恵吾と別れてから、数か月が経った。

しかし、それから何が起こることもなく平和な毎日が続いていた。

俺がいつもの中華料理店に、いつもの時間に来て、昼食を食べようとしているのが、その証。

 

 

「お客さん、どうぞ。チャーハン大盛りにしときましたよ」

 

と、店の人は一言添えて皿を置いた。それまで読んでいた新聞を折りたたみ、手をつけようとする。

そこで、店の人と俺の記憶が食い違っていることに気が付いた。

 

確かに、チャーハンは頼んだのだが、大盛りにした覚えはない。

仮に頼んだとしても、俺の食欲はそんなにない。

 

「…ぇ、いや。頼んでないです」

 

「いいえ、お構いなく。これは常連の客に向けたサービスですので」

 

と、悪びれることなく店の人はそう言って立ち去って行った。

結構です と俺が断れずに。

サービスとはいえ、食欲のない客に行うのはただの罰ゲームでしかないというか…。

まぁ、善意でやってくれることだし、ありがたく受け取ろう。

 

「む…」

 

というわけで、さっそく口に放り込んでみた。が、いつもと違う味がした。

なんというか。何もかけてないのに、酸っぱいというか、甘酸っぱいというか。

いや、違うな。別の味もする。

甘い。酸っぱい。…苦い。辛、い。う、旨い…⁉

チャーハンの中を探索していけばいくほど、別の味が掘り出されていく。

味の基本となる五味が全部そろっている。 

……。

何処のどいつだ。五味を揃えると、うまくなるんじゃないかな~、とか考えた奴は。

不味くなるに決まってるだろ! バカか!

 

「…不味い。何で作ったら、この味になるんだ...? 見た目だけは良いんだが」

 

どういう具材や調味料が入っているか、逆に興味が出てきた。

そこで、店主に声をかけようと思ったが、テーブルの端にとある紙切れがあることに気付く。

その紙きれを覗いてみると、店の人からの伝言が。

 

『この店の人気料理、ベスト10を少しずつ混ぜたチャーハンです!
 僕、自慢の味なので、是非食べてみてください! いつも、当店のご利用ありがとうございます!

        PS.このことは店長に秘密だから、内緒にしておいてください! アルバイトより』

 

紙切れを見て あぁ、なるほど と思った。

客観的にしても、思わず二度見してしまうほどの内容であることには変わりない。

俺の場合は、頭が理解できる容量をオーバーしているため、逆に納得するしかないということで。

つまりこれは、アルバイトの秘密の感謝プレゼント、ということか。

要らないモノを渡されたな。

しかし、日ごろの感謝を伝えようとするアルバイト君の意志を無下にしないために口には出さない。

ああいう少年が、社会をよりよくするんだろうな。頑張れ少年。世界の将来は君にかかっている。

…それで、俺の会社の給料が多くなることを祈る。

 

ちょっとした期待も込めながら、俺は不味…少年の感謝がこもったチャーハンを口にする。

その間、気を紛らわせるため、

食事と交互に新聞を読み漁っていた。

 

 

食べ進めていくと、レンゲを持った手が止まった。

お腹一杯になった、という訳ではない。新聞のとある見出しに目が食いついたためだ。

 

『廃校寸前の小学校 救世主が現れる』

 

その内容が、俺にとって聞き覚えのあるものだった。

三か月前、俺と同じ小学校出身の恵吾が、廃校寸前だから金を貸せと言ってきた。

なんやかんやあって、結局のところ俺は金を取られたわけで。それでも、後悔はしていない。

懐は寂しくなったけどな。

救世主の名前は分かっていながらも、確かめようと見出しのその先へと視線を向ける。

 

『救世主、鹿島恵吾─────』

 

「やっぱりな」

 

その名前を見て、俺は安堵した。

この結果になったのなら、俺は10万という大金を貸したことに後悔はない。

むしろ、嬉しいというか、誇らしくなってしまう。

恵吾に金を渡して、学校が元に戻った。

小学校には、まだまだ多くの問題があるだろうが、この新聞の内容からするに大丈夫そうだな。

 

『様々な町おこしで、小学校だけでなく、町の賑わいを取り戻そうと思います』

 

これから、テレビなどでも放送されるらしい。

テレビで全国からの注目を浴び、町の移住者も増え、小学校の入学者も増える、か。

これで、めでたくハッピーエンド、だな。

 

「……違うだろ」

 

俺は、この結果はおかしいんじゃないか、って思ってしまった。

いや、違う。いや、いや、合っている。いや…いや。

確かに、俺はこの結末を望んでいた。

けど、完璧すぎたんだ。

終わり方が。あまりにも。

 

大金は積んだ。なら、望む結末に至らなければならない。

とはいえ、それで世界が思うままに進むわけじゃない。

邪魔が入る。予想外の出来事が起こる。

綺麗に進むことがあるはずがない、と俺の経験が言っている。

今回は偶然、思い通りに進んだだけ。

俺は結論に至れない思いを、そうして片付けることにした。

そんな中。

 

プルルルル

 

和やかな空気を切り乱す、電話の着信音。

なんだ と、急いで俺は携帯電話を取り出す。

同僚からだろうかと思っていたが、この電話番号は見たことがない。

名前は…伊津見佳子? 他人か?

