再選した石原慎太郎都知事の「我欲」の弁 | あらやす日(本)誌

再選した石原慎太郎都知事の「我欲」の弁

東京都都知事選で再選を果たした石原氏は、
今の時代について、
”国民の「我欲」が問題”だと言った。

我欲の抑制にこだわる石原氏は、
今回立候補したくなかったのが本音だろう。
激務から開放されてのんびりしたいというのが普通の我欲だろう。

しかし、
周囲の圧力(ある意味でこれも社会性のものとも言える)が強く、
我欲を曲げて今回立候補した。

「我欲」の裏を返せば、
社会性や国益を考えた行動、言動の欠如が問題だといえるだろう。

また、
”パチンコ屋と自販機で1千万キロワット弱を使っている”のはおかしいと、
”自販機ではなく冷蔵庫で冷やせばいい”と。

なお、
日本の全電力消費量(1年間)は、
約1兆キロワット。
1千万キロワット弱といえば原発10機分くらいの電力だ。

奇しくも、
全電力消費量の1兆キロワットは電気代(20円/1キロワット)で換算すると約20兆円で、
パチンコの売上高とほぼ同じだ。


石原氏は、
パチンコや自販機の裏にも「我欲」が働いていると言いたかったのではないだろうか。

儲かる可能性の低い博打であるパチンコに行くのは、
一瞬の快楽のためで、
冷蔵庫にしまっておけばいい飲み物を自販機で買うのも、
食欲をその場で満たしたいからだろう。

石原氏の断行した東京都のマンガ規制も、
その背景にはこの「我欲」の抑制があったものと思う。

思うに、
動物として我欲はあって自然なことで、
人間も地球に生きる普通の動物だ。
しかし、
「社会性」を失ったら人間でなくなると思っている。

社会性は我欲を抑制するもので、
人権、自由、民主主義、平和といった言動は、
人間の社会性が生み出したもっとも人間らしい営みだ。

日本の戦後は、
経済至上主義という我欲を善として、
社会性を悪とまでは決めつけないまでも、
個人主義の幻想を理想として、
軽視してきたように思われる。

地震・津波の多い日本にあって、
国民の生命・財産を危険にさらした安全基準の低い原発を建設したことは、
社会性喪失の良い例だろう。

大震災を石原氏が天罰だと言った背景には、
このような現代日本への痛烈な批判があるように思われる。

思えば、
石原氏を有名にした小説「太陽の季節」は、
露骨に「我欲」を描いた作品だった。
我欲を抑制することが大人の大人たるゆえんであることも、
一理ある。
そして、
我欲を抑制できない人のために、
法や規制があることも確かだ。

僭越ながら思うに、
社会的な規制による我欲の一方的な抑制ではなく、
個人が内発的に社会性をいかに取り戻すかが、
日本人の今後の大きな課題だと思う。

内発的な自浄化には時間がかかることは確かだが、
外圧による社会性の付与は一時的な応急処置でしかない。

たとえば、
本来社会性が強く求められている医師が我欲にかられて、
都会に集まる現状にあって、
医師自身の考えを短期間で変えるのは困難だ。
そこで、
地方の過疎地での医師不足などは、
社会的な政策(医学生への学費支援等による地方勤務契約)で解決するしかない。

しかし、
理想は、
医師自身が全員でないにしろ、
今よりも多くの医師が内発的に過疎地域などに勤務してくれれば、
税金を投入した社会政策は不要になる。