Santa Milonguita
Infamia

Yo también

 

これらのダリエンソの定番タンダの歌詞をほとんどそのまま繋げると、一つの切ないストーリーのようになります(ほとんど脚色はしていません)

 

1.Santa Milonguita(ちいさな聖なるミロンゲーラ)

ちいさな聖なるミロンゲーラ…

その目はとても大きく澄んでいて、人をため息させた。

その唇は罪深いほどに、短く赤く、そしてそのまなざしは、海緑色だった。

 

彼女はいつも宴と喜びの象徴で、グラスのゲームでシャンパンを飲み干し、ある日、ふいに感傷的になって、“パンのように善良な人になりたい”と願った。

 

”贖われたの…新たな愛の情熱によって。”

人生の空を見上げながら、夢の小さな星が、いっそう輝いて見えた。

 

だがある日——愛が最も強く彼らを結んでいたとき、突然、悲惨が無情に彼女の扉を叩いた。

そして容赦なく、その愛から引き裂いた。

 

2.Infamia(恥辱)

人は、ひとたび誰かを傷つけようとすると、なんと残酷で、なんと獣のようになるのか。
やつらは、僕らを小劇場(ギニョール)の操り人形にした。
君の愛の姿と、僕の希望を、笑いものにして。

 

君の過去などどうでもよかった。
君の魂が未来へ向かって純粋だったから。
僕は喜んで腕を広げ、二人で道化師のように生きようとした。

君が「まっとうに生きたい」と叫んでも無駄だった。
「償いたい」と訴えても、誰も耳を貸さなかった。

 

人は残酷だ。
夢を見る者を憎み、嘲笑し、その最良の努力さえ、笑いながら谷底へ突き落とす。

 

君の過去と、僕の名誉は、見世物小屋のようにさらし者にされた。
そして二人の物語は、容赦のない恐怖のダンスを踊らされた──。

 

(以下省略されている歌詞)

君は、もう不可能だと悟ったんだね。
人と戦うのは地獄だから。
だから君は、何も言わず僕のもとを去った。
そして、自分の運命に沈んでいった。

 

そのときから君の人生は、自殺そのものだった。
恐怖と酒の渦に呑まれながら。
そして昨夜、君は本当に死んだ──
いま僕の感情は、君の眠りを泣いている…
…愛しい人よ。

神がどうか君の眠りを守ってくれますように。
夢に届かなかった愛の人形──

 

僕はもっと愛してあげたかった。
でも、それはただの願いでしかなかった。
君の魂が僕を許してくれますように──
僕のせいいっぱいの努力を。

君の希望は、白い衣をまとって、
死によって神の前に現れるだろう。
花嫁姿で──
君が夢見ていた通りに。

 

3.Yo también(私もまた)

──老いが忍び寄っている。
夜明けの向こうへと、人生は静かに過ぎ去っていく。
今朝、鏡を覗き込み、くたびれ果てた魂と目が合った気がした。

 

あの頃は、愛がそっと撫でてくれた。
夢があったから、いつも若くいられた。
だが今はひとり、人生の黄昏のなかで、生きてきたことのむなしさを噛みしめている。

 

私もまた、愛した人がいた。
その人は、苦しみの中にも希望という光を描いてくれた。

私もまた、愛の夢を生きた。
穏やかで、かすかな幻想を。

 

だが、愛は去り、魂は少しずつ死んでいった。

もう、生きることに意味は見いだせない。
これほどまでに苦しまねばならないのなら…

 

💔 後悔と赦し

この曲の主人公は、かつて彼女を深く傷つけて去った男。

そして、歳月を経て、ようやく後悔とともに戻ってきた。

タイトルの「Recién」(ようやく・今になって)という言葉が、

彼の遅すぎた気づきを強調している。

 

🧊 優しさゆえの残酷さ

 

最も心に刺さるのは、最後の一節。

 

“y tan solo hallé el castigo de todo tu perdón.”

