日本国憲法〜理想(呪文)と現実の巨大な格差
日本国憲法の三原則は、
●国民主権(民主主義)
●平和主義
●基本的人権(国民主権が生む人権)
これらの言葉には違和感はなく、抵抗感もない。
ただ、
多くの大人や日本の憲法学者等が、
現実を無視して、
言説上の理想として、
これらの言葉を単純に解釈して受容しているだけだろう。
民主主義国では、
これらの三原則の前提として、
わざわざ明文化されない国家責務の大原則、
「国民の生命・資産」の保障、防衛
が当然存在しているが…
日本ではこの原始的な理念が今どこに消えているのか?。
偏屈な「平和主義」の妄想が、
国民の生命・資産の防衛を軽視して、
国民主権と人権を危機にさらしているのが現実だから、
まさしく、
反「平和主義」を遂行しているのが日本だ。
キリスト教の聖書、仏教典、イスラム教典など
個々の宗教の言説でも
言葉を単なる呪文にせずに言葉と現実を対面させて、
現実も認識させるが…現憲法の信者は井の中の蛙…。
日本国憲法の言葉上の解釈は、
理想の原則を言葉で並べて、
絵に描いたごちそうなので、
良い夢を見させるだけだ。
(たしかに気持ちのよい呪文、洗脳になる…)
これらの三原則は、
言説(言葉の呪文)上は、
まったく矛盾はないが、
実際、
理想の言葉と現実には、
矛盾、異次元的な格差がある。
●「国民主権」(民主主義)を守れない現実
●「基本的人権」(国民主権が生む人権)を守れない現実
●「平和主義」が守れないことで「国民主権」「人権」を守れない現実
さて、
はて、
日本は、
「国民主権」「人権」をどのように防衛しているのか?
「平和主義」の言葉だけで防衛しているでのはないか?
現憲法の基本理念にそって国務を行うために
「国民主権」上で統制できる普通の「軍」が存在していれば、
国民主権(民主主義)、平和主義、基本的人権(国民主権が生む人権)
を防衛する最低限度の国家体制になるが…
日本では「軍」が存在しない。
(自部隊も「軍」として防衛できない自衛隊=未衛隊は存在しているが…)
普通の国では、
すべての国が「軍」を持ち、
日本以外のすべての民主主義国では、
「国民主権」と「国民主権」をベースにつくる「基本的人権」を
「軍」を持った安全保障体制で防衛して「平和主義」を遂行している。
「国民主権」を基本理念にする国がその防衛のために、
「軍」を持つことは、
世界中の大人だけでなく、
世界中で子供でもわかる平凡な理屈だ。
この平凡な理屈を否定するのは非凡なことで、
世界中の大人にもわかりいくい「第9条」の屁理屈が出てくる。
(日本国憲法第9条は世界で一番、わかりにくい条文…
解釈が複数出てくる文学的条文…)
さて、
はて、
日本は、
この理想と現実の間に
誰でも見える、
巨大な矛盾、世界一の法的格差があるが、
長年、違憲にせずに棚上げできたのか?
