コンフォートゾーンの拡大と安定、

計画された偶発性

 

 

 

 

先日の紹介したこのモヤモヤ

 

 

メリットデメリットで動くのってどうなの?と

 

 

要は、損得勘定で動くのってとても残念で、さらには最終的に損をするんじゃないの?ってこと



 

 

 

 

 

 

 

 

 












 

 

 

目次

【予想外のインパクト】

【友人の知恵】

【意味不明な勇気】

【歳をとること】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【予想外の出来事のインパクト】

 

 

今の自分を周囲の環境を、過去の自分はどれほど予想できていたか?

 

 

今の自分を1年前、5年前、10年前の自分はどれほど予想できていたのか?

 

 

何%当たっている??

 

 

自分は大半予想が外れ。



まさか海外に長期で行くなんて

1年前すら半信半疑だった。

 

 

そして”最初からそうなると思っていた”と

思い込んでいることすら、後知恵バイアス

なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう考えたら本当、数%も無いのでは?と

 

 

まさかMacBookを使っている、

とも想像つかなかった笑

 

 

MacBookなんてキーボード違うから使うわけないと思っていた笑

 

 

そんな感じで、予想もできなかった出来事に大きく影響されているんだなと感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【友人の知恵】

 

 

この前友達とキャンプに行った帰りの車内。

 

 

仕事の損得勘定のモヤモヤ:予測不可能な可能性に賭けてみようよ!って思ったんだよね、的な愚痴を話した笑

 

 

その時友人が、ゼミの教授に聞いたコンフォートゾーンとアンコンフォートゾーンの話を出して色々話してくれた。

 

 

人は好んでコンフォートゾーンの中で行動するけど、外に出ていく勇気、アンコンフォートゾーンに飛び出してコンフォートゾーンを拡大させていくの大事だよね、って話。

 

 

その話ができたことで少し整理できた。

 

 

慣れない、不快な環境に飛び込んでみることで

一時的には苦痛やストレスがかかるけど、



慣れることでそこを快適な環境にできたら、

世界広がるよねって話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就活時の下記記事

 

 

安定は安定な環境にいることではなく、不安定な環境をいかに安定化させるかという安定化力みたいなもの”に似ているかも。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいことを学ぶ、新しい環境に飛び込む、新しい習慣を取り入れる、でも何でも。

 

 

そんな慣れない、わからない環境、事象は、飛び込んでみたら、やってみたら何が起こるかわからない。

 

 

からこそ不安で怖い。

 

 

言い換えれば、予測不可能性に満ちた所。

 

 

そこに飛び込む勇気というか、フッ軽さみたいなものって大事なんじゃ?

 

 

だからと言って無闇に突っ込んでも自爆するだけ。

 

 

そのためリスク管理、自分でどう命綱を用意するか?はあると思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【意味不明な勇気】

 

 

損得勘定で動く時、現在の立ち位置からは見えていない、予想外の可能性をどうやって勘定するの?

 

 

未来見えるんですか?って。

 

 

当初見えていた損得事象より、予想外の出来事の方がインパクト大きかったらそれ無意味じゃない?

 

 

今の予想できる範囲内で考えていたら、拡大成長って無いんじゃないの?絶好の機会を逃すことになるんじゃないの?

 

 

そこに飛び込んでみる勇気、賭けてみる勇気、フッ軽さ、みたいなものをもっと大事にしても良いのじゃないの?とは思ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを考えていた時、少し前に見た下記動画を思い出した

 

 

 

 

 

 

空中に投げられた石にとって

落ちるのが悪いことでもなければ

昇るのが善いことでもない

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

16代ローマ皇帝

 

 

うまく行くかどうか全くわからない

まあむしろ多分失敗するという中でも

とりあえず無理やり足を踏み出してしまう

意味不明な(何の根拠もない)勇気

というのをどう持つか?

成田悠輔


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【歳をとること】

 

 

最近、あんなに強かった。

 

 

絶対的存在であった両親の背中が小さくなっていると感じる。

 

 

これは物理的にも精神的にも。

 

 

例えば、親のNISAの設定も自分がやっている。

 

 

自分が小中高なら考えられない出来事。

 

 

世の中一般で考えても、高齢になるにつれて社会についていけなくなるってどんな感じ?どう言語化できるんだろう?と思っていた。

 

 

上記の、コンフォートゾーンの話を考えていて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンコンフォートゾーンに飛び込む、気力、体力、フッ軽さ(リスクを取れるか?)、みたいなものは加齢と共に減っていく。

 

 

そうなるとコンフォートゾーンの中で生きることが増える。

 

 

それは、コンフォートゾーンが拡大しない、だけに留まらず、縮小も始まる

 

 

社会の変化と共にコンフォートゾーン自体が減って行くから

 

 

 

 

 

例えば、電話をかけるという行為。

 

 

従来のダイヤル電話は慣れていても、それがスマホに変わると慣れない行為になる。

 

 

オフラインからオンライン、紙からディスプレイ、、、。

 

 

ツールや社会全体が変わっていくと、コンフォートゾーンが減っていく。。。

 

 

”昔は良かった”という祖父母の言葉はこんな視点から来ているのかな、、、?とも思ったり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~チーズ自体にも寿命がある~

チーズはどこに消えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上長々と失礼しました

 

 

まだまだ話の軸が定まっておらず恐縮ですが。

 

 

結局何が言いたかったのかというと。

 

 

現在地から、物事の良し悪しを勘定するのも大事かもしれないが。

 

 

今見えることより、見えないこと予想すらできないことの方が多いかも

 

 

それら予想不可能なことの方が与える影響も大きいかも

 

 

予想できる(コンフォート)なゾーンから、不安や恐れのあるまだわからないところに飛び込むフッ軽さというか、意味不明な勇気というか、そんなものを大事にしていきたい

 

 

計画された偶発性みたいなものをどう創出するか的な、、、

 

 

そんな“思い込み”で今日も自分を、英語勉強を、留学準備を鼓舞しています笑

 

 

以上