「そして僕が見つけたのは、君の“赦し”という罰だった」

 

彼女は彼を責めない。責めるどころか、赦してくれる。

だからこそ彼は、自分の罪が余計に重く感じられる。

これはまさに、”赦しの痛み”。

赦されることで、自分がいかに罪深かったかを知る。

赦しとは、罰よりも重く、真実に向き合う鏡のようなもの。

 

それが“Recién”の本質。

 

 

🇪🇸 全文翻訳

 

Hoy, recién, recién,

vuelvo otra vez a tu lado con mi vida

escondiendo los fracasos,

ocultando las heridas.

 

いま、ようやく──

人生を携えて君のそばへ戻ってきた。

失敗を隠し、

傷を覆いながら。

 

Y hoy al encontrar

la protección de tus manos tan serenas,

recién siento que me apena

saber que te hice mal.

 

そして今日、

君の穏やかな手のぬくもりに包まれて、

ようやく痛みを覚えたんだ──

自分が君にひどいことをしたと気づいて。

 

Tenía menos años

y el corazón imprudente

por calles del engaño

rodó, rodó torpemente.

 

あの頃は若く、

軽率な心のまま

欺瞞の道を

転がるように彷徨っていた。

 

Me amabas, tanto y tanto,

que me cansó tu tristeza

y por no escuchar tu llanto

preferí no verte más.

 

君は、それはもう深く僕を愛してくれたけど、

君の悲しみがあまりに重くて

泣き声を聞かずに済むように──

僕は、君に会うのをやめたんだ。

 

Hoy, al retornar,

pensé encontrar el reproche de tu olvido

y tan solo hallé el castigo de todo tu perdón.

 

今日、帰ってきた僕は

君の忘却と責めを予想していた。

でもそこにあったのは、君の「赦し」。

それが何より苦しかった。

 

 

この曲は、一言で言えば「気づいたときにはすべてが遅かった」という後悔のタンゴ。

 

主人公の心理

主人公は、かつての恋人を自分から捨ててしまった。

でもその時には、自分が彼女を愛していたことにすら気づいていない。

「男は時として感情に鈍感で、失って初めて痛みを知る」――まさにこのパターン。

しかも彼女は、もう戻ってこない。

探しても見つからず、人生は空っぽ。

彼の心の中で、タンゴだけがその痛みと響き合い、踊るたび、聴くたびに彼は自らの死を近くに感じる。

 

🇦🇷 原詩と🇯🇵 翻訳

Amasado entre oro y plata
de serenatas
y de fandango;
acunado entre los sones
de bandoneones
nació este tango.

金と銀にまみれ
セレナータとファンダンゴに抱かれ
バンドネオンの響きに揺られて
このタンゴは生まれた。

 

Nació por verme sufrir
en este horrible vivir
donde agoniza mi suerte.
Cuando lo escucho al sonar,
cuando lo salgo a bailar
siento más cerca la muerte.

このタンゴは、
こんな辛く惨めな人生の中で
もがき苦しむ僕を見て、生まれた。
その旋律を耳にすると、
そのリズムで踊るとき、
僕は死をより身近に感じるんだ。

 

Y es por eso que esta noche
siento el reproche
del corazón.

だからこそ、今夜、
心が僕を責め立てる。

 

La abandoné y no sabía
de que la estaba queriendo
y desde que ella se fue
siento truncada mi fe
que va muriendo, muriendo...

僕は彼女を捨ててしまった、
そのとき、愛していたことにすら気づかずに。
彼女が去ってから、
僕の信じていたものは断ち切られ、
少しずつ死んでいっている…

 

La abandoné y no sabía
que el corazón me engañaba
y hoy que la vengo a buscar
ya no la puedo encontrar...
¡A dónde iré sin su amor!

僕は彼女を捨ててしまった、
心が自分を欺いていたとも知らずに。
今さら彼女を探しに来ても、
もう見つけることはできない…
彼女の愛なしに、僕はどこへ行けばいい?

