「戦争」洗脳→「平和」洗脳→脱却して日本再生の道へ? | あらやす日(本)誌

「戦争」洗脳→「平和」洗脳→脱却して日本再生の道へ?

 
 

アメリカの作家・生物学者アイザック・アシモフいわく、

 

「問題を解決する最も簡単な方法は、

問題の存在そのものを否定することである」

(The easiest way to solve a problem is to deny it exists )

 

このアシモフの言は、

言葉の皮肉でしかないが、

実際、

現実の世界はこれらの皮肉だらけだ。

 

「問題の存在そのものを否定すること」

=問題を表に出さずに見せないことは、

現実で普通におきており、

徐々に問題は悪化して、

重大な事件が突然出てくる。

 

まさしく、

 

 「問題」無視・否定

    ↓

  一時的な幸福感

    ↓

  最悪な事態へ…

 

問題にしないことで、

「問題ボケ」になって一時的な幸福感を味わうが、

問題が悪化して最悪の事態=大問題になって表に出る。

現実は、

大問題、大事件の悪の華が咲く芽の隠蔽だらけだ。

 

 

思うに、

「問題の存在そのものを否定」している国を、

世界各国を分析してランキングしたら、

過去も今も日本は上位に入るかもしれない。

 

20世紀の日本は、

重大な問題の存在を否定してきた。

「戦争」と「平和」をそれぞれ画一的なテーマにして、

一元的な世界観を無理強いして構築してきた。

 

日本は、

19世紀末から20世紀前半は、

「平和」を完全に否定し、

20世紀後半では、

「戦争」を完全に否定した。

 

かつて、

明治時代〜1945年まで日本は、

欧米の植民地政策への抵抗と中国大陸での混乱の中で、

日清戦争・日露戦争等を行って、

「平和」を完全に否定してアジアで唯一独立国になり、

最後に日米戦争の道を群れになって下っていった。

そして、

多くの犠牲者を出した。

 

もちろん、

当時、「平和」を問題にしていた人もいるが、

新聞等の大きな声に扇動され、

「平和」を完全に否定できる「戦争」を単純に正当化して、

多くの国民は「平和」の問題について「沈黙」して、

群れをつくって最前線に行った。

ただ、

元号になった「昭和」は、

”明るい平和”を意味しているが…。

 

【参考】

・戦前、イギリスの駐日大使だったジョン・ホワイトヘッド氏の公的文書が機密扱いされていたが、最近、公開された。この文書で、当時の昭和天皇は、戦争に向かって行く政府と軍部、財界、新聞等の扇動的な動きに「心地が悪く」「困惑」(原文では「uncomfortable」)していたこと、政府と軍部等の権限や影響力が強かったためにそれを食い止める力が昭和天皇にはなかったこと等が記載されている。

また、昭和天皇は、謙虚(原文では「humility」)な性格で、絶対君主的な権力を横暴できる過激な性格ではなかったことも記載されている。

昭和天皇には「神格」はあったが、統帥権等の法的な権限や投票権等もなかったことから、当時の日本の一般国民よりも社会に影響を与える力がなかったとも言える。

・日本でも昭和天皇の身近にいた方々も同じような日記的な文書を残しているかもしれないが昭和天皇の名誉のために隠蔽されている可能性が高い。実際、今回の駐日大使の記した機密扱いだった公開文書も大きな報道になっていない。

 

 

日米戦争の戦後、1945年以降は、

日本社会は戦前の真逆に転向してゆく。

実際、

「真逆」も危険な道だ。

 

日本は、

ベトナム戦争・イラク戦争等に参戦せずに、

「戦争」を完全に否定するために、

「東西冷戦」や「共産主義」「核兵器」の問題・脅威を完全に否定して、

正規の「軍」も「核シェルター」もつくらなかった。

 

世界の国で、

正規の「軍」を持っていないのは日本だけで、

先進諸国で「核シェルター」をつくらなかったのも日本だけだ。

憲法上、

国民の生命・資産を防衛することを国の第一の責務にしているのだから、

護憲どころか、違憲状況を誤魔化してきたのが日本だ。

 

【蛇足】

・欧米等の旧・西側諸国と同じ「東西冷戦」下にあったら、「共産党」の名前そのものでは政党として認められず(「共産主義」「共産主義者」は禁句的になり)、「核兵器」の脅威を回避するために「核シェルター」が主要都市に普通の公共事業としてつくられている。

しかし、日本は…「平和」を阻害する「東西冷戦」という問題そのものの存在を否定してきた。地政学上、旧ソ連(&中国)VSアメリカの境界線上にあることから軍事的(軍事力の配備等)に見れば、日本は東西冷戦の最前線だった。東西冷戦が実戦(核戦争等)になることを想定せずに日本は、東西冷戦時代に中間的な国家観、平和ボケ的なムードをつくりだした。また、隣国・中国は、東西冷戦より前、1970年代初頭にアメリカとの友好関係を旧・ソ連よりも先に進めたが、日本が米中の中間で間接的な関係構築に貢献していたのかもしれない。

・帝政ロシア崩壊による旧・ソ連の建国、中華人民共和国(中国)建国のために、各国の共産党による統治ができるように間接的に日本は支援した(ソ連・明石工作、中国・国民党への圧力等)。旧・ソ連の建国者レーニン時代を知っているスターリン、中国を建国した毛沢東は、日本による間接的な「共産党」支援を実際に見ていたため、日本に対して一切非難を公言していない。その意味で、共産主義国家建国→東西冷戦時代に日本は関与していたことから、中間的に日本は存在していたと言える。この中間性で日本の珍しい(普通ではない)「平和」が維持されたのだろう。

