中国とアメリカの間で日本は…?~人脈の流れ | あらやす日(本)誌

中国とアメリカの間で日本は…?~人脈の流れ

1945年の大東亜戦争の終戦で、必然的に日本は戦勝国であるアメリカとの人脈を太くしていった。
しかし、それまでの半世紀は日本と中国との人脈がもっとも太かった。

日清戦争から日中戦争に至る中国と日本との関係は複雑であり、
1937年から始まる日中戦争は単純な主権国家対主権国家間の戦争ではなかった。

1912年に中国の統一国家である清が滅亡し、
中国国内は分裂して内乱状態になり、統一的な主権国家とはいえない状態にあった。
こうした中で中国国内での共産党勢力が拡大してゆき、
反共的な支配層・有力層等を中心に多くの親日派が日本との太いパイプを作っていた。

安部晋三・元首相の母方の祖父にあたる岸信介・元首相は、
満州建国の父ともいえる存在で、満州の国家経営に深くかかわっていた。
その意味で、中国・共産党は安部元首相を歴史的な文脈から嫌っているかもしれないが、
滅亡した清朝の権力層等の多くの中国人が満州の国家運営にかかわっていたことも事実だ。

大平正芳・元首相は、
中国に設置した日本の国家機関、興亜院に勤務して、
1939年以降~終戦まで中国と日本を頻繁に行き来して、
多くの中国人の有力者との関係を築いていた。

次期中国首相に就任するは李克強氏は、
学生時代に小沢一郎氏の自宅に居候していたこともあり、
小沢氏の中国人脈でもっとも太いパイプになっている。

しかし、
戦前に中国人脈を持っていた有力な日本人は21世紀に入ると高齢化して、
社会の一戦から離れてゆく。

海外との人脈が枯渇したとき、実質的な鎖国となってしまうから、
海外とのパイプをこれからの日本人は率先してつくってゆく必要がある。

海外への留学は知識の習得のためだと一般に思われているが、
実際、もっと大きな目的は人脈づくりのためだ。

明治維新後、多くの国家予算を割いて日本政府は日本人を海外に留学させたが、
このときは西欧と日本には技術・文化の差が大きかったので人脈は二の次だっただろう。
しかし、
現代日本のように経済・技術・文化の差が他国と変わらない時代では、
人脈づくりが大きな成果をあげる。

最近では公費で国家公務員をアメリカのハーバード大学行政大学院(通称「ケネディスクール」)に留学させている。竹中平蔵氏や塩崎恭久・衆議院議員もその同窓生だ。

●ハーバード大学ケネディ行政大学院 日本同窓会
http://www.ksgj.org/


戦後は欧米との関係を重視した。
今後は中国やインドなどとの多くの国と多角的な関係を日本は構築して行く必要がある。
外国との関係の基礎はなによりも人脈だ。

明治時代のように国家や組織が経済的に後押しして、
多くの日本人を海外に留学させて人脈をつくってゆく必要がある。