Compadrón(コンパドロン)

Juan D'Arienzo - Héctor Mauré(1942)

 

イキった若者=「見かけ倒しのヤンキー」に対する激烈なディスソング
まるでラップバトルみたいなタンゴ。

 

「コンパードレ」「コンパディート」って何者?

19世紀末〜20世紀初頭のブエノスアイレス。
港町の下層移民街で生まれたタンゴには、街のアウトローたち(≒コンパードレ/コンパディート)が深く関わってる。彼らはタンゴを女と名誉を賭けて踊ったり、演奏で勝負した。

 

  • コンパードレ(compadre)
     = 威勢がよく、男気も見せる「街の兄貴分」的存在。
      時にナイフ(ファカ)を抜くヤバい奴も。
  • コンパディート(compadrito)
     = もっと小物。「イキった若造」「カッコだけのやつ」って感じ。
      でもタンゴやファッション、決闘で自分を誇示する文化をつくった。

 

全体の翻訳(意訳)

 

Compadrito a la violeta,
si te viera Juan Malevo,
qué calor te haría pasar.

No tenés siquiera un cacho
de ese barro chapaleado
por los mozos del lugar.

バイオレットの香水をつけたお坊ちゃんコンパドリートよ、
もし“本物の男”フアン・マレーボがあんたを見たら、
恥ずかしさで汗びっしょりにさせられるだろうよ。

あんたにはこの街の若者たちが踏みしめた泥の
ひとかけらすらない。

 

フアン・マレーボ」は架空の伝説的guapo(ヤクザ風アウトロー)の象徴。
今のお前には、「ストリートで踏みしめたリアル」が何一つない、と罵倒。

 

El escudo de los guapos
no te cuenta entre sus gules
por razones de valer.

Tus ribetes de compadre
te engrupieron, no lo dudes.
¡Ya sabrás por qué!

男たちの紋章のなかに、
お前の名前は刻まれていない。
なぜって、値打ちがないからさ。

その「俺はコンパドレだ」って肩書きに騙されたな?
もうすぐ思い知ることになるさ。

 

 タンゴ社会には見えない勲章(escudo)がある。
真の男だけが持つもの。今のお前にはその資格はない、と。

 

(サビ)

Compadrón,
prontuariado de vivillo
entre los amigotes que te siguen,

sos pa’ mí, aunque te duela,
compadre sin escuela,
retazo de bacán.

コンパドロンよ(=調子乗りの大物気取り)、
仲間内ではイキがってるが、
俺から見りゃ「教養なきコンパドレ」、
金持ちの切れ端(=成金くずれ)だ。

 

ここ、めちゃくちゃ痛烈。

  • 「コンパドロン」 = compadre + matón(威張る奴)の混成語。
  • 「retazo de bacán」 = 成金の残りカス、つまり見せかけだけ。

 

Compadrón,
cuando quedes viejo y solo (¡Colo!)
y remanyes tu retrato (¡Gato!),
notarás que nada has hecho…
Tu berretín deshecho
verás desmoronar.

コンパドロン、年老いて孤独になって、
自分の昔の写真を見返したときに気づくだろう。

「俺は何も成し遂げなかった」って。
お前のくだらない虚栄心も、
崩れ落ちるのさ。

 

未来の破滅を予言するパンチライン。
お前の人生、見かけ倒しだったな”という、魂への直撃弾。

 

この曲はまさに、
「タンゴの起源に宿るリアル vs 現代の見かけ倒し」の対決。

D’Arienzoはこの曲で、本物のguapo(ヤクザ者)たちへの敬意を込めてる。
そして「見せかけだけの男になるなよ」と若者たちに叱咤している。

 

Mandria(臆病者)

Juan D'Arienzo - Alberto Echagüe(1939)

 

 

 

復讐劇のクライマックスの独白とも言うべき歌

 

mandria の位置づけ:

ここではまさに「男として最低の侮辱」として使われている。
「男らしさ」が命よりも重い世界において、mandria=終わってるやつ

 

ガウチョの世界で「男らしさ」は誇りではなく、責務。

ここには暴力の肯定ではなく、「筋を通すこと」への切実な倫理がある。

背を向けるよりも、刃を向けた方がまだまし――それがこの男の「道理」。

 

詩の概要(ざっくり構造):

  1. 決闘の誘い:
     「ポンチョもナイフも貸してやる。場所も選ばせる。文句は言わん」
    (決闘時、ポンチョは防御に使うだけでなく、打撃や目くらまし、わざと踏ませて転倒させたりするためにも使われた)
  2. 自分は逃げたことがないと宣言:
     「いつも覚悟はできてる、俺はmaula(臆病者)じゃない!」
  3. 動機は「女」だが、ただの色恋じゃない:
     「女がどうこうじゃない、俺が信じた男の裏切り、それが許せない」
  4. 相手を見下す:
     「お前みたいな下衆(sotreta)に俺はちゃんと対応する。さあ来い!」
  5. 最後の皮肉と勝利宣言:
     「mandria な男と戦う気はない。彼女(裏切った女)を連れてとっとと失せろ。もう俺はケリをつけた」

 

全体の翻訳(意訳)

(1939年のアレンジでは太字の部分のみ歌われている)

 

Tome mi poncho... No se aflija...
¡Si hasta el cuchillo se lo presto!
Cite, que en la cancha que usté elija
he de dir y en fija
no pondré mal gesto.
――俺のポンチョを取れよ。心配いらねえさ。
ナイフだって貸してやる。
場所はそっちが決めろ。俺はどこでも行ってやる。
それでも、文句ひとつ言わねえ。

 

Yo con el cabo 'e mi rebenque
tengo 'e sobra pa' cobrarme...
Nunca he sido un maula, ¡se lo juro!
y en ningún apuro
me sabré achicar.
――俺はムチの柄ひとつあれば充分。
借りはきっちり返す。
俺は腰抜け(maula)じゃねえ、誓って言う。
どんな窮地に立たされようと、
俺は絶対、怯まねえ。

 

Por la mujer,
creamé, no lo busqué...
Es la acción
que le viché
al varón
que en mi rancho cobijé...
Es su maldad
la que hoy me hace sufrir:
Pa' matar
o pa' morir
vine a pelear
y el hombre ha de cumplir.
――あの女のために?

いや、違う。
信じろ、俺が好きで始めることじゃねえ。
俺の家で世話してやった、あの男の裏切り――
あいつの悪意が今、俺を苦しめている。
だから今日は、殺すか、殺されるか。
その覚悟で来た。
そして、男ってのは、覚悟を決めたら
きっちりケリをつけなきゃならねえんだ。

 

 

Pa' los sotretas de su laya
tengo güen brazo y estoy listo...
Tome... Abaraje si es de agaya,
que el varón que taya
debe estar previsto.
――お前みたいなクズ(sotreta)には
俺の拳で十分さ。もう覚悟はできている。
さあ、取れ。男なら来いや。
勝負に出る男は、
いつだって準備ができてなきゃなんねえ。

 

Esta es mi marca y me asujeto.
¡Pa ' qué pelear a un hombre mandria!
Váyase con ella, la cobarde...
Dígale que es tarde
pero me cobré.
――これが俺のやり方で、俺の流儀だ。
だがな、腰抜け(mandria)なんかと戦ったってしょうがねえ。
あの女と一緒にとっとと消えな。
あいつに伝えといてくれ。
もう遅いが――
俺は、しっかり借りを返したってな。

 

Bien Pulenta (超強烈に本物/やばいくらい筋金入り)

Juan Darienzo - Alberto Echague(1950)

 

“Pulenta” はルンファルド(スラム街のスラング)で「強烈な」「キレてる」「本物」の意。
「オレは筋金入りの男なんだぜ」という自己紹介ソングでもある。

 