そもそも
現実との矛盾、格差が認識できないほど、
普通の視点が崩れ、
日本、日本人のアイデンティティーが喪失して、
「国民主権」の意識が非常に希薄になってきたからだろう。
また、
日本は国家責務として
「国民主権」「基本的人権」の防衛のために、
「平和主義」の遂行のために、
主にアメリカの「軍」、諸外国の「軍」、
国連等の存在に期待して過剰な依存をしているからだろう。
その代償で、
日本、日本人のアイデンティティーを喪失させて、
日本でもっとも大事な「国民主権」の意識を貢ぎ物にしてきたようだ。
その結果、
世界第三位の日本ATMとして
多くの「国民の資産」を国内外に貢ぎ物で流している。
(増税すれば日本ATMもさらに豊かになる…)
【蛇足】
・移民国家アメリカは特殊な「国民主権」を持っている。このアメリカ固有の「国民主権」ではない多極化した「国民主権」意識が自国の「アメリカ」防衛ではない、多くの戦争に参戦してアメリカは諸外国(旧・植民地列強諸国)のための防衛戦争を正当化してきた。
アメリカは、「アメリカ第一主義」にしないで、移民の祖先または親族が多く住む欧州のために、欧州諸国の「国民主権」防衛のために、第一次、第二次世界大戦等に多くの若者を戦場に派兵したのだ。
・今、在住3世以上の「アメリカ人」の人口が臨界点に達して、アメリカ固有の「国民主権」ができつつある。移民の多いアメリカでは、公務員(議員等含む)の資格を「在住3世以上」にしている場合が多く、移民国家アメリカの国籍は容易に取得できても「アメリカ人」としての認識には当然格差をつくっている。
・ここ百年続いたアメリカの覇権拡大政策(自国第二・第三主義的な政策)は縮小しつつある。「国民主権」意識の拡散・拡大ではない=「世界の警官」を正当化できない、普通の自国の国家防衛を行う修正孤立主義にアメリカは転換しつつある。このアメリカの社会的な転換期に生まれたのが米・トランプ政権だ。米・トランプ政権を支えている「アメリカ第一主義」には、アメリカ固有の普通の「国民主権」を認識した新勢力の台頭が背後にある。
外国の「軍」に完全に依存しないで、
それが普通の国になる必須条件だ。
その前に、
毀損した日本の「国民主権」の再生が必須だ。
同時に、
日本、日本人のアイデンティティーの再生が必要だ。
そして、
「国民主権」と
「国民主権」を基礎にしてつくられる「基本的人権」、
それらを守るために、
大原則である「国民の生命・資産」を自国の「軍」で防衛すること、
それが最低限度の国家責務であることを、
日本、日本人は再認識して再生することが必須だ。
【蛇足】
・ここ数百年の日本史、世界史上で、大局的に見れば、ここ約70年間の「戦後日本」は、世界の東西冷戦時代下で準・非武装、準・中立国的な状況、アメリカの準・属国的な国を構築した。東西冷戦終焉後、ここ四半世紀、アメリカの国家政策は転換期に入り、アメリカの日本への圧力にも変化が出ている。国内外の環境変化で、これから普通の国に向けて日本は社会的な転換が行われて行くだろう。今はさながら「江戸時代末期」のような時代転換期の状況だ。
・日本国内での「国民主権」防衛の意識には、地政学上、東西で格差がある(政権・政策、憲法改正等の賛否、アンケートでも違いが出てくるだろうが…)。東日本よりも西日本、西日本よりも九州の方が、「国民主権」の意識、諸権利の防衛意識が強いだろう。
「国民主権」防衛の意識は、日本で九州地方がもっとも強く、また、九州地方には海外との交流を日本でもっとも行ってきた歴史がある。
13世紀に2度、中国軍(モンゴル帝国軍・朝鮮軍)の侵略を受けて対馬、壱岐、九州本土が攻撃された。日米戦争時は、アメリカ軍が沖縄本島を侵略したことで九州本土の多くの若者が特攻隊等で命を失った。
今、中国は、九州・沖縄周辺を日常的に中国軍のルーチン・ワークとして領海・領空侵犯している。尖閣諸島(石垣市)で中国が領海侵犯を行っており、九州周辺での中国軍の領空侵犯も日本でロシア(旧ソ連)を超えて最大件数になっている。中国大陸からの黄砂・有害物質(空気・海洋汚染)による環境被害も九州地方は甚大だ。
・2020年に東京五輪が開催されるのに、アメリカ軍が侵略した硫黄島(東京都)で、いまだに1万柱以上の遺骨が眠っているのは、日本全体、特に首都・東京のある東日本の「国民主権」意識の希薄さの証明なのだろう。
・いまだに遺骨収集されていない、東南アジア等に日米戦争の戦没者の遺骨約百万柱は、日本の「国民主権」の低さ、希薄化の証明でもあり、希薄化させる圧力にもなっている。ただ、戦没者の遺骨が、日本の国家独立のための、また、欧米諸国の植民地として支配されてきた東南アジア諸国の解放、独立、繁栄のための土壌になっていることも明確だ。実際、民主主義が未熟な中国大陸諸国(中国・朝鮮半島諸国)とだけは日本との「国家」対立があるが、一般の国民・人民レベルでは日本と諸外国は友好関係にある。