日本国憲法・前文〜他者依存の「平和神話」の危険性
日本国憲法の存在理由を示す「前文」は、
歴史に残る東西冷戦時代の記憶遺産になるだろう。
日本国憲法の前文には、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」があり、
日本は”平和を愛する諸国民の公正と信義”を過大に信頼してきた。
また、
前文に
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
とあり、
”平和を維持”して”専制と隷従、圧迫と偏狭”の除去に努力する国際社会に期待して、
日本は理想的な国際社会を維持することに”名誉ある地位”を議論することはなく、
”平和を愛する諸国民”に依存して、
特にアメリカに過剰に依存してきた。
【蛇足】
・平和を愛さない外国の諸国民が平和を乱して「公正と信義」の裏切りがあった場合、また、”専制と隷従、圧迫と偏狭”を除去するために積極的に行動した場合、それは戦争になる。憲法上、自国の役割を軽視して、国際紛争やアメリカ等の戦争を正当化してきたのが憲法・前文だろう。
・昔、憲法「前文」を暗記していた中学校の教師がいて、その教師は生徒に「前文」を暗記させようと努力していた。呪文のような憲法・前文を聖書のように記憶しただけで、今よりも平和だった東西冷戦時代は、「名誉ある地位」=日本の役割を受け身の姿勢にしていた。しかし、今、憲法「前文」を学校教育に出したら…中学校・高校レベルでも、中国の軍拡化(尖閣諸島侵攻等)、北朝鮮の核ミサイル開発・実験問題の議論に当然、発展して行き、「名誉ある地位」のための国家政策を考えることになる。
東西冷戦終焉後、
憲法上の平和神話を正当化できた国際社会は急激に崩壊中だ。
この平和神話を現実化するために
日本は主体的に国際社会に関与するか?
(平和神話の現実化は「戦争」も当然、想定することになる)
または、
平和神話は憲法から除去して現実的な言説にするか?
今のまま、
日本は受け身的に世界の流れに巻き込まれて行くだけか?
東西冷戦時代から、
国際社会はアメリカに警官役を与えて、
複数の国を巻き込む大きな戦争を回避できた。
しかし、
ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争等の単独戦争を、
”平和の維持””専制と隷従、圧迫と偏狭の除去”として
正当化することはできないだろう。
東西冷戦時代が終焉して、
ここ四半世紀、
日本周辺では中国の領海(東・南シナ海)拡大、
北朝鮮の核ミサイル開発で、
憲法「前文」を支えた国際社会は崩れて
(元々、崩れていたが…)
平和神話は正当化できない言説になっている。
アメリカ等の諸外国に依存して
平和神話を正当化してきた時代、
ここ70年以上、
日本は、普通の国家責務である
「国民の生命・資産の防衛」を軽視してきた。
今、
精神(マインド)面も入れた安全保障のレベルを完全に数値化できれば、
日本は世界で最低ランクに入るだろう。
【蛇足】
・日本の公的組織や企業の情報セキュリティ(情報管理の安全)は弱体化しており、情報セキュリティにかかわる人材は、先進諸国や企業個々と客観的に比較すると非常に少ない。日本の民間企業等で必要な情報セキュリティの人材は、標準的なレベルを目標にしたとしても5万〜8万人くらい不足しているようだ。
・日本人だけの社会ならば「性善説」を前提に安全保障のレベルを低くしても良いだろうが、ネットの世界はパスポート無しに国内外から自由に侵入して資産価値を奪える危険地帯だ。
・国家の安全保障上の情報セキュリティ人材をアメリカ、中国だけで4万人以上投入しているが、日本は半分どころか、10%以下、5%以下、1,000人弱か?100人弱か?安全保障上、総じてハード面は標準的だろうがソフト面はセキュリティ・ホールで穴だらけだ。