ここを読んでるかどうかは解りませんが、無職の兄、35歳が実家にいます。
もう末期です。再度仕事をすることもないでしょうね。
せいぜい親が死んだらちょっとだけ思うかもしれませんが、

生前大変お世話になった祖父、祖母のお葬式に出て、遺体の棺にお花を入れても何とも思わなかったような人です。
何とも思っているなら、今のこの自分の状況を嘆き、一刻も早く仕事を始めるのが普通の人間です。

でも彼はしない。全くしない。全く働かない。死体の顔を見てもそれすら思わない。
どうなってるんでしょうね。
私は祖母のお葬式には残念ながら出れませんでした。当時私も無職でうつで、にきこもって彼からDVを受けてました。
人のことえらそうに言えません。

でも私は思いました。私はまだ泣く資格がない。
葬式で泣く事ができるのは、普段からちゃんと全うに働いて生きている人のみです。
無職ニートなんかに泣く資格なんて無いのです。

実家で朝から晩までタダ飯食べさせてもらってる分際で、人権なんてありません。
いっぱしの人権を主張するなら、やる事、仕事をやってから言えと、そう思いました。

で、五年ぐらい無職だった私もようやく仕事に就くことが出来ました。
本番はこれからです。仕事にさえつければ良いという訳ではありません。
そうやって日々のやりくりを勤めていかなければなりません。あたりまえの事です。


そう思うと実家に無職の父とその息子35歳無職の兄ニートが今も健在です。
本当に情けないです。父親はまともに仕事を続けたことが無いので、当然その息子もその父親をマネます。
情けない話です。

しかもその息子は父親のパソコンでアダルトゲームをする始末。

普通、他人のパソコンでアダルトゲームなんてする?

いかがわしいものがたくさん(他人の)パソコンにDLされてて、しかもその中に「姉とセックスをしよう!」っていうゲームがあって絶句。この兄とはもう無理だと思った瞬間だった。


正直今、目の前で父と兄が餓死や事故で死に掛けてても、私は手を出すことはありません。
それは、彼らの生き方を私が侮辱する事だからです。

彼らは身をもって、無職だったが故に死んだ、という道を歩んでいるので、私が手を出す権利はありません。
彼らの生き方を最大限、尊重しています。

無職兄ニート35歳は、まだ働かなくても実家でなんとか食べていけると思っています。
死ねばいいと思っています。葬式もしません。せいぜいどこかの海に散骨か、ゴミで捨てるかトイレに流すか。

人の人生に私がとやかく言う資格はありません。


この間久しぶりに女性専用車両に乗りました。
たまたま乗ったのがそうでした。
ピンクのステッカーが張ってあって広告も女の子用の広告で、
つり革も女性専用のサービスの宣伝でした。
これは良い経済効果だなと、あと女性は鋭いので情報をチェックするのに
いいんじゃないかと思いました。


あと乗客がかわいい女の子が多かった。
御堂筋だったからか、女の子達のファッションのチェックするのに、
凄くいいですね。これだけでファッション雑誌作れそう。


で、女性専用車両の時間外だったんですが、そこに男性が一人だけ乗っていました。
もちろん、時間外なので別に男性が女性専用車両に乗ってもかまわないのですが・・・。


その男性は別段騒ぐでもなく、暴れるでもなく普通につり革に捕まって女性達にまぎれて立っていたんですが、
私がみたときは、ご本人さんは平然を装ってるようにされてますが、
明らかに周りからの目線を気にしてる。瞳孔が開いてるというか。
目が一点をジーーっと見てるんですよ。何所を見てるわけでもなく目線が微動だにしない。
私はそれを見ていて思わず噴出しそうになりました。不自然!!と。
瞳孔めっちゃ開いてるやん!表情固まってるやん!


もちろんいいんですよ?時間外に女性専用車両に男性が載っても、
女性の下着売り場に男性が立ってても別に犯罪でも何でもないんですから。
ふと私は考えてみた。この男性の頭の中は今何を考えているんだろうと、


「あ、今あの女性が僕がここにいるから見た!」なのか本当に何も考えていないのか。
電車の中はかなりピンクのステッカーや広告が多く、えらいピンク色の電車だなと
女性の私が見ても思うぐらいなのに、意図して女性車両に乗ったわけでもなく、
電車の中に入ったとたん、あ、ピンク色だ、あ、女性専用車両だとすぐに気づきます。


でも彼は何故乗っているのか。サラリーマン風の人でしたが。
何か女性の衣類の仕事でもしててリサーチするのに乗っているのかかな?とも考えてみました。
この人は一体何故ここにいるのだろうと。


変な目でみられたくて見てる、見たい奴は勝手に見ろてな感じなんですかね。
もちろん、時間外なのですから別に男性が乗ってもいいんですよ。
時間外の女性の下着売り場でも衣類売り場でも男性が立っていても犯罪ではないですよ?
だけど物凄く不自然な光景でした。


