こんにちは、そしてお久しぶりです…!
もうすぐで4月になる!やばい!となり、久々に顔をひょっこりと出させていただきました…。笑
そんなこんなで、かなり投稿するのが遅くなってしまいましたが…。
2月20日土曜日、13時公演、
この日舞台『いまを生きる』を観に行ってきました。
ということで感想などいろいろと書いていきたいと思いますが、今回もいつも通り変わらず本来のストーリーとは違い流れやらなんやら色々とバラバラだったり時間が経っているため実際とは違ったりなんやかんやしていると思います…。
それら全て含めてなんとなーく読み取っていただけたら幸いです…はい…。
ということで…、書いてきたいと思います…!








2021年2月20日(土)13時公演。
この日は舞台『虎者』ぶりの久々の新くんでした。
どんな感じで演じるんだろう、またどんなお話しなんだろうとドキドキしながら待っているとついに開演時間へ…。
センターには校長先生、そして椅子に座り一人一人挨拶みたいなのを言っていく生徒たち。
そして最後はトッドが校長先生と握手か何かをするというシーンなんですが(この時きっと私だけが思っていたことだと思うんですが)、トッドをみていて少しおどおどじゃないけどこう…なんだか身体がムズムズするような感じになり、なんだかちょっとイラッとしちゃったんですよ…。
「んもう!何モニョモニョしてるのよ!」って。笑
でも今も思うと普段アイドルアイドルしている可愛い新くんをみているとそんなこと全く思わないんですよ。
でも、こんな冒頭からトッドを演じる新くんをみていてすごくもどかしいというか…そんな気持ちになるということは、それぐらい新くんの演技力がアップしているんだなぁとか…。





さてさて、話は変わりまして、センターで先生と生徒が集まり話をするという授業のシーンがあるのですが、一歩下がりみんなとの距離を置いて先生の話を聞くトッド。
ここだけでなくその他にもみんなは先生の周りに集まりトッド1人だけは一歩引いて話を聞いたり…と、みんなとの距離があるというシーンがいくつかあったんですよ。
このまま誰にも気付くことなく終わるのかななどと思いながら見ていたら、ただ1人、ニールだけはトッドのことを気にかけていたんですよねぇ…。
例えば先生の学生時代のアルバムを見るシーンではニールがトッドの方をチラッと見たり、またみんなが『死せる詩人の会』を開くため洞窟へ向かった時、ニールはトッドにどうする?と気にかけていたり…。
その時トッドは声は出したくないから行かないなどいろいろニールに言うんですね、でもニールは声は出さなくてもいいよとか書記係でいいなど言い『死せる詩人の会』が開かれている洞窟へトッドも行くことになるんですよ。
なんだか、こう…ニールは話す言葉うまいというかなんというか…人の心に入るのがすごい上手な子なんだなぁと感じました。
というのも今からお話しすることはここの場面とは関係ないお話でまた自分の憶測でしかないんですが、トッドがニールに「僕はニールとは違う」と言うシーンがあるんですね。
でもそんなトッドに対してニールはそんなの関係ないよというように、ニールはトッドが勝手に自分の中に作っていた壁を、殻を、次々と壊していくんですよ。
その様子を見ていて、ニールはなんてすごいんだ、と…。
もし私がニールの立場だったらどう行動していたんだろう…、もしかすると最初はニールと同じで彼のことなんとかしたいなどと思いからいろんな行動をしているのかもしれない…。
けれど、トッド自身、全然変わらなければきっと、どんだけネガティブなんだよって思ってしまい自分自身疲れてしまい逆にトッドから距離を置いてしまうかもしれないなと…。
でもニールはどれだけトッドに壁をつくられても屈することは決してせず…、そう思うとニールは人としてすごい人だなと感じました…。





