「おぬし、人間とおうたのか。」
ババさまが住む屋敷はあまり好きじゃない。
変なものばかりあるし、わけわかんない変な臭いが漂い、いつも何か変なものを作っている。
「偶然、見かけたんだ。全然人魚と変わんなかった。ただ、足?がついてただけで。」
アンコウの顔の椅子に座り込んで、俺が話すと、ババさまは、じゃろうのう、と、ふぉっふぉっふぉっ、と愉しそうに笑った。
「だがまさかおぬし、その人間、助けてはおらぬな?」

鉄の掟らしい、

人間を助けてはいけない。

を、ババさまはすかさず突っ込んできた。
「いや、別に。」
「別にとな?おぬしまさか。」
「助けてねえわ!」
俺はなんでこの時、あの人間のために嘘をついたのだろう。
そのせいで、俺はある、『大事なもの』を失ってしまうことになるのに。

「俺、海の上で暮してみたい。できるか?」
それを聞くのが、今日の一番の目的で。
ババさまは、ふうん?と、俺の顔をまじまじと覗き込んだ。
「できなくはない。過去に1人、そう言って人間になった者が地上で暮らしておる。」
「本当か!?」
「連絡を取れなくはないが…。おぬし、本当に罪を犯してはおらぬな?」
「だから、大丈夫だって。」
俺の茶色い瞳を、じっと覗き込むババさまが、険しい顔になった。

「薬を作ってやろう。それを、地上に上がってからお飲み。先に人間になったその人魚に迎えを頼もう。」
「へ?薬?なんで?」
「おぬし、その足で人間と会えるのか?」
「……ああ、そうか!」
大きな釜で、何かおどろおどろしいものを煮込んでいるババさまは、再び大きなヘラでその釜の中身をかき混ぜた。
「え?まさか…これ、飲むの?」
「そうじゃ。そしてこれと同じ薬をもう一つ持たせよう。」
「どうして?」
「それは…もし、いつか、おぬしが使うことになったとき、おぬしを預ける者が説明しよう。」
「……ふうん?」

いつの間にか、足元にこれまた長寿の大きな海ガメのじいさんが来ていた。
「ふぉふぉ、人間になりたいという者が現れるのは30年ぶりくらいじゃの。人魚が減ると、淋しくなるの。」
「鯛やヒラメのほうが好きなくせに。」
俺がじいさんに言うと、
「人魚の男は貴重な存在じゃ。跡が産めなくなるじゃろうが。」
「俺1人いなくなっても、まだまだ男はいるだろ?それで何とかしてよ。」
「ほれ、できたぞい。持っていけ。外はちょうど深夜じゃ。迎えも呼ぶからの。」
そう言うと、小びんに入った、とてもあの釜から作られたものとは思えない、綺麗な虹色の液体の入った小びんを渡してくれた。

「ババさま、お城の父上や母上、姉上によろしく伝えてくれる?なんか、さよならすんの、あんま好きじゃない。」
「おぬしが掟を破らねば、その心配はなかろうて。」
「……えっ?」
俺は慌てて振り返ったけど、その先は聞けなかった。

─海で人間を助けてはいけない。

それを破ると、何が起こるのか、なんて。
「気をつけるんじゃよ。おうた者に、会えるとよいの。」
「…ああ、わかった。ありがとな、ババさま。行ってくる。」
変な魚達が、おババの周りを泳いでさよならを言っていた。
海ガメのじいさんが道案内に、とついてこようとしたのを、丁重にお断りして。

二つの手に一つずつ、ババさまがくれた小びんを握って、俺は上へ上へと泳いでいく。
ザバンと海面に顔を出したら、また、たくさんの光が見えた。
この前と違う形の、まんまるで大きい黄色い光が、海面をキラキラと照らしていた。
泳いで岸にたどり着いたけど、迎えはまだ来ていなかった。
別の人間に会ったらいけないと思って、俺は急いで薬を一気に飲んだ。

ドロリとしたものが喉を通った瞬間、身体中に痺れが走った。
「いて、いっつ…!!」
あまりの激痛に、俺は砂の上に転がった。
それからのことは、覚えていない───。