🎭 現実か幻想か──その境界線

歌い手は、かつての恋人の「声」を聞いたように感じる。
それが実際に聞こえたのか、それとも記憶や渇望から生まれた幻想なのかは分からない。

主人公は、かつての恋人の「声」を聞いたように感じる。
それが実際に聞こえたのか、それとも記憶や渇望から生まれた幻想なのかは分からない。

でも、「声が聞こえた」時、それが現実であれ幻想であれ、それは“愛がまだ息をしている”証。

 

以下、全文の翻訳と解説。

 

🇪🇸 全文和訳

 

Miedo de morir,ansia de vivir,

¿sueño o realidad?...

死の恐れ、生きたいという渇望。

これは夢か現実か──

 

Algo quiere ser un amanecer en mi soledad...

何かが、この孤独の中に夜明けとして生まれようとしている…

 

Canto que olvidé,sitios que dejé,dicha que perdí...

忘れてしまった歌、去ってきた場所、失った幸せ──

 

¡Hoy en la emoción de mi corazón todo vuelve a mí!

今日、心の感情の中で、すべてが、私のもとに戻ってくる!

 

Oigo tu voz

¡la que mi oído no olvida!

君の声が聞こえる──
耳が決して忘れなかったその声が。

 

Me trae tu voz hasta mi pena 

escondida la luz y la vida de un rayo de sol...

君の声は、隠していたこの悲しみの奥まで届いてくる。
それは光であり、命であり、一条の太陽のようだ。

 

Vuelvo a escuchar

el nombre mío en tu acento,

sin descifrar
si es la palabra que siento mentira del viento,delirio, no más...

再び聞こえてくる、君の声にのった僕の名前。
でもそれが本当かどうか分からない。
風の嘘なのか、ただの妄想なのか──

(歌はここまで)

 

Tiemblo por saber

si en mi puerta estás,
si es tu propia voz;

震えてしまうんだ──
君が本当に扉の向こうにいるのか、
それが本物の君の声なのか、
確かめるのが怖くて。

 

y no quiero abrir

para no llorar
muerta mi ilusión...

だから扉を開けたくない。
もし幻だったら、泣いてしまうから。
僕の幻想が死んでしまうから。

 

Déjame pensar

que a salvar vendrás
el deshecho amor...

どうか思わせてほしい、
君がこの壊れた愛を
救いに来てくれるのだと。

 

¡Déjame creer

que eres siempre, al fin,
tú mejor que yo!

どうか信じさせてほしい。
最後まで──
君は、僕よりも優しくて、強い人だったと。

 

Ricardo Tanturiタンダの3つのタンゴの曲――

「La abandoné y no sabía」(愛していたのに気が付かないで)

「Oigo tu voz」(君の声が聞こえる)

「Recién」(今になってようやく)

これらの歌詞の和訳を繋ぎ合わせて一つのストーリーみたいにしてみました。

 

タイトル『赦しの声』

 

【あらすじ】

💔 後悔と赦し

この物語の主人公は、かつて彼女を深く傷つけて、去った男。

そして、歳月を経て、ようやく後悔とともに戻ってきた。

ところが、彼女は彼を責めない。責めるどころか、赦してくれる。

だからこそ彼は、自分の罪が余計に重く感じられる。

赦されることで、自分がいかに罪深かったかを知る。

赦しとは、時に罰よりも重く、真実に向き合う鏡のようなもの。

 

第1章:「La abandoné y no sabía ── 気づいたときにはすべてが遅かった」

 

このタンゴは、こんな辛く惨めな人生の中で、もがき苦しむ僕を見て生まれた。
その旋律を耳にするとき、そのリズムで踊るとき、僕は死をより身近に感じる。


僕は、彼女を捨ててしまった。
そのとき愛していたことにすら気づかずに。
彼女が去ってから僕の信じていたものは断ち切られ、少しずつ死んでいっている…

心が自分を欺いていたとも知らずに。
今さら彼女を探しに来ても、もう見つけることはできない…
彼女の愛なしに、僕はどこへ行けばいい?