…またまた少し話が逸れてしまったので話を戻しまして…、これもまた授業中に起きたシーンのお話なんですが、教科書に載っているのをみて感じたことを話すという感じのシーンがあり、キーティング先生はトッドに「思ったことを話すんだ」「周りの言葉なんか気にするな」といい、トッドはキーティング先生に言われた通り目をとじて感じたこと思ったことを次々と言っていくんですね。
そして段々と声が大きくなっていき、ついに最後には今までにないぐらい大きな声をあげるトッド。
この時、ついに自分の中にあった殻を破ったのか少し雰囲気が変わり…、そのあとニールはトッドの元へ駆け寄りよくやったと褒め、とても嬉しそうなトッド。
…と、書いていて思ったのはこの時もそうなんですけど、やっぱりニールは相手のことを思いやる気持ちがすごくあるんですよねぇ…、先生もそうですがトッドが欲しい言葉を嘘でもなんでもなくニールはちゃんと伝えているんですよね…。
しかもそれだけじゃなく気づいたらニールはいつもトッドのそばにいるんですよねぇ…。
…うーん…ニール最高か…。





そしてニールとトッド2人のシーンでは、今日は自分の誕生日で、今年の誕生日プレゼントは去年と変わらず同じマグカップだったと話すトッド。
その時トッドは「(自分の両親は自分に愛情があるわけじゃないから)去年の誕生日プレゼントなんて覚えているわけがない」と、少し寂しそうにいうんですね(といってもそう聞こえるだけかもしれませんが)
でもその時ニールが「また来年も同じものもらえるから…、前もらったマグカップをここに投げてみて」とゴミ箱を持ち話すニール。
トッドはニールに言われた通りゴミ箱にマグカップを投げ入れると、「3点!」といきなり点数をいうニール。
というのも、「今回は(点数)低いけど、また来年も貰えるんだからまたやればいいよ」みたいな感じで意味のある点数を言っていたんですね。
この時、なんだか私の心まで救われた気持ちになったのと共に、よくドラマや小説などにある言葉で「来年も」と言うワードを聞いて少し胸騒ぎをしちゃったんですよ…。
でも、今まで嫌だったマグカップが、そんなのどうでもいい!って笑顔になるトッドを見てそんな考察どうでもいいかと思ったり…。
なんて言ったって今まで誰にも心を開いていなかったトッドが今ではここだけではありませんがこんなにも可愛く笑ったりするようになったんですから…。泣





そして今回もいつもの洞窟にて『死せる詩人の会』が開かれ…。しかし、今回は珍しくニールは不在…。
というのもニールの父親は自分が昔できなかったことをニールにさせたりするぐらいかなり厳しい父親で、今回、ニールの父親にニールが父親に内緒で演技の勉強をしていることがバレてしまい…。
この時ニールは父親に初めて自分がしたいことが見つかったと父親に演技の良さなどを伝えるもののニールの父親は理解することなくダメの一点張りを…。
ニールは大好きな演技はもうしないと諦めていましたが、キーティング先生に相談し、ニールの背中を押してもらい父親に反対されていた演劇をすることに。
公演当日父親に内緒で演技をするニール、公演後いろんな人たちから大きな歓声をもらうが父親はそれを見てさらに激怒を…。
そのあと父親がニールを家へ連れて帰るんですがその時今まで人に対して…というよりも、何があっても決して自分から動くことしなかったトッドがニールの元へ駆け寄るんですよ…。
ここのシーンを見た時、仲間意識というのもありますが自分の意思で動くということはそれだけニールに対して思うことがたくさんあるんだなと感じ心にグッと…。





そして自宅にてニールと父親が話し合うシーンがあるんですが、その時ニールの父親は今の学校から転校させらやらなんやらと話し合いを…。
一方、いつもの洞窟にて『死せる詩人の会』を開くみんな…。
この時、珍しくいつも書記係で喋らないトッドが読み上げたりしているんですよ…。
トッドが前へ一歩一歩進み始めている時に、ニールは…自分に拳銃を向けて頭を撃ち自殺を…。
…これは私の考えに過ぎないのでなんともですが、きっとニールにとって転校するという選択を選ぶぐらいなら、また大好きな演技ができないというぐらいなら死んだほうがいいと思い死を選択したのかなと…。
それぐらいこの学校が、クラスメイトが、先生が、演劇が…大好きで大好きで…、またニールにとって初めて生き甲斐というのを見つけたんだと強く感じました…。