その爆発的なリズムにふさわしく、歌詞も 超濃厚&電撃的。

アルゼンチンのスラング満載の男気タンゴで、まるでガレージで煙草ふかしながら語る人生哲学みたいな一曲。

タンゴの中でも異色の「アウトロー哲学」系。
拳より「黙って耐える男らしさ」を語っているのが渋い。

 

 全体の翻訳(意訳)

 

第一連:

Estoy hecho en el ambiente de muchachos calaveras,

entre guapos y malandras me hice taura pa' tallar,

me he jugado sin dar pifia en bulines y carpetas,

me enseñaron a ser vivo muchos vivos de verdad.

俺はならず者(calaveras)連中の世界で育った男。

喧嘩屋やゴロツキたちの中で、俺も一目置かれる男(taura)になったのさ。

溜まり場(bulines)やアジト(carpetas)で、一度もヘマせず命張ってきた。

本物のヤツらから、本物の生き方ってやつを学んだんだ。

 

No me gustan los boliches que las copas charlan mucho

y entre tragos se deschava lo que nunca se pensó.

Yo conozco tantos hombres que eran vivos y eran duchos

y en la cruz de cuatro copas se comieron un garrón.

俺は酔っぱらいがベラベラ喋る安酒場(boliches)は苦手でね。

酔ってるうちにとんでもねぇ秘密までバラしちまうような所さ。

俺は知ってる、やり手で機転の利く男たちを。

でも、四杯の酒(=酔いつぶれるまで)で墓穴を掘っちまった奴も山ほど見てきた。

 

サビ:

Yo nunca fui shusheta

de pinta y fulería,

y sé lo que es jugarse

la suerte a una baraja

si tengo un metejón.

俺は一度だってシュシェタ(スカした金持ち気取り)なんかじゃなかった
派手な格好や、見た目ばっかのヤツとは違う
命懸けの勝負がどんなもんか知ってる
カード一枚に運命をかけるってことさ
本気で惚れた女がいれば、な

 

Le escapo a ese chamuyo

fulero y confidente

de aquéllos que se sienten

amigos de ocasión.

俺はうわべだけのセリフ(シャムージョ)なんかは避ける
胡散臭くて馴れ馴れしい
自分を友達気取りするような
都合のいい時だけの友達なんてゴメンだ

 

Yo soy de aquellas horas

que laten dentro 'el pecho,

de minas seguidoras,

de hombres bien derechos

tallando tras cartón.
俺は、心の奥で本気で時を刻んだ瞬間の男だ
胸の奥でドクドク鳴るような
俺についてくる筋金入りの女たちがいて
そして真っ直ぐで筋の通った男たちと
カードの裏で本音の勝負をしてきたのさ

 

第二連:

Siempre sé tener conducta por más contra que me busquen,

aunque muchos se embalurden que soy punto pa' currar,

ando chivo con la yuta porque tengo mi rebusque

y me aguanto cualquier copo con las cartas que me dan.

どんなに目をつけられても、俺はスジを通す男だ。
多くの奴らが俺をカモにできると勘違いしても、
警官どもとは火花バチバチ、こっちは裏稼業で食ってるからな。
配られたカードで勝負する──どんなヤマでも腹くくって耐えてみせるさ。

 

No me gusta avivar giles que después se me hacen contra,

acostumbro escuchar mucho, nunca fui conversador.

Y aprendí desde purrete que el que nace calavera

no se tuerce con la mala, ni tampoco es batidor.
あとで裏切ってくるようなバカには、技なんか教えねぇ。
俺は昔から聞き役に回るタチで、無駄口なんざ叩かねぇ。
子どもの頃から知ってた──生まれながらのアウトローは、
運が悪くてもブレねぇし、警察に寝返ることもねぇ。

 

Don Juan Mondiola

Juan Darienzo - Alberto Echague(1950)

 

Don Juan Mondiola (ドン・フアン・モンディオラ)とは?