 

第2章:「Oigo tu voz ── 君の声が、夜明けだった」

 

死の恐れ、生きたいという渇望。
これは夢か現実か──

何かが、この「孤独」の中に、夜明けとして生まれようとしている…
忘れてしまった歌、去ってきた場所、失った幸せ──

君の声が聞こえる──
耳が決して忘れなかったその声が。
君の声は、隠していたこの悲しみの奥まで届いてくる。

それは光であり、命であり、一条の太陽のようだ。

再び聞こえてくる、君の声にのった僕の名前が。

でも、それが本当かどうか分からない。
風の嘘なのか、ただの妄想なのか──

 

第3章:「Recién──ようやく、痛みを知る」

 

いま、ようやく──
人生を携えて君のそばへ戻ってきた。
失敗を隠し、傷を覆いながら。

 

そして今日、君の穏やかな手のぬくもりに包まれて、ようやく痛みを覚えたんだ。
自分が君にひどいことをしたと気づいて。

 

あの頃は若く、軽率な心のまま欺瞞の道を転がるように彷徨っていた。
君は、それはもう深く僕を愛してくれたけど、君の悲しみがあまりに重くて、泣き声を聞かずに済むように、僕は君に会うのをやめたんだ。

 

今日、帰ってきた僕は、君の「忘却の非難」を予想していた。
でも、そこにあったのは、君の「赦し」。

それが何よりの罰だった…

 

(話の流れ上、一部割愛したフレーズあり)

 

 

この歌はタンゴへの深い愛と、自らの記憶と人生が重なった「純粋なタンゴ」の姿を描いた詩。

 

表面的には「ある感情」とは何か?という主題を扱いながら、

実は「タンゴとは何か?」という根源的な問いへの答えを詩人自身が出している曲とも言えます。

 

最後の一節

「リズムはこんなにも素朴で慎ましいのに、

なぜその一節一節に悪しき例を刻もうとするのか?

この感情の残り火があれば、

心に届くのは、実にたやすいことなんだ。」

 

まさに、「タンゴは人生の鏡」ですね。

 

(以下、原詩 + 翻訳 + 解説)

 

 

 

Una emoción(ある感情)

Tango 1943

Música: Raúl Kaplún

Letra: José María Suñé

 

Vengan a ver qué traigo yo en esta unión de notas y palabras,

見てくれ、僕が今ここに――

音符と言葉の織りなす結びつきの中に持ってきたものを。

 

解説:

冒頭は聞き手に語りかけるような導入。「音楽と詩の融合」であるタンゴの一曲を紹介する姿勢。個人的な感情を共有しようとしている。

 

 

Es la canción que me inspiró la evocación que anoche me acunaba.

それは、昨夜僕を優しく揺らしていた想い出が

僕にインスピレーションを与えてくれた歌だ。

 

解説:

「evocación(想起)」は、ノスタルジックな記憶の波。タンゴが誕生した夜の情感をほのめかしている。「acunar(あやす)」という動詞の使用も詩的で、母の腕のように心を揺らす記憶がテーマ。

 

 

Es voz de tango modulado en cada esquina,

por el que vive una emoción que lo domina,

街角ごとに響くタンゴの声、

それに心を支配されて生きる者がいる。

 

解説:

「modulado en cada esquina」は、タンゴが街の隅々に生きている様子を表す。タンゴは生活の一部であり、感情そのもの。

 

 

Quiero cantar por este son que es cada vez más dulce y seductor.

歌いたい、この旋律を。

ますます甘く、魅惑的になっていくこの音を。

 

解説:

ここで言う「son(旋律)」はタンゴそのもの。時代とともに円熟していくタンゴへの愛が滲んでいる。

 

 

Envuelto en la ilusión anoche lo escuché,

compuesta la emoción por cosas de mi ayer,

昨夜、幻想に包まれてその音を聴いた。

僕の「かつて」の断片たちが、その感情を形づくっていた。

 

解説:

聴いていたタンゴの音に、過去の記憶が重なって「感情」が構成されていく構造。タンゴは記憶のスイッチ。

 

 

la casa en que nací,

la reja y el parral,

la vieja calesita y el rosal.