そして1人、部屋にて楽しそうに書いている中、チャーリー達がきて「ニールは死んだ…」という事実を知らされて大きなショックを受けるトッド…。
そのあとトッドは「父親だ…父親が殺したんだ…引き金引いていなくても、殺したのは父親だ」みたいなセリフを言うんですね、その言葉を聞いて確かにそうかもしれないなと感じました。
というのも、これまた話が逸れてしまいますし少し違うかもしれませんが、実際に言葉の暴力というのがあるように何気なく言ったその人のその言葉が人を死へやることがあるんですよね…。
しかも何がってその言葉を放った本人は自分が悪いということに全く気づいていないんですよね…、…亡くなったあとに自分が悪かったと気づけばいいのですがこれまた気づかない人が大半なんですよね…。
今回は言葉の暴力とは違い父親がニールを死へ追いやってしまいましたが、きっとニールの父親もその気づかない人のうちの1人なんだろうなと…。
…これまた少しだけ先のお話なのですが、キーティング先生を辞めさせるという流れになった時にニールの父親はキーティン先生のせいで…と、自分ではなくキーティング先生がニールを自殺へと追い込み殺した思い込んでいるんですよ…。
でも実際はニールの父親なのに…、ニールの父親は自分がニールを殺したということに気づいていないんですよ…。
そう考えると今回の舞台は現代のお話ではないのですが、現代と同じようなことが昔からあったんだなと…、時代はこうやって繰り返していくんだなと残酷さを強く感じました。
…昔からの関連でいえば、チャーリーが女子生徒を入れるやらなんやら少し騒がせることをしたんですね。
それで校長先生はふしだらやなんやらで怒り、チャーリーに罰を。
その罰とは、チャーリーにズボンを脱がせてつけていたベルトを預かり校長がチャーリーのお尻を何回も何回も叩くという… 。
舞台『いまを生きる』に限らずですが、こう言う光景は見ていてとても苦しくなります…、し、今はこういった罰はなくなりましたが(逆に今は毒親やらなんやらいうぐらい立場が逆になっているという…)、昔はそういった罰は普通にあったんだと思うと…うーん……いろんな意味で時代を感じる…。





さてさて話を戻しまして、ニールが死んだと知らされ泣き崩れるトッド…。
その姿を見て、最初は何者でもなかったニールの存在がトッドの中で大きくなっていたんだなとすごく感じました。
仲間の死というのは大きいけど、でもトッドにとってニールはただの仲間ではなかったんだろうなと…。
というのも劇中にニールが演技の話をしている時「トッドは傘をさして雨の中飛び出さない」みたいなセリフがあったんですね。
みんなは傘をささずに雨の中へ飛び込む(人と人の間に壁がない)けど、トッドだけは傘をさして雨の中飛び出さない(人と人の間に壁がある)と。
この時は確かにそうだなと思いましたが、後半になるにつれて、ニールと仲良くなるにつれてトッド自身が自分に自信というかそれを身につけはじめており、また少しずつ壁が壊されていくのがとても感じられました。
実際にニールには可愛い一面を見せたりしていましたし…、友達を大切にする優しい人想いな子なんだなとか最初はわからなかったことがたくさんわかるそれぐらいニールに心を開いていたんですよね…。




そして『死せる詩人の会』をやっていたとみんなを裏切り先生に報告をしたキャメロンのシーンでは、どうせバレるんだとかなんだとかで喧嘩をしてみんなバラバラになり…。
そのあとキーティング先生を辞めさせるということで生徒たちの署名が必要になるんですが、チャーリーは署名するぐらいなら退学してやるということで退学を選択…。
そしてトッドが校長室は呼び出され向かった先には、校長先生とニールの父親が。
この時トッドは反論するものの校長先生の圧により署名することに…。
そして、キーティング先生はクビになり…、代わりに校長先生が彼らの先生役として授業を…。
ショを読み上げなさいと校長先生が言うが、そのページはないという生徒たち…。
(というのも序盤、キーティング先生が破り捨ててしまえなど言ってページを破って捨てていたんですね…、なんとなく過ぎていったあのシーンがついにここで回収かと…少し感動してしまいゾクゾクとしました…。)
そのあとキーティング先生が荷物を取りに教室へ…、すると、「無理矢理かかされました!」などキーティング先生に強く訴えるトッド…。
その言葉を聞いて優しく「君を信じるよ」と返事をして去ろうとするキーティング先生…。
すると机の上に立ち「おお、キャプテンわがキャプテン!」とキーティング先生に伝えるトッド…、続いてノックス…ミークス…と机の上に立ちキーティング先生を見送る…というシーンがあるんですが、ここのシーン…3人が机の上に立つシーン最高に良すぎて涙が止まりませんでした…。
また、ここのシーンについてはパンフにて、基くんが「キャプテンとはキーティング先生のことなのですが、もしかしてニールにも向けられた言葉なのかもしれません。2人を同時見送る思いであの言葉を言うつもりです」と言っていてなるほど…と、なったのと共に鳥肌がゾワゾワと…。
少しでも内容を理解したいと思ったりするため色々と深く考えながらついつい舞台など観てしまうんですが、まさかこのセリフにもそういう意味が込められているとは…すごい…。





