21日の18時より開催しました、毎月恒例の写経講座。

ご参加いただきまして、ありがとうございました。

法然さんのお誕生日が4月7日だったので

 

今回、浄土宗の『一枚起請文』というお経を扱いました。

 

起請(キショウ)とは、何かを宣言するという意味。

 

突然ですが、

 

念仏を唱えてください~というと、

南無阿弥陀仏~!といいますよね。なんとなく。

 

実は念仏には2種類あるんです。

「観想念仏」と

「口唱念仏」です。

 

当時は観想念仏(かんそうねんぶつ)が主流でした。

これは、

瞑想して、

仏様を祈る。

強く思う。

唱えない念仏なんです。

 

強く思う= (自分のすべてを使って)「全部」想うということ。

ですから、料理をしながら~とか、掃除をしながら~では観想念仏はできない!という考え方でした。

 

 

そこで法然が考えたのは

口唱念仏(くしょうねんぶつ)というもの。

これは、南無阿弥陀仏と口に出して唱えること。

 

 

法然は、観想念仏は、時間もかかるし、場所も静かなところを選ばなければなりません。

なおかつ、すぐ心を落ち着かせて、仏様を想い瞑想することは、

修行・経験が必要だと考えました。

 

 

だから、もっと念仏を簡単に、易しくできないかな~と思い、

よし!「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでじゃあOKにしちゃおう!と考えました。

これが口唱念仏。

 

南無阿弥陀仏と唱えるときくらいは、

ちょっと料理をやめて、

唱える間だけでいいから、

強い想いで念仏を唱えれば、阿弥陀様は救ってくれる。と彼は思いついた!

 

法然は、とにかくコレ!南無阿弥陀仏と唱えなさい!

自分が救われるんだという気持ちで唱えることが必要ですよ!と説いた。

 

 

「え?そんなんでいいの?」

 

 

法然は口唱念仏を説いた後、

いろんな仏教徒にたたかれます。

 

じゃあ何!?

人をいっぱい殺した人も、南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽に行けんの?とバッシングされる。

そりゃそうだわ。

 

多くの仏教徒は言います。

やっぱり極楽に行くには、修行は大切でしょ!?

 

おっしゃる通り、

 

では、法然がどうしてこういう考えに至ったのか、

そこが今回の写経講座の伝えたかったところ。

 

 

法然が生まれたのは1200年代13世紀くらい。

国内で戦がバンバン起こってた時期。

法然は比叡山で修行していました。

 

ある日、法然の目の前に

戦による大量の死体や、死ぬ向かう傷ついた人たちがいたわけです。。

救いたい・・・でもどうしよう・・・何もできない・・・。

 

当時は、亡くなった人間の頭に梵字の阿の字を書けば、

阿弥陀如来が極楽に連れて行ってくれるという信仰があった。

 

法然は、その死体11体の頭に、

筆で文字を書いていきました。

 

でも、とにかく量が多い。いっぱい死体があり、絶望の地に立たされます。

 

どうにかしたい!でもなんにもできない!

 

悩む、悩む!悩んで勉強して、

釈尊の教えがすべて書かれたすごーいお経を6回くらい読み返しました。

 

なぜそこまでするのか、

それは、

 

目の前で死にゆく人たちをとにかく救いたいという

強い想いがあったから。

 

 

「あーーーー!わかったぞーーーー!!」

法然はひらめきました。

善導(ぜんどう)と呼ばれる方が書いた「観経疏」(かんぎょうしょ)というお経。

その中には、

 

「阿弥陀如来が自分の名前を唱えるすべての人間は、

どんな人間であっても助けるよ」 と書かれていた。

 

法然は、

これだ!

罪のない人間がいっぱい傷つけられて今にも死にそう。

まだ死にたくなかった。もっと行きたかった。でももうそれはかなわない。

そんな時に、なむあみだぶ・・・つ。ガクッと死ねば、極楽にいけるんだ!!

 

と説いた訳なんです。

 

 

でも、先ほど言ったように、それを批判するものが沢山いました

 

 

確かに、批判する方々が主張するように、

 

修行というものは大切です。

 

じゃあ聞きますが、

修行が大切だといわれる人は、

この死に向かっていく方たちために一体何ができるんですか??何かできますか?

 

 

法然は沢山の人にバッシングをされますが、

やっぱり最後はこの南無阿弥陀仏を大切にしたいというメッセージを残して

死んでいきます。

 

この残した内容が「一枚起請文」というお経なのです。 

 

これは、

 

南無阿弥陀仏を作ったことがすごい!というのではないと思います。

 

法然の、

今、

目の前に死んでいく人達を救わなきゃいけない!!という強い精神はとてつもない!

 

絶望的な状況から前進するためには、

 

強い想いは絶対必要。

 

たとえそれが他人から見れば、


ちょっと間違ってるんじゃない?笑


と想われたとしても、

 

誰かを救いたい!と想い続ける強さって大切だなと感じました。

 

 

今回の例話は、

私の絶望的な話。

 

富士山で目の前で亡くなった大切な人の話をしました。

 

例話中、涙を浮かべてくださった方がいらっしゃいました。

その話で何か、誰かの生きる上でのエッセンスになれたのならば、

 

亡くなった方に対して最高の供養だったかなと思います。

 

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毎月21日は写経講座の日。

毎回違うお経を扱い、

写経の後は今お話したような解説を

30分ほどさせていただいております。

 

単発の参加でもOKです♪

次回は5月21日7:00-9:00

 

仏教という題材を使って、

 

人生のエッセンスを学びに是非いらしてください^^

 

カトリックの伝統を持つ大学を

 

卒業した私が見た仏教の世界を

 

お伝え出来たらいいなと思います。

 

講座で皆様にお会いできることを楽しみにしております。