生まれた家、

鉄柵に絡むブドウ棚、

古い回転木馬にバラの花――

 

解説:

とても具体的で郷愁に満ちたイメージ。幼少期の思い出が感情の源泉となっている。感傷とともに描かれるブエノスアイレスの原風景。

 

 

Su acento es la canción de voz sentimental,

su ritmo es el compás que vive en mi ciudad,

そのアクセントは、感傷的な声の歌、

そのリズムは、僕の街に息づくビート。

 

解説:

タンゴは個人的なものであると同時に、都市文化の象徴でもある。情緒(acento)と都市(compás)が一体化している。

 

 

no tiene pretensión,

no quiere ser procaz,

se llama tango y nada más.

気取ることなく、

淫らにもならない,

それは「タンゴ」と呼ばれ、

それ以上でもそれ以下でもない。

 

解説:

タンゴに対する誤解(=卑俗だとか、低俗だとか)を否定し、その純粋性を称えている。ストレートな誇り。

 

 

Si es tan humilde y tan sencillo en sus compases,

¿por qué anotarle un mal ejemplo en cada frase?

リズムはこんなにも素朴で慎ましいのに、

なぜその一節一節に悪しき例を刻もうとするのか?

 

解説:

タンゴの美しさはその簡素さにあるという思想。そこに過剰なドラマや扇情を加えることへの異議。

 

 

Con este resto de emoción

muy fácil es llegar al corazón.

この感情の残り火があれば、

心に届くのは、実にたやすいことなんだ。

 

解説:

真のタンゴの力は、飾らずとも感情に届く力にある――という締め。音楽の力を信じる言葉。

【AranとAlanの対話】

〜「Super Tango DJ Alan」 が紡ぎ出すタンゴの哲学5選〜

 

1. タンゴと脳内ホルモン〜アブラッソが紡ぐ化学反応〜

 

アブラッソとは、心を預ける抱擁。

その一瞬、肌が触れ合い、呼吸が重なり、鼓動が伝わる。

脳は反応する。

「安全だ」「信頼できる」「心地よい」と。

 

すると「幸せホルモン」と呼ばれる小さな魔法が脳内にそっと広がり、

 不安を溶かし、孤独を癒し、二人の間に透明な絆を生む。

これはタンゴが単なる踊りを超え、“ダンスという形の抱擁”になる瞬間なのだ。

 

2. タンゴとワイン 〜陶酔と癒しのダンス〜

 

タンゴは、美味しいワインのようなもの。

踊りとは、そのワインを心と体で味わう儀式

 

アブラッソは、音楽という名の液体を注ぐグラスのようなもの。
香りを確かめ、舌にのせ、喉を通し、

じわじわと広がる酔いに身をまかせるようにアブラッソが交わされたそのとき、

世界はしっとりと熟成しはじめる。

音楽に酔い、リズムに酔い、アブラッソの温度に酔う。

 

タンゴは酔わせる――

しかし、 それは理性を失うような酔いではない。 

むしろ、自分の輪郭が柔らかくほどけていく優しい陶酔。 

体と心がゆるみ、深い安らぎへ沈んでいく。

それは、癒しであり、静かなる陶酔のひととき。 

踊りながら、自分自身に還る時間。

 

「タンゴとは、グラスに注がれた心の涙だ。」

でもその涙は、苦くない。熟成された悲しみだからこそ、人の心を酔わせる味になる。」

 

3. 命の鼓動と安らぎ 〜生きている証を感じる抱擁〜

 

アブラッソの中で、リーダーとフォロワーの心臓の鼓動がそっと重なる。

その瞬間、音楽のリズムと身体のリズムがひとつに溶け合い、 ふたりだけの時間が生まれる。

 

