↑奥にチラッと見えるのが茶室「如庵」
先日、長崎周辺の潜伏キリシタンに詳しい大学の先生のオンラインセミナーに参加しました。
そこで、初めて知ったことがいくつかあり、それが自分の中の既存の知識とカチッとつながって腑に落ちて納得できたことを、忘れないうちに書き留めます。
九州の平戸・生月の潜伏キリシタンは、聖水を大事にしていました。
その聖水を「サンジョワン(聖ヨハネ)」と呼んでいたそうです。
また、お掛け絵という一見それと分からない聖人画を描いた掛軸も大事にしていたそうです。
お掛け絵のモチーフは、武士と椿(つばき)が一緒に描かれていたら、それは「聖ヨハネ」を表しているそうです。
なぜ、椿が聖ヨハネのモチーフなのか?
それは、聖ヨハネの殉教は斬首刑だったからだそうです。
え?聖ヨハネってイエスに最も愛されたという、唯一殉教しないで穏やかな死を迎えたあの12弟子のヨハネではなく?
ヘロデ王の妻(ヘロデ王の弟の妻でもあった)ヘロディア(サロメの実母)のさしがねで首をはねられた、バプテスマのヨハネの方だったの?
椿(つばき)は、枯れて花が落ちる時、花の頭の部分全体が丸くなって、ある日突然ゴロンと茎から離れて床に落ちます。
それは1度目にすれば、不気味なほどに突然で、現代に生きる私でも不快感を覚えます。
そんなわけで、江戸時代に生きる武士たちは、椿を床の間に飾るのを嫌ったというのを、茶道教室の先生から聞いたことがありました。
それにもかかわらず、織田有楽斎は椿を好みました。
国宝茶室「如庵」のある「有楽苑」(愛知県犬山市)には、「有楽椿」と呼ばれる、織田有楽斎が好んだと言われている椿が今でも残っています。
なぜ、織田有楽斎は洗礼名や自分の茶室を「ジョアン」にしたのか?
なぜ、織田有楽斎は当時の武士たちが嫌った「椿(つばき)」を特別に愛したのか?
聖水が、潜伏キリシタンに「サンジョワン(聖ヨハネ)」と呼ばれていたのがピンときませんでしたが、イエスの弟子のヨハネではなく、バプテスマのヨハネの方なら分かります。
聖ヨハネは、水のバプテスマ(洗礼)を当時の人々に授けていましたので。
こっちのヨハネの方は「洗礼者ヨハネ」と呼ぶ方が分かりやすいですね。
平戸・生月の潜伏キリシタンは聖水を漁に持って出かけて、腹痛の時には薬がわりに飲んだとか。
ただ、本来は、洗礼式の儀式に使うものだったはずです。
自分の中で長年の謎が解けました。
また、月に一度の如庵内部特別公開の日に、犬山に出かけたいと思います。
"「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」"
マタイの福音書 3章2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
洗礼者ヨハネから世の人々への呼びかけ