・いまだにロシア(旧・ソ連)とは日露関係友好の基礎が崩壊していないが、中国は…共産主義体制のまま資本主義を導入して外国資本をベースに経済化を進めてここ四半世紀で軍事大国になったことで、日本等への周辺諸国への帝国主義的・威圧的な政策に転換している。

 

 

20世紀後半、

日本は、

単独の国家防衛を貧弱にして、

ほぼ丸裸の状態(「軍」「核シェルター」の未熟等)にありながら、

有事のときは自国、日本人を犠牲にすることを想定して、

単独防衛では非現実的な「平和」を妄想する群れが生まれた。

ただ、

日米安保によるアメリカ軍への依存は、

「戦争」抑止力として「平和」維持に必須だった。

 

もちろん、

現実的な単独の「平和」を模索して、

「戦争」等の危機感を問題にしている人もいるが、

メディア等の大きな声は、

諸外国の害悪を無視・否定する扇動をし、

多くの国民に対して、

「戦争」的な危機感を生む問題の「沈黙」を強要し、

さらに、

日米同盟を単純に否定して、

「軍」も「核シェルター」等もないのに、

「平和」の妄想に溺れている人も出てきている。

 

「平和」の妄想に溺れたら、

多くの国益が喪失し(すでに喪失中だが)…

多くの犠牲者を出す…。

 

【蛇足】

核ミサイルの脅威・脅迫を受けて、日本ATMの「金」や便宜、技術ノウハウ等の国益を奪われるか(すでに奪われている…)、または、核ミサイル等の攻撃で多くの犠牲者を出すことは、常識的に想定される日本の持つ大きなリスクだ。この巨大なリスクを想定できないことは、「問題」ボケ=「平和」ボケそのものであり、普通の問題(リスク等)の存在そのものが無視・否定されていることになる。

 

 

明治時代から戦前までは、

反・西欧植民地政策等のための「戦争」革命的な社会観になって、

西欧的な国家意識を育成して富国強兵の「日本」が生まれ、

精神論に偏重してゆき、日米戦争へ突き進んだ。

 

【参考】

当時、ラジオ等で日米開戦等の報道を聞いた小林秀雄は、「…やはり僕等には、日本国民であるといふ自信が一番大きく強いのだ。…」とそのときの印象を述べている。

 

 

そして、

戦後は、

対「東西冷戦」に対応した「平和」革命的な社会観になって、

巨大だった「日本」の国家意識は小さくなり、

東西冷戦後、ここ四半世紀、

さらに縮小して、

国民の生命・資産防衛のための一般的な社会観まで希薄化して、

この社会観が蔓延している。

 

今年前半は、

メディア等は、

中国・北朝鮮問題等の重要で大きな「問題」の存在を無視して、

国の「普通」化を目指す憲法改正論議等を完全に否定するために、

三面記事的な小さな問題、

些細なネタ(森中学園問題・加計学園問題・南スーダン「日報」問題)を出して、

国会とメディア報道で占拠して世論のイメージを強要した。

 

これは、

長年の洗脳の成果=知性の貧弱さそのものだろう。

 

20世紀で得たのに歴史的・社会的に隠蔽されてきた教訓を、

客観的に認識できなくなった、

弱体化した知性を証明できる証拠の露出だろう。

 

かつて、

「平和」と「戦争」につながる大問題の存在を無視したかのように、

同じように重要問題を論外にする大胆な扇動がここにはよく見える。

 

こうした扇動は、

大きな声を人工的に発信できるメディア等を中心に行われ、

小さな、些細な現実を見せて、

重大な現実を直視させずに、

社会的な変革を阻止する世論づくりの工作だ。

 

さて、

はて、

なぜ?

小さな国益にかかわる問題を大きなテーマにして、

大きな国益にかかわる問題の存在を論外にするような、

大胆な扇動がまた起きてしまうのか?

 

露骨に偏向を仕掛ける扇動を

単純に受容してしまう人々のマインドにも、

問題があるだろう。

 

こうした既存メディアの扇動に洗脳されやすい方々ではなく、

周囲の人々との会話や書籍やネット等で客観的に現実を考える方々が、

日本の未来を明るくさせることもわかってきている。

 

【蛇足】

メディア等の不買運動やTV等の視聴中止、企業等の広告掲載中止、記事等の掲載・放送の非協力等、昔の世代では、自己主張は1980年頃まではあっただろう。これらの民主主義的な自己表示、企業人の社会的な参画意識はここ半世紀で急激に低下しているようだ。

 

 

基本的な人間関係も同じだが、

他者と自己には共通性はあるが、

相違点、差異があり、

両者の友好と対立=平和と戦争の混在が過去にもあり、

また、

未来にも複雑な混在な状況を想定すべきで、

両方を想定しなければ、

リスク回避のための正しい判断や行いは不可能だ。

 

今、

21世紀初頭、

日本は、

20世紀でおきた画一的で極端な動きを教訓にして、

つくられた残虐な世論に流されずに、

客観的に現実を「自分」で考えることで、

普通にそう考えることで、

過去や歴史を、今を再認識して未来を想定する好機だろう。