しらべ かんが著)からの抜粋記事が出ていますが、心臓の悪い方や妊婦の方は読まない事をおすすめします。

一応、URLは書いておきます。

其の一 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100730/p1

其の二 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100816/p1

其の三 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1

其の四 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1

其の五 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1



全部読むと、かなり長いので、下に他のブログの記事を貼り付けておきます。

通州事件を忘れるな! 風林火山/ウェブリブログ
http://ochimusya.at.webry.info/201109/article_21.html



日本人が絶対に忘れてはならない事件がある。

 それは昭和12年に起きた、通州事件だ。

 通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関に対する襲撃と、それに続いて起こった日本人居留民(朝鮮系日本人を含む)に対する虐殺事件である。

 当時の日本が支那に和平を訴えても、このような支那人による恐ろしい極悪非道のホロコースト(大量殺戮)が日本人に対して行われていたということだ。

 しかしながら、日本の敗戦後、戦勝国に都合のよい歴史を押しつけられ、鬼畜・支那人によって何度となく行われた日本人市民に対する極悪非道の残虐な事件は、東京裁判でも却下され、忘れさせられてしまった。

 戦勝国は日本を侵略国と定義する為、日本の被害はすべて闇に葬られた。

 さらに断じて許せない事は、支那人が日本人市民に対して行ったおぞましい殺戮の証拠写真を、日本人が支那人に対して行った証拠写真として捏造し、日本政府を糾弾する外交カード、そして現在の中国人の反日教育に利用されている。

 加えて、この悪夢のような事件から既に70年以上経過しているが、根本的な支那人(漢民族)の気質は全く変わっていない。

 2年前のウィグル暴動に関して、当ブログ記事「ウイグル暴動の真相」でも伝えたのだが、「逃げ回るねずみを追いかけて、ぶっころすような感じで、(漢民族に)ウイグル人が一人一人殴られて、死ぬまで殴られていく・・・」、「ウイグル人の女性が中国人(漢民族)に集団レイプされ、そのうち二人が、首を切り取られ木にぶらさげられ・・・」という事件だ。 

 ちなみに日本のマスコミは、これらの事実(ウィグル暴動の真相)を一切報道していない。

 NHKを筆頭に、反日マスコミは、日本の自虐史観は繰り返し報道するものの、日本こそが、酷い被害者であった事、そして特亜の闇の部分は一切報道しない。

 話を通州事件に戻そう。下方に、通州事件に関する資料(動画やテキスト、参考URL)などを張り付けておく。


通州事件(Wikipedia):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

済南事件(Wikipedia):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6


通州事件




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悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇

中国保安隊は我が守備隊や特務機関を攻撃したのみならず、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、無辜(むこ)の居留民(多数の老幼婦女子を含む)に対して略奪、暴行、凌辱(りょうじょく)、殺戮(さつりく)などおよそ残虐の限りを尽くした。

中国兵特有の猟奇的な殺害、処刑の場面が白昼堂々、各所で展開された。

その凄惨(せいさん)なること、かつての南京・済南両事件を上回り、我が軍の危惧(きぐ)した通り、尼港事件の再現となったのである。

東京裁判で弁護側は、同事件に関する外務省の公式声明を証拠として提出したが、ウエッブ裁判長はこれを却下した。

所謂(いわゆる)"南京事件"で裁判長が中国側の公式資料を証拠として採用した事を考えると、公平を欠いた裁判指揮であった。

しかし虐殺現場を目撃した証人の宣誓口供書は受理されたので、そこから惨劇の一端を拾い出してみよう。

当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。

「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

まさになぶり殺しではないか。

中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。

「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。

陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。

折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。

女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。

その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

(注)近水楼を襲撃したのは武装した黒服の学生団と保安隊であった。彼らは女中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して金品を強奪した後、全員を麻縄で数珠つなぎにして銃殺場に引き出し、処刑したのであった。

その凄惨極まる処刑場の情況については、当時だれ1人これを知るものもなかったが、当日近水楼に泊まり合わせた同盟通信特派員・安藤利男氏が命がけで銃殺場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を知ったのであった。

安藤氏の手記は「続対支回顧録」に、体験談は寺平前掲書に収録されている。

安藤氏の体験記は「通州の日本人大虐殺」として「文藝春秋」昭和30年8月号に掲載され、その後「文藝春秋にみる昭和史」第1巻(昭和63(1988)年1月)にも転載されたが、それには、いかにも戦後のものらしい解釈がつけ加えられている。

支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴(おもむ)いた桜井文雄証人によれば、「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極みに達した。

「日本人はいないか?」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体がそこここの埃箱(ゴミばこ)の中や壕(ごう)の中から続々出てきた。

ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上はことごとく強姦されており、全く見るに忍びなかった。

旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。

東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」

実に悪鬼も目をそむける酷(むご)たらしい淫虐(いんぎゃく)の情景が次々と証言されて行った。それは正しく悪獣も及ばぬ極悪無道の所業であった。

(注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、通州事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓引き出し、陰部突刺など支那軍特有の猟奇的虐殺が日本人に対して行われている。日清戦争以来、お決まりの惨殺パターンと言ってよい。


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