  • 伝説の「下町の色男」
  • 生き様が“粋”で、誰からも一目置かれる
  • それに対して、髪型と態度だけの「ニセ色男」が、失敗して笑われる

 この曲の“粋”は、笑いと敬意のバランスにある。皮肉でこき下ろしつつも、「ちゃんとしろよ、粋に生きろよ」っていう温かい下町の兄貴のメッセージが光る。

 

 全体の翻訳(意訳)

 

 第一連:「こいつ、ニセモノだな」

(ここで“Mondiola”が象徴するのは真の男らしさや色気。対して、歌われている相手はニセモノ。)

En el mazo de la vida sos un “frilo” remanyado

Mezcla rara de pescado con empaque de señor

Te pusieron “cuatro ´e copas”; el “grasa” y otras ranadas

Por tu porra lubricada al aceite de castor

Sos un punto “filipino”, propio para el cargamento

Sin clase, pinta, ni vento, con berretín de cantor

Y pensar que sos de un barrio de tangazos y de violas

El lugar donde “Mondiola”, dicta cátedras de amor.

人生というトランプの中で、お前はすっかりすり減った“使い古しのジョーカー”。

中身はイワシ、見た目は紳士風──そんなチグハグなやつさ。

“4 de copas”(=大したことない奴)ってアダ名されてるし、みんな“グラサ”(ださい奴)って言ってるぜ。

あの髪型──カスターオイルでベッタベタにした前髪のせいだよ!

お前みたいなのは“フィリピーノ”──軽くて運ばれやすい荷物。中身スカスカってこと。

品も、見た目も、金もないのに、歌手気取りかよ?

しかもお前、タンゴとギターが鳴り響く粋な街の出身だろ?

そこには「モンディオラ」がいて、愛について講義してるってのによ!

 

 サビ:「Don Juan Mondiola、あんたは違った!」

Juan Mondiola...
Vos que tenés experiencia
Y hacés arte de esa ciencia
Que se llama seducción.

フアン・モンディオラ、
あんたは色男の芸術を体現してた。
“誘惑”ってやつを、まるで科学みたいに操ってたよな。

 

Che Juancito...
Explicámele a este preso
La emoción que brinda un beso
Cuando talla el corazón.

なあ、フアンよ。
こいつ(=さっきのニセ色男)に教えてやってくれよ。
心から出るキスが、どれだけ感動を与えるかってことをさ!

 

Perdoname...
Si en compás de dos por cuatro
Este milonguero nato
Te quiera el parche batir.

すまんな。
この生まれついてのミロンゲーロが、タンゴのリズムで
あんたの名前を讃えたくなっちまってよ!

 

Pero viejo
Hay que hacer comparaciones
Pa´ que aprendan los “grasones”
Cómo tienen que vivir.

でもよ、こんな比較も必要なんだ。
“グラソ”(ださい奴ら)に、どう生きりゃいいか教えてやらないとな!

 

 第三連:「まあ、教えてやるよ…」

Disculpame, “cuatro ´e copas”, se me fue un poco la mano

Pero este “fato”, che hermano, yo te lo voy a arreglar

Si vos, como Juan Mondiola, sos de un barrio de vivachos
Y no hay derecho muchacho, que te cachen... escuchá:

すまん、“4 de copas”。ちょっと言いすぎたな。

でもよ、この“件”は俺がなんとかしてやる。

お前もフアン・モンディオラみたいに、粋な街の出なんだろ?
だったら、そんな情けない姿を晒すなって!

