東奥日報夕刊(リレーエッセイ)最終回

タイトル『デジタル時代どう生きる』

4月27日(金)東奥日報夕刊寄稿~~~!

半年間お世話になりました。今回最後となります。

よんでみてください~~!


東奥日報夕刊『リレーエッセイ』第6回目原稿      2012.4.27号 

 


 デジタル時代どう生きる




 私達の業界でも今やパソコンが無ければ、もう生きていけない時代になっている。デジタルカメラ、デジタル写真、何でもデジタルである。フィルムで写真を撮る人も激減、写真は、ホームプリント、テレビや通信システムもすべてデジタル化、携帯電話などの通信端末機もその精度を増し、考えられないような便利な機能であふれている。



 IT産業をはじめとして、様々なデジタル通信システムやその技術で、新しい産業も業界も増えてきた。私もついていくのが大変である。しかしパソコンやデジタルシステムがないとこれまた生きていけない。便利な世の中になったものだと感心するが、その分社会悪となるものもかなり横行している。



 考えてみると、好きな人に自分の気持ちを伝えた『ラブレター』や毎日の思いを書き留めた世界に一つの『自分の日記』、古き良き時代の文章を自分の手で書くと言うアナログ的な習慣はまだ残っているのだろうか?



 写真撮影においても、数ある種類のフィルムをその撮影内容によってまず選択し、ピントを合わせ、絞りを決めて、どう写るかわからない不安な気持ちで撮影し現像する。仕上がるまでのその時間が、そのドキドキ感がたまらないのである。しかし、今の時代は何も合わせずシャッターを押し、すぐその場で映りを確認する事ができる。なんか便利だが味気無い。



手紙はメールに、日記はブログに、瞬時に正確に気持ちを伝え世界中の人と共有する事もできる。映像や動画も世界中飛び交っている。

『デジタル』を訳すと『数値化』と言う意味になる。その情報を数値化して並べプログラミングする事で、考えられない不思議なことが可能になる。私のわからない世界だが、その技術的なデジタル時代を築き上げた人間もまた、さすがである。



古き良き日本文化を思う時、デジタル時代の人と人とのコミュニケーションやそのスタイルに対し何か寂しさを感じる。


百人一首にある阿倍仲麻呂は奈良時代、16歳で遣唐使として大陸に渡り、結局日本に帰れなかったのであるが、ふるさとを想い書いた詩『天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出(い)でし月かも』は、私の好きな短歌ではあるが、深い想いがしみじみ伝わってくる。これがもしメールで送信されてきたらと考えるとすこぶる滑稽である。



デジタル化は人類の凄い進歩ではあるが、それを開発したのは、あくまでもアナログ的な人間である事を忘れてはいけない。古きを訪ね新しきを知り、デジタルの世界に人間が使われるのでなく、人間がデジタルを使いこなす事が大事である。


今回が最後の寄稿となります。これまで読んでいただきありがとうございました。