鼓動は、命がここに在る証拠

激しいビートではなく、静かな鼓動。

 早い心拍ではなく、安定した鼓動。 

その微かな振動を感じることで、 「私は生きている」「あなたも生きている」と、互いを確かめ合う。

 

ITやAIがいくら進化しても、 この微細で温かな命の共振を再現することはできない。

なぜなら、それは人間同士の触れ合いからしか生まれないから。

 

アブラッソは、生命のシンフォニーを奏でる儀式

 その響きの中で、私たちは言葉を超えた安らぎを手に入れる。

 

4. ミロンガの空気をつくる 〜DJの心構え〜

 

タンゴDJの仕事は、曲を選ぶことではない。

感情を紡ぐこと、空気を整えること。

 

その夜のミロンガは、DJという名の語り部が紡ぐ、音楽の物語。

DJは、自分の好みよりも、場の声に耳を澄ます者であるべきだ。

ときに、静かなさざ波のようなタンゴを。

ときに、情熱のうねりのようなバルス。

そして、クールなブレイクをくれるコルティナ。

 

「この一曲で、誰かのアブラッソが少し深くなりますように。」

「この一曲で、知らぬ者同士が心を通わせますように。」

そんな祈りにも似た気持ちで曲を選ぶこと。

それが、DJにできる最高の仕事。

 

そして何よりも、DJ自身が「踊っている」こと。

体はブースにいても、心はフロアの一人一人とアブラッソしている。

 

5. 追憶のダンス 〜心の中の対話〜

 

タンゴは、追憶でできている。

旋律が流れ出すとき、心の奥にしまっていた風景がふと立ち上がる。

誰かの声、昔の約束、まだ形にならなかった想い。

音楽は、時にそれらを呼び起こす鍵となる。

 

そして、名曲といわれる音楽に身を委ねるとき、人はただ聴いているのではない。

過去の自分と、今の自分が、静かに語り合っている。

「忘れていた何か」がそっと目を覚まし、 その記憶がアブラッソを通じて、相手にも伝わっていく。

 

音楽は外の世界のものだけど、それを聴くことで内なる世界が反応する。

つまり、聴くという行為は「受け取ること」であると同時に「思い出すこと」「感じ返すこと」でもあるのだ。

 

だからタンゴは、 ただの懐メロではない。

生きてきた証を、踊りながら思い出す儀式なのだ。

【Park Side Milongaの魅力】

〜その人気の秘密とは?〜

 

 

「金曜」のリズムがくれる安心感

 

「毎週金曜日に行けば、あの空気に会える」——

それは想像以上に強い磁力。

生活のリズムに組み込まれたミロンガは、カレンダーではなく、心が覚えている。

 

 

空間に宿る“気配”

 

Park Side Milongaには、ただのイベントを超えた気配がある。

照明、音楽、空間の温度、そして心づくしの手料理。

すべてが、自然と「踊りたい」という気持ちに火を灯してくれる。

 

無意識のうちに、心がこう呟いている。

「ここに、いたい」と。

 

 

🎵 音楽という“祈り”

 

タンゴDJにとって、選曲は祈り。

プレイリストには、単なる曲ではなく

流れがあり、物語がある。

 

音楽は、場を整える。

そして人の心を、整える。

 

 

🤝 人が価値を生む“磁場”

 

音楽は大切。でも、「場を動かす力」は、人の存在感そのもの。

 

Park Side Milongaが特別なのは、

誰かにとって価値ある存在が集まり、響き合っているから。

だから、初めての人もすぐに感じ取る:

 

「ここにいると、自分も踊りたい/踊ってもらいたい存在になれる」と。

 

それは、ただ“上手く踊る場”ではなく、

自分の価値が自然と開花する場なのです。

 

 

🌍 人が人を呼ぶ場所

 

ここには、言葉にならない感情を抱えて人がやってくる。

踊るために。楽しむために。何かと出会うために。

 

日本全国はもちろん、海外からも。

それぞれの想いを胸に、ダンスフロアで交差し、溶け合う。

 