 

 ラスト:「人生はレースとミロンガだ」

Los domingos por la tarde enfilá pa´ la perrera

Que entre esa mersa burrera yo sé que te avivarás

Después, rajá a la milonga y aunque no te queden mangos

Te bailás tus buenos tangos y después... no hace falta más.
日曜の午後は競馬場に行けよ。

あの馬好きの連中の中で、ちょっとは賢くなれるはずだ。

そんで、金がなくてもいい、ミロンガに行け。

そこでいいタンゴを踊れりゃ、もう何もいらねえんだ。

 

El Nene del Abasto

Juan Darienzo - Alberto Echague(1951)

 

これはもう、裏社会の自分PRプレゼン
タンゴで言えば「ギャングスター・タンゴ」の典型。

  • ルンファルドの豊富さ(全体の3割以上がスラング!)
  • 自己正当化の語り口
  • 荒々しいが、どこか誇り高い美学

全体の翻訳(意訳)

 

Como estoy algo apartado
por razón de manyamiento,
ando de raje y sin vento
y apoliyo de parao.
No lo digo de balurdo
pero tengo mi patente,
soy junao en el ambiente
por El Nene o El Pesao.

🔹冒頭:街の隅で潜伏中

ちょっと訳あって、今は表に出てないだけ。
(※“manyamiento”は警察にマークされること)
逃げながら金もなくて、立ったまま仮眠する日々さ。
バカにされちゃ困る、オレは名の知れたやつだ。
“エル・ネネ”あるいは“エル・ペサオ”って呼ばれてる。

(ネネ(坊や)は若い頃から悪さをしてた意味。Pesao(重い)は「手強いヤツ」の意味。)

 

Pa’que vayan relojeando
la campaña que yo tengo,
debuté por ley de juego
en Bermúdez y Nogoyá.
Por lesiones y entreveros
me comí la ochenta y nueve,
mi prontuario no lo mueve
ni un piquete ‘e la Central.

🔹俺の履歴書を見てくれ

最初の一発は "博打法違反" で始まった。

ベルムデス通りとノゴジャ通りでよ。
喧嘩や揉めごとが重なって、懲役89号を食らった。(※おそらく刑務所の監房番号か、刑法の条文)
前科者リストは鉄壁だよ。

中央署の押収リストにもあるはずさ。

 

Si cualquiera ‘e los muchachos
tiene algún laburo en puerta,
que me pase la boleta.
Aprendí todos estos fatos:
purga, scruche, furca, atraco,
filo misho, descuidista,
ligereza y buena vista
para el cambiazo de paco.

🔹スキル一覧(まるで職務経歴書!)

仲間の誰かが

なんか仕事(ヤマ)を抱えてるんなら、

オレにも回してくれよ。

オレは一通り覚えたぜ、

留置場(purga)、空き巣(scruche)、恐喝(furca)、強盗(atraco)、

ナイフ技(filo misho)、スリ(descuidista)、

手際の良さと目利きのセンスは

偽物札と本物札のすり替えだってお手のもんさ(cambiazo de paco)。

 

Quien precise mi trabajo
le hago un precio acomodao,
soy El Nene del Abasto
pa’más datos El Pesao.

🔹仕事募集中!
仕事があれば、良心的な価格でやるぜ。
アバスト(市場地区)のネネだ、詳しくは“ペサオ”って聞けば分かる。

 

Si alguno lo pone en duda
lo que este coso comenta,
Moreno quince cincuenta,
que le pasen mi tosán.
Por apretar el gatillo
en una bronca fulera,
diez pepinos en Las Heras
me hizo morfar un fiscal.

🔹裏取りならここへ!
「ウソだと思う奴はモレノ通り1550番に行ってみな」
…あそこで“tosán”(紹介人/証人)に聞けば分かるさ。
銃を撃ったケンカで、ラ・セラス刑務所で10年食らったんだぜ。

 

Ochenta y dos remisiones varias,
con treinta en Devoto,
dos en tierra por el coco
y un kilo de apelación.
Son datos e informaciones,
pedigre de un chorro viejo,
y El Pesao con todo esto
se ofrece sin pretensión.

