私は相澤藍香。小学三年生の女の子。私には大好きな友達がいるの。
その子の名前は紀木波のれん、っていうんだ。とっても優しくて。幼稚園の頃からの幼馴染。
小学校では今まで同じクラスだったの。ずっと一緒だったの。私はそばに居てくれるだけで嬉しかった。
親同士も仲が良いし、私達を引きはがす事なんて、あるはずがないよね。
人見知りな私にとって、のれんちゃんは最初で最後のお友達。
─────だから、何処にもいかないでね。私を置いていかないでね。
そして今日も学校の昼休みにのれんちゃんと遊ぶために、誘いに行った。
「のれんちゃん~! 今日は何して遊ぼっか?」
いつもと同じようにハイテンションで、のれんちゃんに話しかける。
いつも通り。変わらない日々。あとは、のれんちゃんが、うん、と頷くだけ。でも、その日は違かった。
「ごめんね。今日はクラスメイトの赤獅子凛ちゃんと遊ぶんだ。藍香も遊ぶ?
得意でしょ。鬼ごっこ」
(……え?)
のれんちゃんは笑顔で私を悪魔の遊びに誘った。
のれんちゃんと二人きりで遊べない? 他の人と一緒に遊ぶ? 冗談じゃない。
私はのれんちゃん以外の人と遊びたくはなかったから、その誘いを断ることにした。
「い、いいよ。私は本読んでいるから。続きが気になっちゃって」
「そう? 分かった。私は凜ちゃん達と遊んでいるね」
のれんちゃんは私に背を向けて、校庭へと向かった。
後ろ姿を見つめながら、私は本を読むために席に座る。教室には誰もいない。
みんな、凛、赤獅子凛の鬼ごっこで遊んでいるのかな。
その静寂とした空間を潰すように、私は机を叩いた。
思ったよりも力がこもっていなかったのか、机は軽い音をたてただけで終わった。
私は頭を抱えて、机に伏せる。
─────……どうして? なんで今になって友達を作ろうとするの?
頭に浮かんできた言葉一つ一つに憎悪を込める。憎悪なんか無尽蔵に出てくる。
私と二人きりで遊ぼうよ。私の相手だけしてよ。
窓際の席で、ゆっくりと校庭で遊ぶのれんちゃんに視線を向ける。
「なんで、私以外の人間と楽しく遊んでいるの?」
無意識に出た言葉。そんなこと、考えてくもなかったのに。
いや、今日は偶々凜たちと遊んだだけ。
明日になったら、きっと私の元に戻って来てくれるよ。うん。だって、のれんちゃんは私の親友だもん。
絶対そうだ。
私はそうやって自分を宥めて、昼休みが終わり、五時間目の授業を受けた。
「さようなら」
「「さようなら」」
先生の声に、生徒全員が反応する。そして、クラスメイト達は次々に教室を出て行った。
私はそんなことには目もくれず、のれんちゃんの席に近づき、帰りの誘いをしようとした。
言わなくても分かってくれているだろうけど、一応ね!
「のれんちゃん。一緒にかえ…ろ…?」
でも、そこには先客がいた。確か、赤獅子凛、鈴木美麻子、という名前の二人組。
「のれんさん、約束通り、今日一緒に帰りましょう?」
「あ、うん。凜ちゃん。一緒に帰ろう。
そういえば、美麻子ちゃんと凜ちゃん。二人って、私の通学路と一緒だったっけ?」
「そうだよ~のっちゃん。うちらの自宅、高円寺付近なんだ。多分だけど、のっちゃんと近いっしょなんじゃね?」
嫌がらせをするように、耳がその話を拾った。なんて煩わしいものを拾ってくれたのだろう。
あだ名呼び……。
私でさえ、『のれんちゃん』と呼んでいるのに、こいつはもうあだ名で呼んでいるの? 失礼だと思わないのかな?
ちゃんと名前で呼ぶべきでしょう?
やっぱり、この子たち頭悪いんだ。だから、礼儀がなっていないんだ。
「そうかも、しれないね! 私の家、高円寺にあるコンビニの近くにあるんだ」
「へぇ~。ほら、早く帰ろ、帰ろ。時間は有限だからね!」
「そうですね。のれんさん、帰りましょう?」
「分かったよ。それと、さん付けで呼ばなくていいよ。敬語も禁止!
もっと仲良くなろう?」
「……そうですね。じゃあ、あだ名でのん、と呼んでいいでしょうか?」
頬を赤らめて、赤獅子凛は尋ねる。
なにこれ、すっごく仲良さそうにしている。多分だけど、私の時よりも……。
「うん、いいよ!
……てか、また敬語使ってるじゃん! ほら、駄目だよ! もう、私達友達なんだから!」
その瞬間、ぴきり、と私の頭の中のネジがとれたような気がした。
私以外の、友達?
いつも通りの日々が侵食される。赤獅子凛や鈴木美麻子に侵される。
そんなの、耐えられない……!
