「は?」
急に雰囲気が重くなったのかと思いきや、恵吾は金を貸してくれと言ってきた。
冗談でやっていないのは分かる。その表情、言葉の重み。
しかし、久しぶりに会った友人に金を貸すというのはどうなのかと思う。
久しぶりに会えたのが『金を貸してほしいから』という思惑であれば、
熱くなっていた気持ちも冷めていく。
「そういうことなら、他を当たってくれないか。生活に余裕がないなら、他の奴に借りてくれ。
生憎、俺には余裕がない」
恵吾の頼みを振り切る一言。
人脈構築が上手な恵吾のことだ。俺以外に伝手もあることだろう。
例えば、一万、二万をマッチ代わりに出来る程の大金持ちとかな。
で、あれば俺に出る幕はない。金は一銭も出さない。
「そういう事じゃなくてだな。オレの生活の余裕がないわけじゃ─────いや、何でもない。
ともかく、オレはそういう理由で、金を貸してくれと言っているわけじゃないんだ」
「じゃあ、なんだって言うんだ」
「言わない─────けど、金を貸してくれ!」
一方的な要求。それに、俺が了承する訳がない。
「言わないってことは、悪用するってことと同じだ! 何に使うか言ってくれ。
言ってくれないと、俺は貸さない」
「いいから! 悪用しないって、約束するからさ。お金を貸してくれ! 頼むっ!」
両手を合わせて、俺に頼み込む。しかし、さっきと言っていることが変わっていない。
「だから、言ってるだろ! 悪用しないとかするとかじゃなくて、何に使うかをだな─────」
「だからっ! 悪用しないって神様に誓って、約束するから、な? お願いだよ、海翔!」
「だから─────!」
そこから続く話の内容は平行線のままだった。定規で書いたように、一直線に。
言え、言わないの言い争い。お互いが負けるまで続く。
しかし。実際に定規で直線を書くと、偶に失敗することがある。
それと同じように、俺たちの会話は直線上から少しずれた。
「だからっ…言っているじゃ…ねぇかっ…!」
「なんでっ…言わ…ないん、だ!」
呼吸さえ忘れてまで、言い争いをしていたのを思い出したのか、急に心臓が脈を打とうとする。
はー、はー、と息を吸い、言いたい言葉もつっかえてしまう。
これ以上は、無駄。時間の無駄、か。
ゆっくりと、俺は深呼吸をする。これから、口に出す言葉に全力をかけるかのように。
「じゃあ、質問を変える。なんで、言いたくないんだ?」
「そ…それはっ。言いたくないからだよ」
理由になっていない。そう突っ込もうとすると、恵吾の口から自然と求めていた答えが出る。
「───カッコ悪いからだよ。見せたくないだろ…いい所だけ見せていた友達に、さ。
いつまでも、カッコイイ人間で居たいんだよ。
努力する人間より、努力しないで優秀な成績を収めた人の方が憧れる。カッコイイと思われる。
そういうのと、同じ話だ。分かって…くれねぇかな? 今のお前なら」
全容が見えないから、その答えに返答しようがないし、疑問も生まれる。
金を貸すということと、カッコいい。どんな繋がりがあるというのか……。むしろ逆なのではないのか。
話に脈絡がない。
いや、今は考えないことにしよう。
「分かんないな。努力してこそ、カッコイイ自分になれるんじゃないのか?
矛盾しているぞ。世の中、そういう甘い世界じゃない」
「冷たいな...海翔。楽して、誰からも羨望を集める人間になる。
駄目なのかね。そういう願いを持っていちゃあ」
返答はしない。その答えをするに、俺は十分な経験を持っていない。
といっても、その答える資格を持てるには、あと何十年も先の事になるだろう。それも、死亡する寸前だとか。
それほど、恵吾は重い質問をしているということになる。
答えてもいいが。浅い答えは、恵吾の反感を買う。
楽して、理想の自分になる。なんとなくの話だが。唯一、それが出来る場所と言えば─────
「金を出さないなら、俺は帰る。たっぷりと相談出来たしな。
一応、自分の分の代金はここに置いていく。じゃあな」
恵吾は自分のズボンのポケットから、代金を取り、カウンターに置く。
そして、何事もなかったかのように去って行こうとする。
俺は止めない。ただ、言う事があるとすれば。
「…小学校なら、出来るんじゃないか?」
浅はかな答えのみ。根拠も証拠もない。
その声に反応して、恵吾は立ち止まった。すると、ブツブツと独り言を呟く。
「んだよ…それ…」
本人は独り言をしているつもりだろうが、聞こえてしまったモノには返答はしておく。
「自分でもよく分かっていない。単なる戯言だ。聞かなかったことにしてくれ」
「だったら、最初から言うなよ。あぁ、ムカつくなぁ…」
俺の言葉が、恵吾の癪に障ったのだろうか。
恵吾は頭を抱え、憎しみを込めるように頭を搔き回す。ポロポロと皮膚が剥がれ落ちていくのが、
俺の目に映った。
頭から手を離すと、俺の方へ顔を向ける。