🔹“悪党としての履歴書”を締めくくる
82回送致されて、うち30回はデボト(刑務所)。
頭をやられて2回精神病院行き、
控訴だけで“1キロ”(=大量)あるってさ!
これは単なる事実だ。
ベテランのワルとしての“血統書”さ。
そんな俺、“ペサオ”が、今も人手募集中ってわけだ。

 

タンゴDJなら誰もが一目置く“貴公子”ディ・サルリ。

でも彼が歩んできた道には、情熱と葛藤、そして静かな反骨があった——

 

  1. いつもサングラスをかけていた理由

Di Sarliは子供の頃、事故で片目を負傷してしまった。それ以来、公の場ではほぼ必ず黒いサングラスを着用。 それが逆に彼の“神秘性”を高めて、「タンゴの貴公子」イメージに拍車をかけた。

  1. リハーサルでは超ストイック

彼は一音一音に対するこだわりが強くて、リハーサルでは数時間かけて同じパッセージを繰り返すこともあったそうだ。 でも、それを音楽家たちが嫌わなかったのは、Di Sarliが「美しさ」を追求する姿勢に一切の偽りがなかったから

  1. 絶対にクラップしない男

舞台に立ったあと、彼はほとんど拍手喝采に対して手を振ることもしなかった。 理由?「音楽ですべてを語った。説明はいらない。」という哲学ゆえ。 …渋すぎるだろ、アミーゴ。

  1. 「Bahía Blanca」はただの地名ではない

彼の出身地でもあるバイア・ブランカへのオマージュとして作られたこの曲。 でも本当は、自分のルーツ、家族、子供時代、そして失われたものへの祈りがすべて込められている、超個人的な作品といわれる。 あの流れるような旋律は、記憶の中の風景そのもの、というわけだ。

  1. タンゴ界の“リズムの王様”と対極だった

Juan D’ArienzoとCarlos Di Sarli。 この二人のオルケスタは、まさに陰と陽、火と水のような存在だと言われている。

Di Sarliのキャリア初期には、D’Arienzo的なスタイルを「求められて」いた時期があった。 1939年頃、Di Sarliがオルケスタを率いて初期に録音した頃、レコード会社(特にRCA Victor)は、明確に「売れるスタイル=D’Arienzo風」を望んでいた。 つまり、歯切れのいいリズム感、軽快でテンポの速い演奏が求められた。 Di Sarliはその時期、ある程度それに応じて、より躍動的でダンサブルなアレンジを提供していた。

でも…それは“本来のDi Sarli”じゃなかった。 内心では、彼はもっと柔らかく、詩的で、呼吸するような音楽を追求していた。 D’Arienzoが「タンゴを踊らせるリズム」に革命を起こしたとき、Di Sarliはあえて“滑らかさ”と“余韻”を選んだ。 「踊らせる」のではなく、“包み込む”音楽を信じた男だった。

つまり、Di Sarliは初め「外から与えられたリズム」に従っていたけれど、やがて「内なる静けさの音楽」を信じて自ら舵を切ったというわけだ。

今ではこの二人が、それぞれの美学を極めた“新古典派の二大巨頭”として語られている。

 

「アブラッソは、言葉にできない手紙だ。」

それは語らずとも伝わる想い。

過去も未来も包み込む、静かな魔法。

 

「踊りの『技』は音楽の装飾。『間』は、音楽そのものを感じる瞬間。」

音に反応するのではなく、音を“聴く”。

静寂の中でこそ、感情が踊り出す。

 

「『間』とは、心と心の抱擁。」

ステップではなく、呼吸でつながる。

その一瞬にこそタンゴの真髄が宿る。

『Tarareando』(1942)

Carlos Di Sarli - Roberto Rufino

 

この歌は、人生の苦しみや悲しみを表に出さず、傷ついても、裏切られても、それでも唇には鼻歌を。

表立って感情を語ることなく、鼻歌を口ずさみながら、前に進んでいく。
そんな切ないけれど、前向きで、軽やかな姿勢が描かれている曲です。

  