ストーリーとしましてはここで終わりなんですが、先程書いていた3人が机の上に立つ、というシーンではキャメロンだけ…最後そのシーンで1人だけ机の上に立っていなかったんですよね。(もし立っていたら私の座席からは見えなかったの…ごめん…。泣)
『死せる詩人の会』のことを先生たちに話して裏切ったやら何やらありましたが、ここでもキャメロンは…。
お前さんはここでも裏切るのか、とか色々思ってしまいましたが、でも1人の先生のために自分が退学になると考えれば…その手段を選ばざる終えなかったのかなとか…。
……いや、でもやっぱりキャメロンだけは許せない……、……許せない!!!!!
そして校長先生やニールの父親にはずっと腹を立てていましたが、学校の風刺風習を守ろうとしたらそういうことになるだろうしパンフを読んでニールの父親の心情や校長先生の心情などを知りわからなくはないなぁと…。
というのも、
飯田さん(ニールの父親)「父親として子供の幸せを願いつつも成長を続けるニールに自分の気持ちを伝える術を見つけられず四苦八苦している。他の生徒たちと同じように真面目で不器用で必死に生きている」
佐戸井さん(校長先生)「壁という立場の役柄はやはり感慨深いものがある。初めて台本を読んだ時な校長は少年たちに立ち塞がる壁だと思っていたが、稽古を重ねるうちにノーランは決して悪い人ではないと感じるようになった。生徒たちにとっては煙たいし越えなくてはならない人間だけど大人にとっては悪ではない。今は牧羊犬だと思っていて、羊を追いかけて狼から守る牧羊犬。羊からは狼の仲間だと思われてもあくまで任務に忠実な牧羊犬、そう見えるように心がけている。しかしあまり威圧的になりすぎないようにもしていて、大人が見て理解や共感してもらえるように秘密の稽古場で大声を出して1人練習をしている」
と…。
いや、こんなのパンフ読まないとわからないじゃないか…!と、めちゃくちゃ今なっています。笑
でもそう感じるのは私の考え方がまだまだ幼いということなんだろうなと感じました。





そんなこんなで…、舞台『いまを生きる』は色々と感じさせられる舞台だったなと観ていてもそうでしたし、今感想を書いていてもすごく感じました。
また途中ニールはいい人やらなんやら書きましたが、もしかするとニールとトッドは似たもの同士だったのかもしれないなと思ったり…。
トッドの両親は自分に愛情がない…、一方ニールは父親が不器用なため自分の気持ちを伝えれずうまくニールに愛情を与えれない(父親はニールのためを思って行動をしているが本人は愛情がないと感じている)…。
だからニールはトッドの気持ちがよりわかり、寄り添っていたのかなとか…。
また、もしニールが死ぬことなければ…、もし違う環境だったら2人はもっと…。
…といっても私の憶測でしかないのでなんともですが…。
…これまでずっとダラダラと訳がわからない感想やたらればを書いてきましたが、舞台の良さをちゃんと伝えることができずとてももどかしい気持ちでいっぱいです…。
でももしまたいつかこのメンバーで再演などあればまた観に行きたいと強く思うぐらい、本当に本当に最高の舞台でした。
キャストの皆さん、そしてスタッフさん…本当に本当にお疲れ様でした…!!!!!
そしてそしてまたいつか新くんの演技を観て成長を感じることができる日を楽しみにしています…!!!!!
この度は、素敵な時間を本当に本当にありがとうございました…!!!!!
(ちなみに最後、新くんが泣いているシーンや3人がキーティング先生を見送るシーンとかを観て本気で泣きました)