今回は1つの記事としてガッツリ書くほどではないんだけど、
思っているポツポツとした感情をばーっと書き出しておく回笑
目次
①非正規
②変化
③感動
①非正規
ジャパレスでも、今のBakeryでもそうだけど
非正規として働くことで生活を成り立たせている初の経験
大学生の時のバイトとは違い、家賃は自分で払っている
故に働けなくなったら生活が行き詰まるという状況
そんな中で、ジャパレスでは手荒れや火傷などもした
今はBakeryで働いているから治ったけど、
7月は歩き過ぎ?で靴擦れしたり、かがんだ状態での作業で腰が痛くなったりと、体を気遣い場面が増えた
Ausは時給が高く、そこそこの生活を送ることができてしまうから錯覚しがちだけど
あくまで自分はCasualでいつでも首にされるリスクがあるし、体調壊せばそれで収入はストップ
そういう意味で、不調で働けなくなったら収入は途絶える、家賃払えなくなる、という不安と隣り合わせて生計を立てる経験
この不安たるや、
日本で非正規として働いている社会人の方もいる
そんな方の不安たるや!!!!
日本だったら、ただでさえ低い最低賃金
そこから恋愛結婚出産なんて考えられるわけがない
日本の政治家で、非正規雇用の元で生計を立てたことがある人、この不安と隣り合わせでの生活経験がある人、は一体どれだけいるんだろう?
日本ではしていなかった良い経験
②変化
これは前回の日記記事最後に書いたけど
良くも悪くも現状はすぐ変わるから、常に適応し続けなければならないよねってこと
日本ではNativeとして生活基盤をドッシリ構えているから、変化に晒される機会が少なかった?気づけなかったのかもしれない
けどAusでは自分は浮浪者で一時の旅行者的な立ち位置
晒される周囲の状況変化が多いこと
コミュニティも限られるし
常に状況の変化に適応しなければいけない気疲れはあるけど、そういうフッ軽さ?身軽さを養う訓練になっている気がする笑
チーズはどこに消えた?的にいうと、一つ一つのチーズが小さく賞味期限味も短い!笑
必要なタイミングで必要な試練が与えられている、試されているのかな、と感じる
③感動
これは、先日日本語が恋しくなった時に見返した読書メモ
いかなる幸福も不幸も一瞬にして崩れ去る程脆い
もしかしたら私たちは幸福から不幸へと振り切れる瞬間でしか人生を認識できないのではないか
だとすれば、幸福であることは重要ではなく、不幸であることにも大した意味はない
幸福から不幸へと振り切れる瞬間、あるいはどちらにも振り切れていない時間
つまりは”心が動いた瞬間”しか記憶できないのではないか?
お世話になった塾講師時代の塾長に最後に言われた言葉
心が動く仕事をしてほしいと思いますね
心が動く体験経験、もっともっと積んでやろうじゃないの、と改めて思った
以上