Park Side Milongaは、国境も言語も越える“場”として育まれてきました。

 

 

💫 魂が育んだ哲学

 

そして何より大切なのは、それを意識的に育んできた運営の哲学。

 

目配り、気配り、心配り——

その芯にあるのは「皆様に喜んでもらえるミロンガにしたい」という情熱。

 

それが空間に調和を生み、

Park Side Milongaを「戻ってきたくなる場所」へと導いてきたのです。

 

 

🎯 最後に

 

ミロンガとは、踊りという“言葉を使わない対話”が行われる場所。

その舞台をどう彩るかは、主催者もDJもダンサーも、みんなで描く共作。

 

Park Side Milongaという場が、

これからも、誰かの物語が始まる場所であり続けますように。

 

 

🎶【Francisco Canaroにまつわる5つのこと】🎶

 

タンゴ黄金期を築いた最大のプロデューサー、フランシスコ・カナロ。

でも彼の背中には、汗と涙と、時代を動かす情熱があった——

 

1.タンゴ界きっての「実業家」だった

オルケスタのリーダーでありながら、カナロは劇場経営、レコード会社との交渉、映画制作にまで乗り出した。 単なる演奏家ではなく、タンゴを"産業"に押し上げた張本人。 そのビジネス手腕は、他の音楽家たちとは一線を画していた。

 

2.Poemaにまつわる逸話

カナロの代表作といえば、やはり「Poema」。 ただしこの曲、実は作曲したのは別人(Mario Melfi)。 カナロはこの美しい旋律に一目惚れし、自分のオルケスタでレコーディングすることで大ヒットに導いた。 絶妙なテンポ感と情感を吹き込み、"永遠の名曲"に仕立てたのはカナロのセンスとプロデュース力だった。

 

3.すべてを自分でコントロールしたがった

カナロは、譜面からリハーサル、メンバーの立ち位置に至るまで細かく指示を出したという。 その徹底ぶりは時に"独裁者"と呼ばれるほど。 でも、その緻密なマネジメントがあったからこそ、彼のオルケスタは常に高いクオリティを保ち続けた。

 

4.リズムの王様・D'Arienzoも頭が上がらなかった

若きD'Arienzoにとって、カナロは絶対的な存在だった。 劇場出演、レコード契約、放送枠…すべてにカナロの影響力が及んでいたため、彼に認められなければ前に進めなかった。 ある証言では「カナロが頷かなければ、D'Arienzoの黄金時代ももっと遅れていた」とまで言われている。 タンゴ界の道を切り拓いた、巨大な先駆者だったのだ。

 

5.時代を超える"ポピュラリティ"を持っていた

ディ・サルリ、プグリエーセ、トロイロ…… 数多くの偉大なオルケスタが登場しても、カナロの曲は常に"みんなが踊れる"スタンダードとしてミロンガに残り続けた。 難解すぎず、単純すぎず、どんなダンサーにも寄り添う絶妙なバランス。 それが、今もなお世界中で愛される理由だ。

 

🎭【オマケ:5大オルケスタをドリフターズに例えてみた】🎭

(「8時だョ!全員集合」のコントのタイトル風に)

もしも、黄金期のタンゴ界の5大オルケスタが、あの「ザ・ドリフターズ」だったら——?

  • Francisco Canaro いかりや長介
     → こわもてで、みんなを束ねた絶対的リーダー。(タンゴ界/お笑い界)の大黒柱。
  • Osvaldo Pugliese 仲本工事
     → メガネの技巧派。職人魂(ジュンバ/体操)を感じさせる堅実さ。だが、あくまで見た目の特徴。
  • Aníbal Troilo 高木ブー
     → ピチューコとブー。楽器(バンドネオン/ウクレレ)の名手。小太りで愛嬌たっぷり。みんなの心を温める存在。しかし、結局これも見た目の特徴。
  • Carlos Di Sarli 加藤茶
     → (ダリエンソ/志村)とは人気を二分する、洗練された人気者。エレガントかつ芸術的な(メロディ/ギャグ)で人々を魅了。
  • Juan D'Arienzo 志村けん
     → 圧倒的な人気を誇るスター。リズムの王様と日本の喜劇王。でもリーダー(カナロ/長さん)には弱い一面も。

...だめだこりゃー(笑)

 

【結論】

タンゴもドリフも、みんな違って、みんないい!✨

 

Pan Comido(楽勝?)