「とにかく、オレの話はこれで終わり。金を貸さないなら、話はしない。
ってことで、じゃ。本当に帰るからな。立ち止まらないし、お前の言葉に金輪際耳を貸さない」
金を貸してくれないならお前とはもう関わらない、と脅迫気味にいいつける。
そう言うと、恵吾はズカズカと店の外へ出ていく。
俺の言葉に耳を貸さない為に、足を止めない為に。
それでも、俺は金は貸さない。しかし、気が変わった。
別に引き止めたい訳ではない。本当に気まぐれだ。
スーパーに行って、対して変わらない二社の製品を適当に選ぶような。そういう具合の気まぐれ。
「金を貸せばいいんだろ? いくらでも貸してやる。何円だ」
恵吾はその声に反応する。しかし、『金輪際』と言ってしまったからには声を返してはならない、
だから、振り向かない。
「何円だ?」
もう一度俺が問う。恵吾は店の入り口の一歩手前まで来ていた。
「───本当に、払ってくれるんだな?」
「あぁ、本当だ。男に二言はない」
「言質取ったからな。あれは嘘、とか言うんじゃねぇぞ」
振り返った恵吾の顔が、俺を嘲笑うような悪いことを考えている顔をしていた。
─────…あ。あんなこと、言うんじゃなかった。
後悔しても遅いというか。手遅れというか。同情をしていた心は簡単に裏切られた。
恵吾は二重人格と思うまでの、明るい顔で踵を返し、カウンターの席に戻る。
「最低でも、5万はねぇと話になんないんだよな~。あ、ちなみに利子なし、返金の必要は無しってことで。
ご理解よろしく~☆」
ぺらぺらと、饒舌にお金の話をする恵吾。
というか、利子なしで返金なしは、お金を貸すと言うより、借りパク、奪われているの方が近い…。
そんなのあるか、と反発しても、言葉を人質に取られているため口の出しようがない。一応、証人(『大将』)もいる。
勿論、恵吾のことだ、とこうされることは予想がついていた。
その上で、お金を貸そうと俺は思った。理由を話すという利益を得るために。
「分かった。五万でも10万でも払う。その代わり、取引だ。
お金が必要だという理由を話してくれないか…いや、話せ」
「取引相手に、指示語は駄目だと思うが~? 江ノ島~」
「話すくらいは無料で済むだろ。話してくれ」
「…わかったよ。話せばいいんだろ。話せば」
余計な茶番を経て、恵吾は理由を語る─────前に。
「─────の前に、ちょっと余談を。
実はオレ、お前みたいな奴と飲んでは、金を貸せと言いまくってんだよね」
突然の爆弾発言。俺は冷静を保とうとしたが、身体がどうしてもそれを許さない。
椅子を引き、恵吾と距離を取る。恵吾は気にせず話を続ける。
「別に、金目当てってわけじゃない。本当に、本当に人生相談ってだけで。
お金は副産物。ラッキー程度ってわけ。
思い出を話し合っては、交渉してた。皆、スムーズに貸してくれたんだよな~。
何処かの誰かさんを覗いて」
おそらく、何処かの誰かさんというのは、自分を指しているのだろう。
「断るのは、当然のことだ。了承する方が間違ってるんじゃないか?」
「ま、確かに。正論言われたら、言い返せねぇなぁ~。
…あ、そうそう。じゃじゃん!! 突然だが。ここで、問題だ。
オレと人生相談をしていた奴とお前には、共通点がある。
どんな共通点でしょうか、つう問題だ。当ててみな」
「さぁ、見当もつかないな」
「それじゃ、ヒントを出そう。ヒントは、お前と話した内容と関係してるってことだ」
ヒントを出してもらったものの、範囲が大きすぎる。
該当しそうなのは、『日本人』、『金を貸してくれた』。話した内容と関係しているなら、『ドッジボール関係』とかか。...。自信がある回答がない。思いつかない。
「人間、とか」
とりあえず、言葉には出してみる。しかし、恵吾の表情からするに、こんな答えは反則らしい。
「確かにそうだけど、違う。正解は、お前と同じ小学校出身、ってとこだ」
「なんで、同じ小学生の…。お金の伝手なら、他にあるんじゃないのか?」
「勿論、あるとも。オレをなんだと思ってんだ」
「無条件で金をよこせ、というクズ」
「…」
恵吾は顔を引きつらせる。
そういう人間として俺を見ていたのか...! と言いたげな表情。
うん。そういう人間だと思っている。
恵吾は、怒りがこみ上げてくるのを、咳をしてとめ、ともかくとして と話を続ける。
「そういう奴と、小学校の思い出について語りあった。つうか、それしか関係ないもんな。
うろ覚えな癖に、皆楽しい、楽しい言ってくんだ。笑えるよな。
オレも言葉を合わせる。うん、楽しかったなって。移動教室、班行動、社会に出たら一つも出来ない事。
そうやって、一夜を語り明かす。それが、楽しいのなんの。
それで…その小学校が、廃校寸前になるっていうのは誰も知らずに」
あまりの衝撃に、咄嗟に、俺は恵吾の顔を伺う。
─────廃校...寸前だと?
