【運慶;Unkei】
(生年不詳~1224年)
平安末~鎌倉初期に活躍した仏師(ぶっし)。
父は、康朝の弟子であり、定朝(じょうちょう)5代目と称する「慶派」の康慶(こうけい)。
当時、京都に根拠を置く「院派」、「円派」が貴族階層に支持され
定朝の孫の頼助(らいじょ)以来、興福寺に所属し、奈良が中心の「慶派」は低迷。
康朝の子の成朝(せいちょう)が鎌倉に下り、運慶の代には、関東武士の間で好評を得て、情勢が逆転。
壮年期には奈良の興福寺の造仏により、仏師としての僧綱位(そうごうい)も法橋(ほっきょう)から法眼(ほうげん)、法印(ほういん)へと上る。
晩年には主として鎌倉幕府関係など数多くの仕事を手掛ける。
没年、1224年 1月 3日〔貞応(じょうおう) 2年12月11日〕とされる。
【作品】
奈良県:円成寺(えんじょうじ)
大日(だいにち)如来像(1176年)静岡県:願成就院(がんじょうじゅいん)
阿弥陀如来・不動・毘沙門天像(1186年、奉:北条時政)神奈川県:浄楽寺(じょうらくじ)
阿弥陀三尊・不動・毘沙門天像(1189年、奉:和田義盛)和歌山県:高野山
不動堂の八大童子(はちだいどうじ)像(1197年)奈良県:興福寺 北円堂(ほくえんどう)
弥勒(みろく)・無著(むちゃく、むぢゃく)・世親(せしん)像(1212年)奈良県:東大寺
金剛力士像(1203年、快慶との合作)。【備考】
興福寺(奈良県奈良市登大路町)
法相宗の寺院。藤原氏の祖である藤原鎌足と、その子息である藤原不比等に縁のある寺院。藤原氏の氏寺。「古都奈良の文化財」の一部として、世界遺産にも登録。
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