歌詞を読みながらふと思ったのは、次のように「鼻歌」を「タンゴを踊ること」に置き換えても、同じことが言えるんじゃないかということでした。

 

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『タンゴを踊りながら人生を歩む』
タンゴを踊りながら… タンゴを踊りながら…

 

たとえ傷口から血が流れようとも
その足取りにはリズムがある


もし心が痛み
悲しみや恨みが
ステップと共に流れていく

タンゴを踊りながら人生を歩む
そうすることでより良く生きられるから

 

タンゴを踊りながら… タンゴを踊りながら…
悲しみを隠しながら…

たとえ傷つけられていても
タンゴのステップでそれらを忘れていく…

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私たちがミロンガで踊る時、実は心の中にいろいろなものを抱えていることもあります。
それでもアブラッソの中で、音楽と相手にそっと寄り添いながら、丁寧に一歩ずつ踊っていく。

 

心地よいアブラッソを感じながら素敵な曲に身をゆだねていると、まるで自分がその音楽の一部になったような、陶酔感と癒しに包まれる時間があります。

時には、初めて踊る相手なのに、驚くほど自然に、深く、よい踊りができたと感じる瞬間もありますよね。言葉はいらなくて、呼吸と歩みだけで通じ合えるような、そんな感覚。


言葉じゃない、でもたしかに伝わる想いや気配がある——そんな踊りの時間って、まさに「鼻歌まじりに人生を歩む」ことそのものなのかもしれません。

そんな瞬間があるからこそ、Park Side Milongaの空間って特別なんだなと感じます。

  

これからも、タンゴDJとして音楽と人とのつながりを大事にしながら、ミロンガの中の、そんな小さくて美しい奇跡のような瞬間を皆様と共有していけたらと思います。

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『Tarareando』(1942)

Carlos Di Sarli - Roberto Rufino

(歌詞)

Tarararí, tarará,
tarararí, tarararí, tarará.


Tarareando voy por la vida,
tarareando... tarareando...
Y aunque sangre por una herida
a flor de labios tengo un cantar.
Si es que me muerde el corazón,
la pena o el rencor,
olvido
con mi canción.
Tarareando voy por la vida
porque así la vivo mejor.

Tarareando... tarareando...
las penas voy ocultando...
y aunque me esten lastimando
con mi tarareo
las voy olvidando.
Si me ha engañado un amor
tarararí...
o algun amigo falló
tararará...
Aunque yo viva sufriendo
nunca sabrán mi dolor.

Si me va bien, tararí...
Si me va mal, tarararí, tarará...

===================

 (和訳)

Tarararí, tarará, tarararí, tarararí, tarará. 

 

鼻歌まじりに人生を歩む 鼻歌まじりに… 鼻歌まじりに… 

たとえ傷口から血が流れようとも 唇には歌がある

もし心に痛み 悲しみや恨みがあっても 歌と共に忘れてしまう 

鼻歌まじりに人生を歩む 

そうすることでより良く生きられるから 

 

鼻歌まじりに… 鼻歌まじりに… 悲しみを隠しながら… 

たとえ傷つけられていても 鼻歌でそれらを忘れていく 

もし恋に裏切られたら タララリー… あるいは友が裏切ったら タラララー… 

たとえ苦しみながら生きていても 誰も私の痛みを理解しないだろう 

 

もし上手くいけば、タラリー… 

もし上手くいかなければ、タララリー、タララー…

 

「ラ・クンパルシータ」

 

作詞:パスクアル・コントゥルシ、エンリケ・ペドロ・マローニ

作曲:ヘラルド・マトス・ロドリゲス

 

(歌詞)

お前にわかるかなぁ

今も俺は心の中に昔お前に抱いた愛を温めていることを

俺が決してお前を忘れていないことを

わからんなぁ

お前が昔を思い出して俺を覚えているかどうかは

 