聞き返そうとする。声を出そうとする。喉を動かそうとする。脳の機能を開始させようとする。
ハンマーで頭が殴られたかのような衝撃が体を駆け巡って、機能停止が余儀なくされる。
そんな俺とは対照的に、恵吾は冷静だった。
まるでそれが、当たり前であったかのように。その様子が、俺には信じられなかった。
「…冗談だとしてもタチが悪いぞ。恵吾」
だとしたら、これが初めから嘘であった方が、まだ理解は出来る。
しかし、恵吾は否定する。
「冗談じゃねぇよ。だから、俺はここにいる」
「どういう意味だ?」
と俺は聞き返す。
「だから、今日お前に金を貸せって言ったんだよ。廃校寸前があっても、金がありゃあなんとかなる。
世の中、金で動いてんだぜ?」
お金で、経済は回る。
仮に、廃校を防ぐことが出来たとしても、お前がそこまでする必要はないんじゃないか?
「人生、100年の中の6年間。たったその時間だけを過ごした、小学校に何の思い入れがあるんだよ。
馬鹿馬鹿しい。態々、お前が動く話じゃなくないか?」
「動く話だよ。馬鹿野郎。お前には、分かんねぇか…」
「分かんねぇよ。お前に得がない。あるとしたら、学校からの感謝状じゃないか?」
「損得で考えることじゃねぇ。感情の問題だ。
楽しい学校生活を過ごさしてくれた小学校に恩返しがしたい。それじゃ駄目なのかよ」
「親孝行ならぬ、先生孝行…違うか。まぁいい。
恩返し、それだけじゃないだろ」
恵吾の性格上。恩返しとかは信じられないというか、本当に恵吾なのかと疑うくらいだ。
それに、恩返しのために、小学校出身の奴と会って話すというのは、手間がかかり過ぎている。
「本当に、恩返しってだけさ。嘘はついてねぇよ。本当だ。
小学校は楽しかった。他が…酷かっただけだ。
小学校は、ろくに努力しなくても、ちょっと出来るくらいで皆が騒いでくれた。
中学校とか高校は、沢山勉強しなくては、出来る人に追いついていけない。
オレはお前と違って、優等生じゃないから苦労した。
中学校に入って、他人との能力差に格差がついた。それが、オレには悔しかった」
淡々と語る恵吾の目には少しずつだが、涙が流れているように見えた。
「高校受験を乗り切って、高校には入れた。けど、高校も同じ。
そこでようやく、気付いたんだ。『小学校の頃は楽しかったな』ってさ。
大学受験は見事に落ちて、高卒。就職先が全然見つからなくて、この通り。
それで、小学校が廃校になることを知った。
だから、今、自分ができることをしようと思って」
「だから…。だから、人の金使おうってか。いい加減、働け。クズニート」
「うっせぇ。クズは余計だ」
「事実を言ったまでだ」
そこで、喧嘩を仲裁するように大将が料理をカウンターに置く。
恵吾との会話で忘れてたが、たしか『揚げ出し豆腐』と『鯨の南蛮漬け』だったっけな。
─────って。お、おい待て。たしか、この料理って…。
「ありがとうな。大将!」
恵吾の声に、ペコリと大将は頭を下げ、店の片付けをする。
「なぁなぁ、覚えてるか~。海翔。この料理、小学校の給食の定番だったよな」
恵吾の言葉を聞き、俺はハッ、となる。
恵吾の話を聞き、恵吾の言動、行動全ての意味が明るみに出る。
「あと、この大将。元小学校の給食の栄養士、鈴木さんだ」
大将はまた頭を下げる。
「何の…意図があって…」
次から次へと、意味が分からない。恵吾は何故、そこまで…小学校に拘るんだ?
その理由には予想がつく。しかし、その予想の内容は狂気に染まったものだ。
理解…出来ない。
「とまぁ、そういうわけだ。さぁ、理由(わけ)を話したんだ。
男に二言はないんだろ? 言った通り、10万を頂戴するぞ」
恵吾は俺の前に、右手を出す。言質もとられた、俺は渋々、恵吾の掌の上に1万円を10枚置く。
「まいどー。それじゃ、俺はここで。
お前は料理をきちんと食べてから、帰れよ~。美味いからな、ここの店。
今回の話は記憶から消しても構わないし、その方が好都合だし。
勿論、どうとらえても構わない。用は終わった」
10枚のお札を握りしめた、恵吾は立ち上がる。
「お前はこれから何をするんだ?」
「決まってるだろ。他の奴から、金を強奪するんだよ。あ、誤解しないように言うと、頼み込みな」
「バイバイだ、海翔」
恵吾はニッと笑って、手を振る。それに応えるようにして、俺も手を振った。
恵吾が居なくなった後、俺は料理を口にした。
そして、内容の無い感想を呟く。
「美味し」
※ははっ。ナンテコッタイ。まだまだ続くよ。
一応、本編が終わったので、これで区切りをつけます。
続きはエピローグという形で。
こんなに長くなるとは思ってなかったなぁ…。