 

「もしもし~? かけ間違えたってことは無いよね?」

 

「かけ間違えた…? 何のことでしょうか。それよりも、あなたは?」

 

他人に対して失礼の無いように、丁寧な口調で受け答えをする。

しかし、相手は何も喋らない。

そして、十秒、二十秒、経った後。

俺はこの空気に耐えかねて、電話を切ろうとした。

名前も知らないし、相手の『かけ間違えた』という言葉に乗っておくことにしよう。

 

「多分、かけ間違えだと思います。それでは、僕はこれで」

 

そのまま切ろうとしたが、相手は待ったをかける。

 

「ちょっ! 待って待って! か、かけ間違えてないから!

君って、江ノ島海翔君だよね? 同じ小学校出身の、伊津見佳子だよ!

ま、それは置いといて。

ほら、小学校の時の事覚えてるかな⁉」

 

どうやら、電話をかけてきた人物は俺と同じ小学校出身の伊津見佳子らしい。

こんな人いたっけ、と俺は記憶を探る。恵吾との会話で学校での出来事は思い出せるが、

学校にいた人は思い出せない。そもそも、十数年前の話だ。

 

「うろ覚えですが、何の関係が?」

 

「何の関係かって…ここまで言っても分からないの? ホント、鈍感。

 そんなんじゃ、恋人なんか出来ないぞ。…それとも、もう出来てる?」

 

と、伊津見は嘲笑をする。会ったことは無いが、ニヤニヤと笑っていることは容易に想像がつく。

勝手に電話をかけておいて、口調は馴れ馴れしい。

それに、廃校寸前なのはもう解決した話。今更、ひっくり返すものじゃない。

 

「出来ていません。というか、無関係な話をしないでください。

 廃校寸前だって、話ですよね? 鹿島恵吾から聞きました」

 

「そう、話は聞いているんだ。良かった」

 

相手、伊津見さんは何故か、ホッと息をつく。

 

「─────あのね。落ち着いて、聞いてくれるかな」

 

先程までの、勢いに任せた声とは違い、冷徹な声が耳に入る。

何が何だか分からないが、重要な話を聞くことになりそうだ。

取り敢えず、相手の言うとおりにする。

息を吸って、吐いてを繰り返したのち、俺は伊津見さんに改めて聞く。

 

「で、何でしょうか?」

 

「もう一度確認するけど、恵吾君から小学校の話聞いたでしょ?」

 

「聞きました。恵吾のおかげで元に戻った、と今読んでいる新聞にも書いてある。

 それが何か?」

 

「それは私も知ってる。ニュース番組でだったかな。

 これから話したいのは、その件について」

 

伊津見は一旦、間を置く。

 

「恵吾君はすごいよね。小学校のリフォーム工事、認知度向上させるための案。

それを一人でこなしちゃうんだよ。本当に凄いよ。

でもね。私は馬鹿じゃないからさ、─────おかしいと思ったんだ。

10万とはいえ、それだけのお金を集めただけで、小学校が立ち直るなんて」

 

俺はハッと気づく。伊津見さんの言葉は、俺が言いたかった事そのもの。

物事は綺麗に進まない、両者の経験がそう語る。

それが形になることで、俺もその言葉に賛同する。

 

「僕…いや、俺もそう思っていた所だった」

 

「そう? 同じ思考してるね。私達」

 

直ぐにでも否定したかったが、本当のことなので口にはしない。

 

「一億とか、普通にかかると思う。

恩返しとかいう理由で出せる金額じゃないと思うの。

恵吾君は、最高十万円出してって言ってたと思う。

それで、恵吾君と仲良くしていた人達、学年、全校生徒に集めていったって、

一億には届かない、半分くらいがいいところ」

 

「金持ちがいて、快く大金を貸してくれたんじゃないのか?」

 

「調べてみたんだけど、そういう人はいなかった。

 だから、別の形で空白のお金が埋まった、ってことになるね」

 

「信じていないようで悪いが、証拠は?」

 

大金の貸し借りが、一般公開されることはないだろう。

そのため、一般人が貸してないと言い切れるはずがない。

 

「あ~、証拠ね。ありますとも。

 …の前に、時系列順にするために、ちょっと話戻すね。

私は出所不明の大金が出てきたことに困惑した。だから、探偵を雇ってみることにした。

そこで、恵吾君の身の回りの事も分かってきた。

人間関係、仕事関係、さっき海翔君が言っていたお金関係も分かってきたんだ」
 

探偵…フィクションでしか聞いたことのない単語だな。

金を出し、探偵を雇ってまで、気になる事だったのだろうか。

 

