一枚岩の国はない…日本は伝統的に一枚岩っぽいが… | あらやす日(本)誌

一枚岩の国はない…日本は伝統的に一枚岩っぽいが…

英米も西欧諸国も、国はそれぞれ1個だが、
その中身は2枚岩、3枚岩と多面的な顔を持つ国家だ。

資本主義と共産主義の双頭体制の中国の様相はもっと複雑だろう。
尖閣問題を先鋭化させたのは中国の人民解放軍を主体とする権力グループで、
中国国内の貧富の格差が広がる中で、
その鬱積している国内の不満を国境問題にすり替えようとしているあがきのように見える。

韓国での慰安婦問題を煽っているのは、
北朝鮮と仲の良い左派的な権力グループで、
日本との友好を望むグループも大きな力を持っていると思う。


多面的な思考はその対立する思考のせめぎ合いの中で、
自然環境と同様に豊かな土壌、文化をはぐくむ。

日本は明治時代以降、
強固な1枚岩を過激なまでに指向していた。

それは一見して「和」の精神のようにも見えるが、
本当の日本古来の「和」は複雑な対立構造の中にあって、
もっとも効果的なものになったのではないかと思う。

日本は、
ある時代まで、この狭い国の中にあって、
豊かな地方色の綾なす文化があり、方言があり、
実質には多面的な社会を構成していたと思う。

さまざまな文化や主張の調和させる技術が、
「和」だったのではないかと思う。

戦後の過激な平和主義は自虐史観と歴史の歪曲を生み、
過剰な個人主義は他者へのおもいやりを軽視させ、
社会性の喪失に大きく寄与した。

そして、
財源を地方から剥奪して、
地方の自立性を喪失させて、
地方の風土を風化させる嵐の目の中央部分に、
中央集権化=霞ヶ関体制を置いた。

そうした風化作用の中で、
日本の多面性も、
一見してそう見える一枚岩ももろくなっていることは否めない。

過激な個人主義とはいえ、
実際、個性ははぐくまれずに、
世間は総サラリーマン化社会となり、
個々人の実質は画一的な指向の塊になっている可能性が高い。

今、必要な国家の大計、日本再生は、
地方色の復活をめざして、、
中央集権体制を弱体化させ、
豊かな地方文化を開花させる、
新たな統治制度を確立することだろう。

 
文明開化ならぬ地方開花だ。
地方が再生すれば日本も再生できる。

東京は韓国と同じ経済力があり、
東北、中部、関西、九州も地球上の平均的な国家といえるレベルの経済力を持っている。

安心して子供を育てる郷土が再生できれば、
人口も増加するだろう。

そして、  
国・行政は防衛・外交などの基本的な権能に特化して、
それらの基本的な機能を今以上に拡充・強化する必要があると思う。

防衛と外交以外にその実態が見えにくい国という概念とは別に、
実態として見える「地方」の存在価値を再認識して、
その存在価値をしっかり措定する必要があるだろう。

国よりも地方を優先し、
地方の集まりが国であるという国家観が日本の理想的な統治スタイルではないだろうか。