それから他を見てみると、おばあさんも結構座ってらしてて、
あぁ、こういう時は女性専用だとおばあさんが座れるから良いなと思いました。


女性専用車両については、別に作っても良いと思います。
おばあさんが座れるというのもそうなんですが、やはり痴漢の被害が女性のほうがあっとう的に多いから!
が一番の理由でしょうね。
痴漢する男がいなくなったら、女性専用車両もいりません。


私も若い時wされた事があります。本当に、本当にきもちわるかったです。
よくこうやって言うと、されるだけありがたいと思えと言う人がいますが、
総じてそういう人は逆に自分が痴漢に会った事がない人です。


じゃあ、男性もどこぞのしらないババアにケツとかフトモモとか触られまくったらいいんですよ。
で、触られるだけありがたいと思えって言われればいいんですよね。

自分は幸せになってはいけない、
結婚して子供を産んで普通の家庭のように幸せになてはいけない


という心理がどこかで働いてる。
調べてみると自責の念や、子供の頃に厳しかったり
貧しかったりして育つとそういう考えを持つことがあるそうな。


確かに裕福だった訳でもなくどちらかというと貧しい。
厳しい時もあったそれは、習っていたピアノや塾が厳しかった。
殴られたりはしょっちゅうあった。
塾の時は成績が悪いと皆が見ている前で平手打ちとかもあった。
けれども親はそこの塾が月に一万円と格安だったので行かされた。
兄が二人いるけどその二人もそこの塾に通わされ、
鼻血を出して帰ってくる事もあった。
当時はそれが普通なのか異常なのか解らなかった。
いまでもそうかと聞かれるとよく解らない。
自分の頭が悪いからこんなひどい所に通わされてるのか、
自分の家が貧しかったから、こんな所に通わされてるのかとも思った。


私は親があまり好きではない。家族も好きではない。
というのも未だに私が親や家族に甘えていえるふしがあるあら。
私が自立していない所があるから。
仲良くという意味が解らなかった。
各々が自立して仲良くするという事が解らなかった。
最初のうちはがんばっていたけど、その内自分の事は自分でする
というあたりまえの事が出来なくなった。


目をそらして、逃げて、それではいけないとよく解っているからこそ
余計に苦しい。

母は結婚は地獄だと言う。父親が仕事をさぼって働かないがために、
母は物凄いヒステリーになった。当時は働かない父親が悪いと思っていたけど、
母親の切れ方が尋常じゃない。
今で思うと、夫であっても所詮他人と割り切ることが母には出来なかったのが
母の敗因だったんだろうか。


そんな父はお風呂に入るときの着替えさえ母親に持ってこさせる。
こさせるというよりも、母が持って行くのだ。
父も母もそれぐらい自分でしなよ、と思える。
父は確かにさぼって仕事をしなかった。視力が極端に悪いというのを言い訳にして
逃げていた。母親は仕事と家事を全部一人でした。家族五人、兄二人妹一人。


だけど母親は今にして思うと恵まれていると思った。
この世の中で働ける人と働けない人は一体どのぐらいいるのだろう。
父親が働かない、働けない世帯は一体どのぐらいいるのだろう。
それに京都の一戸建てに住んでいてローンも無い。
足りないお金や食べ物や衣類は全部母親の母、私からみたらおばあちゃんと
おじいちゃんに出してもらっていた。


けれどももし今私が結婚して子供を作っても母は私に物資は送らないし、
私も欲しくても受け取ることが出来ない。


母は贅沢だ。一戸建ての家も父の母、私から見たら父方のお母さんに出してもらったのだ。
けれども母は、父が仕事をしないと言って物凄い勢いで切れたり、
人前で平気で自分の父親や自分の子供である兄や私を侮辱する発言をする。
それが昔から嫌いだった。


私は今一緒に住んでいる人がいるが、その人からプロポーズをされていれるが
受け入れられない。結婚して私もこんな母親になったら嫌だなと思うから。
ならないようにしようとしても、遺伝でなりそう。
でも最近そういう感情と一緒に、でも母親だって完璧じゃない、
父親も、大人も皆完璧じゃない。と思えるようになってきた。
悪いところもあって良いのだと。もちろん褒められたものではないが。


そう思うと少しだけ母が嫌いじゃなくなった。むしろ
一歩距離を置いて、一人のそういう女性がいたんだと思えるようになった。


私は母親に対して強く依存している部分があった。
母はこうあるべき、大人はこうあるべき、親は子供を養ってあたりまえ。
私が親に依存してるなとおもった。


依存=自立していない と言う事。


幸せになってはならないという、題名に戻る。
どうしても幸せになってはならないという自責の念に囚われて抜け出せない人は、
じゃあそんなに苦しんでまで幸せになるのやめたら?作戦はどうだろう。
その人にとって「幸せ」というラインがとても上のほうにあるため、
それは幸せをとても大事なものとして位置付けをしているから、それでいいのだが、
あまり上すぎると、自責の念が働くのではないだろうか。


じゃあそんなに無理して高い幸せを手にいれなくても。
毎日穏やかで平穏でいられたらいいじゃないかと。
本当はそれがまぎれも無い幸せなのだが、そのぐらいのささやかな幸せなら
あっても良いのではないかと思った。