友達はもうやってこない

俺のことを尋ねもしない

誰も俺を慰めようとしない

俺が苦しんでいるのに

お前が行っちまった日から

俺の胸が苦しいんだ

言っておくれ

お前は何をしたんだ

俺の哀れな心に

 

だけどなぁ

俺ァはいつもお前を思い出すぜ

俺がお前に抱いた

あの清い愛を込めて

そしてお前は 俺の心の中にいる

俺の命のかけらなんだ

俺が決して忘れない 懐かしい夢の

 

ほったらかされた俺の部屋には

お前がいた頃のように

窓から朝の光が差すこともない

そして一緒に飼ってたあの子犬

お前がいないと何も喰わなかったが

或る日 俺が1人なのを見ると

あいつも俺を捨てて去ってしまった

(大澤寛 訳 参照)
 

(Español)

La Cumparsita

Letra:Pascual Contursi y Enrique Pedro Maroni

Musica:Geraldo Hermán Matos Rodríguez

 

Si supieras,
que aún dentro de mi alma,
conservo aquel cariño
que tuve para ti...
Quién sabe si supieras
que nunca te he olvidado,
volviendo a tu pasado
te acordarás de mí...

Los amigos ya no vienen
ni siquiera a visitarme,
nadie quiere consolarme
en mi aflicción...
Desde el día que te fuiste
siento angustias en mi pecho,
decí, percanta, ¿qué has hecho
de mi pobre corazón?

Sin embargo,
yo siempre te recuerdo
con el cariño santo
que tuve para ti.
Y estás en todas partes,
pedazo de mi vida,
y aquellos ojos que fueron mi alegría
los busco por todas partes
y no los puedo hallar.

Al cotorro abandonado
ya ni el sol de la mañana
asoma por la ventana
como cuando estabas vos,
y aquel perrito compañero,
que por tu ausencia no comía,
al verme solo el otro día
también me dejó...

 

(メモ)

1914年頃ウルグアイの大学生、マトス・ロドリゲス(当時17歳)によってカーニバルの行進曲として作曲された。

・1917年ロベルト・フィルポという当時の有名楽団によってタンゴの楽曲として編曲されるが、この時はそれほど流行ってはいなかった。

・7年後の1924年に作詞家のパスクアル・コントゥルシが(勝手に)歌詞をつけて売り出したところ、大ヒット。

・それ以来、各楽団が編曲の個性を表現する曲として定着し、その人気ぶりは100年経った今なお24時間365日地球上のどこかで必ず演奏されているというそんな逸話もある程

 

※Recitado(叙唱:話し言葉で語るように歌われる部分):

El día que me quieras

no habrá más que armonías,

será clara la aurora

y alegre el manantial.

 

Traerá quieta la brisa rumor de melodías

y nos darán las fuentes su canto de cristal.

 

El día que me quieras

endulzará sus cuerdas el pájaro cantor,

florecerá la vida, no existirá el dolor...

 

君が私を愛してくれる日には

あるのは心地良いハーモニーだけ

夜明けの光は輝き 泉は喜びに溢れるだろう

 

そよ風は静かにメロディーのせせらぎをもたらし

湧き出る泉は二人に水晶の歌を聞かせてくれる

 

君が私を愛してくれる日は

歌う小鳥はその声を甘く和らげ

人生は花咲き 苦しみは消えていくだろう

 

12/11は「タンゴの日」。

アルゼンチンの国民的英雄であるタンゴ歌手のカルロス・ガルデルフリオ・デ・カロの生まれた日を記念してお祝いする日とされています。

ガルデルは1935年に自身が主演する映画「El Dia Que Me Quieras(想いいの届く日)」のプロモーション旅行中、飛行機事故に遭い帰らぬ人となりました。

彼の死後も、「El día que me quieras」は彼の最も有名な楽曲の一つとして記憶され続けています。

直訳すると「君が私を愛してくれる日」。

逆に言えば、私の想いが君に届く日、でもあるわけで、それが邦題になっています。