────不幸も幸福も偶然のようで必然なのだと思う。

    

終わりはいつも突然だ。

馬鹿ップルと周りに騒がれていた仲だった妻と離婚したのがそれだ。浮気されたのだ。それだというのに、唯一の望みの娘は妻の元へ行ってしまった。離婚届を出した後の事まで織り込み済みだったようだ。残されたのは住宅ローン後20年の家と会社員の自分と車検切れの軽自動車。自分の行く末には不安しか過らない。出て行った元家族は行方知れずで娘が何処の学校に通ってくれるのかさえ教えてはくれなかった。

娘に誕生日プレゼントを渡す資格がないとでもいうのか。

 

その後は会社で一生懸命に働き、出世し、とうとう社長にまで上り詰めた。努力の結晶だ。金目当てなのか、沢山の女性がが迫ってきたがすべて断った。あの子を裏切ってしまうのは少しばかり、罪悪感がきてしまうからだ。

社長になって、苦労することは多々あったが。生活で困ることは一つもなかった。

まさに順風満帆な日々。

それが、ある時を境にして終わりを告げた。自分が告げた。

これから先遊んで暮らしても、余りあるほどの額が手元に残っている。これ以上、働く必要はなかった。

それから数か月がたって、あの会社が倒産したことを知った。気には留めなかった。

 

社長だったことをどこで耳にしたのか、あの妻が電話をかけ、再婚しようと申し出てきた。どういう神経をしているのか、自分にも分からない。自分は只、その電話を切る事しかできなかった。

切る直前に、娘の声が聞こえたのは幻覚だ。

 

人生は山あり谷ありだというのは五月蠅いほど理解しているつもりだ。だから、平凡であるように、楽に生活できるように努めている。この家の広さも、飾りも、侵入してくる虫も、気にするのは自分だけだ。

そんな日々を生きてきて、初めて孤独を感じた。誰かと関わりたいと。

闇に居る花が光に焦がれるように、久しぶりに外出することにした。

何を思ってなのか、ウケ狙いなのか、昔購入したカラフルなバンダナを手に取ってから。

 

行先は老舗の喫茶店。ネットでの評価も高く、中でも海老カツサンドイッチが絶品のようだ。

利用する乗り物は電車にした。人が多く、鬱陶しいのこの上ないが、気にしなければ問題はない。

頭のバンダナが脱げないように手で抑えながら、乗車した。傍から見れば道化のように想われるだろうか。

満員電車なため、電車が動けば、人は揺れる。自然と真ん中にいた自分も段々、端へと押されていく。

こんなに大変な物なのか、とイライラが澱のように心に溜まっていくのを感じた。

すると、電車内でのアナウンス流れた。次の駅はもうすぐですよ、と。このような状況も少しはましになるだろう。

 

次の駅に着くと、自動的にドアが開く。波が出来る程に集まっていた群衆は雪崩のように駅のホームに投げ出された。この駅は目的の駅ではないため、その流れには負けるものか、と必死に壁にしがみついた。

ただ、頭のバンダナは人々に紛れ込んで流れて行ってしまった。あれはあれで思い出のバンダナなのだ。手を伸ばし、回収しようとする。しかし。

ドアが閉まるアナウンスを聞いた。すぐさま諦めて、手を引っ込めることにした。今となっては、あの臆病な自分を後悔する。

 

目の前で踏まれていくバンダナを、自分は窓越しに眺めることしかできなかった。気が動転してしまいそうな喪失感を覚えた。このガラスを壊して、あのバンダナを手に取れたならどれだけ嬉しいことだろう。

発車する間際、そのバンダナを拾う影が見えた。

その瞬間だけ、自分は悪夢から目が覚めたようにほっとした。

あのバンダナには名前を記入しておいたため、忘れ物センターにでも連絡しておけば帰ってくる。

自分は次の駅についたら、すぐさま反対方向の電車に乗り換えた。

 

運動を滅多にしない自分が全力疾走でセンターに着き、荒い息をつきながら事情を話す。

ありません、とだけ返された。

もう一度、事情を説明した。反応は、意味も、イントネーションも、表情も同じだった。

ならばどうする。百万払って業者に頼む、という考えが頭に浮かぶ。今の自分の全財産投げうってでも見つけたい。そういう執着が徐々に大きくなっているのを感じた。

あれが、唯一自分に残された家族との思い出なのだ。──────唯一の、あの娘とのつながりなのだ。

 

自分の涙から汗のように涙がぽろぽろとひとりでに零れ落ちるのが分かった。

最初は何故泣いたのかわからなかった、それは大切な物を無くしたからではなく、また明日生きていこうと思える自分を失ってしまうのが怖くて泣いているのだ。

けど。

俺は頭を横に振った。涙は服で拭った。

周りに会社員や女子高生がいるってのに、こんな爺が泣くなんて醜態みせられるわけもない。

「そろそろ、独り立ちしねぇと。誇らしい父親でいれねぇよな」

思い通りにはいかない人生にくそったれと、小言を吐く。

もう一度自分の行く先に全てを賭けようと思えた。