Juan D'Arienzo - Alberto Echague(1946)

 

 

 

このタンゴは、口だけ立派で実力が伴わない若者への叱咤(という名の罵倒)。
競馬・賭け・ポーカーといった比喩を連発して、
「虚勢・未熟・敗者根性」をコテンパンにやり込めています。

語り手は、おそらく人生を知り尽くした年長者。
だからこそ、辛辣なセリフの奥に
「世間の厳しさを教えてやろう」という皮肉な愛も感じられるかもしれません。

 

演奏面とのギャップ

この曲、アップテンポなリズムでダンサブルに演奏されることも多いけど、
内容はかなりの毒舌系。
でも、だからこそタンゴの深み
「足は軽やかに、心はズシリと重く」ってやつですね。

 

 全体の翻訳(意訳)

 

Sos un caído de la cuna, un pobre diablo, un maleta. 

En los hándicaps corridos siempre quedaste parao. 

Te has perdido el vento al póker porque no tenés carpeta y, sin embargo, en la vida nunca falta un buey corneta que haga yirar la bolilla que sos un tigre mentao.

お前は、揺りかごから転げ落ちたような負け犬、
哀れで情けない野郎だ。

どんなレース(人生の勝負)に出ても、
スタート地点から動けずに終わるばかり。

ポーカー(勝負事)でも風向きを見失うほどの無能、
作戦(知恵)も読みも何もない。
それでも、世の中にはいるんだよ、
「デカい声で吹聴して回る奴」が――
「お前はすごい猛者(虎)だ」なんてな!

 

El hombre en pista liviana, en barrosa y en pesada si tiene sangre en las venas jamás se debe achicar. 

Y a vos te han visto hacer buches amainando en la parada. 

Tendrás muy buenos aprontes, sos de mucha atropellada pero, en finales reñidos, sos mandria, sabés temblar. 

男ってやつは、軽い馬場でも泥だらけの馬場でも、
血が通ってるなら、逃げちゃいけないもんだ。

だがお前は、
スタートラインでビビってゴクリとつばを飲むだけ。
スタート前の身のこなし(アピール)は見事でも、
本番の接戦になると震えて尻込みする――
肝心なところで腰砕けだ。

 

No servís pa' acompañarme ni siquiera en la partida. No tenés chance ninguna... Pa' mí que sos roncador. 

Nunca marcaste buen tiempo, es muy pobre tu corrida. Cuando no se abre en el codo se me manca en la tendida. Te falta más performance pa' salir de perdedor.

お前なんざ、一緒に走る価値すらない。
勝ち目ゼロのハッタリ野郎だ。

これまで一度だって、いいタイムを出したことがない。
走り(人生の努力)もお粗末すぎる。
カーブでは外にふくらみ、直線では足を取られ、
一度も「勝者の列」に名を刻んだことがない。

 

Lo que uno sabe de viejo a vos te falta, botija. Sos potrillo de dos años, recién darás mucho sport, cuando andés como yo anduve como bola sin manija. Tenés que nacer de nuevo para correrte una fija. Aunque te juegues el resto no llegás al marcador. 

年を取ってやっと身につくものが、
お前には全部欠けてる。

お前はまだ2歳の若駒(駆け出し)。
派手に見せたい気持ちはわかるが、
俺みたいに「ハンドルもない球」みたいに
世の中を転がりまくってこそ、
本当のタフさってやつが身につくんだ。

お前は、生まれ直して出直さなきゃダメだ。
いくら持ち札を全部賭けても、
その名は順位表にさえ載らない。