「本当は恵吾君に直接聞きたかったんだ。

 電話番号は知ってたんだけどね、繋がらなくて。

でも、探偵さんから話を聞いた時、やっと全容が見えてきたんだ。

け…恵吾君は────…」

 

「恵吾が?」

 

最悪の場合を想定しつつも、俺は伊津見さんの詰まっている言葉を促す。

 

「─────恵吾君…はね、死んでたんだって。首吊りによる自殺。

 この電話をする二か月前にね。

 折角、ヒーローになったのに。何でだと思う?」
 

人が死んだという事実を、伊津見さんは淡々と語る。

それは冗談にするにしても、馬鹿げている話。悲しい話にするにしても、全く泣けない。

敢えて、俺は深く触れないことにした。

 

「さぁ、な」

 

「あら、無関心? 酷い人だね」

 

酷い人、か。最近会って、死んで、後味悪くする方が酷いと思うが。

 

「遺体の傍に遺書があったんだ。

『この紙を見てくれた人、ありがとう。そして、お願い事があります。

僕の銀行口座から、僕の出身の小学校へ、全額振り込んでください。

詳しいことは下に書いてあります。悪用しない事を前提として、頼んでいます。

お願いします』

とね。私は探偵からその話を受けて、その頼み事を受けてやろうと思ったの。

その口座には、小学校を立て直すのに十分な金額が入っていた。

私はそれを、恵吾君名義で送ったの」

 

「名誉が欲しいなら、自分名義でも良かったんじゃないか?」

 

「海翔君は性格悪い…っていうか、よくそんなことを思いつくね」

 

俺を引くような、低い声が聞こえてくる。

 

「褒めてるのか? 貶してるのか?」

 

「皮肉を言ってるの。心優しい人は、人の努力を無下にはしないからね!

 恵吾君は、方法がどんなものであろうと頑張った。私はそれを報われる形にしただけよ。

 どんな最後でも、恵吾君はヒーローだった。海翔君もそう思うでしょ?」

 

「それなりには」

 

「あはは。正直じゃないね。

因みに、余談だけど、この話は海翔君が一番に聞いた話だよ。

恵吾君と一番仲良かったからね」

 

突然投げられた話を、俺は全面的に否定する。

 

「仲良かったとは思えない。俺以外に、仲が良い人いたと思うぞ」

 

「どうだろうね。私は海翔君が一番仲良かったと思うな。

私はこれからも、他の人達にこの話をしていくよ。気分悪くしちゃうかもだから、迷惑になるかもね。

さぁて、ここで問題っ! ここまで私が彼の事について話す理由はな~んだ!」

 

「興味ないので、切っていいか?」

 

「あぁひどっ! 

もう、知らない! 切るからね。バイバイっ!」

 

伊津見の番でこの話は終わった。

さぁ~て、新聞読むか。

鹿島恵吾は救世主。へ~、そんな人いたんだな~…。

俺は、何もなかったかのように振る舞う。電話の事は知らない。

あんな馬鹿げた話に付き合う余裕はない。俺はこの昼休みが終わったら、会社に戻らなければならない。

恵吾の死に、悲しむ時間は無い。

 

─────自分の人生に、悔いはなかったのだろうか。

 

ふと、こう思った。

恵吾は自分の人生を、『自殺』、という形で舞台から降りた。二十代という若さで。

もっと挑戦してみたいこととか、生きてみたかったという気持ちはなかったのだろうか。

というか、無いから自分の死を無駄に使っ…無駄とか言ったら怒るか。

 

恵吾は学生の頃が楽しいと言っていた。

輝かしい日々のままで終わらせられたのなら、そこに悔いが残るはずもない。

そんなものが入る隙間もない。

 

さて、昼休みが終わりそうだし、そろそろ会社に戻るか。

なんとかして、食べ終わったチャーハンの皿を片付け、立ち上がる。

後輩にも色々と教えなきゃだし、やることが一杯だ。

 

会計を終え、店の外へと一歩踏み出そうとする。

 

「ありがとうございましたー!」

 

そうする俺の前に、店の人が立ちふさがる。アルバイト…高校生くらいだろうか。

そして、そのアルバイト君の横を通るときに、少し助言をしておいた。

こんな俺が言うのも恥ずかしいくらいだが。

 

「楽しい学校生活を送りなよ」

 

恵吾の死から得た教訓。

そう言って、俺はその場から逃げる。

その言葉を聞いたアルバイトは何も言わずに、俺の方へと振り返る。

頭を下げたのを見ると、アルバイト君の輝かしい顔が目に映った。

その顔は太陽にも負けない、輝かしい笑顔だった。