俯いて、ぎゅっと手に力を込める。私の爪が長いのと、激しい憎悪も相まって、手のひらから血が出てきた。
……今日は、一人で帰ろう。今日だけは。そうだよね。こんなのって、夢だよね。
「あ、のれんちゃん。今日は一人で帰るね」
「うん。分かった。また明日ね」
わたしはのれんちゃんに声をかけてから、
机の上に置いてあるパステルカラー水色のランドセルを背負って、教室を出た。
教室を出た後は、玄関、学校の校門、住宅街、コンビニを通って、家に着く。
家に着いた後は、特にやることがなかったら、自分の部屋で宿題の算数ドリルを進めた。
「藍香~ご飯よ~」
リビングから、私の手を止める声が聞こえてくる。もう、夕方。
ゆっくりと、部屋の窓に視線を向けると、空はオレンジ色になっていた。
青とオレンジ色が中途半端に混ざった色。なんて綺麗なんだろう。
「は~い」
私は返事をして、リビングへ向かう。リビングからは、口を誘うようなとてもいい匂いがした。
これは……ハンバーグの匂いかな……。
私は嬉しさを表現するようにステップをしながら、リビングのテーブルに座る。
それから、私は台所にいる母に、あることを確かめる。
「ねぇねぇ、お母さん。今日のご飯って何?」
「今日のご飯はねぇ~…」
台所にいる母が、食べ物がのった皿を持って、テーブルへと向かう。
そして、テーブルに皿を置くと、にこやかな笑顔で私に話しかけた。
「じゃあ~ん! ハンバーグよ~! 藍香好きでしょ、こういうの」
思った通りの答えが返ってくる。そうか、ハンバーグか。
「そうなんだ。ありがとう」
「…….あら、どうしたの? いつもなら、もっと喜んでいたじゃない」
その様子がいつもと違うことにお母さんは気づいた。確かに、いつもなら万歳して喜びをかみしめていたけど。
でもね。今日はちょっと、やるきが湧かなくて。
「ちょっと元気がないだけ。大丈夫だよ」
「そう? ならいいんだけど」
「大丈夫だって。あはははは」
乾いた声を出した後、
私は皿の横に添えてあるフォークとナイフを取って、早速食事に取り掛かった。
「いただきます」
その前に、手を合わせて、きちんと食材に感謝をしなくちゃね。
ナイフで、ハンバーグを切って、口に放り込む。口の中に肉汁が広がって、舌を喜ばせる。
「美味しいね。お母さん」
そして、そのハンバーグの感想をお母さんに伝える。とっても美味しいね。これ。
とっても柔らかくて、おいしくて。いつもの味。
「そうでしょ~。頑張ったのよ。スーパーで結構なお値段するお肉買って、下準備して、焼いて。
焼き加減さえ、妥協は出来ないわ。そのハンバーグが美味しくないわけないわよ」
そう自慢しながら、お母さんは席につく。
席に座ると、テーブルに膝をつけて話した。
「で、どうだったの? 学校」
その瞬間、私の動きが止まる。手、目、髪先、その全て。
「どうだった…….って?」
「いや、今日テスト返されるって言ってたじゃない? 何点なのか気になっちゃって。
まぁ、藍香ちゃんの事だから、百点なのは間違いないけど!」
なんだ。テストのことか。
私はその言葉に肩を下す。友達のこと聞いてきたのかと思った。
そして、私は手に持っているフォークとナイフを置いて、ランドセルからテストの用紙をお母さんに手渡す。点数は、勿論百点の。
お母さんはそのテスト用紙をカツアゲのようにぶんどって、私を褒めた。
「あら~、百点じゃない! 偉いわ~。流石うちの子。他の子は違うよさがあるのよね~。
次も百点よね。その次も百点とるわよね。うふふ。
藍香ちゃんが卒業するまで、どれくらい百点のテストが溜まるのかしら。ワクワクするわ」
私には意味の分からないことをお母さんは言う。私には毎回何言っているのかは分かっていない。
「あと、聞きたいことがあったのよ。今日こそは、藍香にお友達出来たのよね?」
「……」
は?
母はタブーな話題に足をつっこんだ。
「あの人見知りな藍香がいつ友達とか、グループを作れるのか毎日不安で。女の子は大変なのよね。身内を沢山作っておかないと、いついじめに狙われるのか知ったもんじゃないわ。この私の娘が、よ? 想像したくもない。
だから、藍香には無傷でいてほしいの。わかるわよね、私の気持ち」
最後に吐き気を催すような笑顔を見せつけて、その話をした。
「……くなったよ」
ブツブツと誤魔化すように私は呟く。
「ん? 何を言ったの? 藍香?」
「いや、何でもない。んじゃ、ご馳走様」
最後に手を合わせて、そう言って食器洗いの所に皿を置く。その後は、自分の部屋に籠った。
勉強することもなく、ベッドに自分の体を放り投げた。
ベッドのふわふわの感触が手を通って感じられる。今なら、心を落ち着けられる。
でも、無理だ。無理無理無理無理無理無理無理。
あんなことあって自分の気持ちを落ち着けられるわけないじゃん。
私はベッドの毛布を叩く。一回、二回、三回、四回。
そして、私は叩くのを止めた。
「……死ねばいいのに」
その言葉を、あの赤獅子と鈴木に向けて唱える。一度口にしたら、それはもう止まらなくなる。
「ホント死ね。いなくなれ。消えて、消えろ、消えろ!」
本当に、本当に、死んでほしい。
思い出すだけで気持ち悪い。吐き気がする。
こんなのって、夢、だよね? タチの悪い夢。きっとそうだ。そうじゃなきゃ、こんなこと起こらないもん。
それと同時にこんなことを思った。
─────なんで、いつも、一人になるんだろう。
いつも、友達だけが手に入らなかったから。
好かれるように、嫌われないように接してきたつもりなのに、出来なかった。なんで?
嫌われる奴は友達が出来ないんじゃないの?
話すのはちょっと苦手な私だけど、それだけは頑張ってきたつもりなのに。
幼稚園の遠足で、いろんな人に声をかけたり、いろんな人の助けにのったりした。
他の人を傷つけないように、言葉遣いにも気を付けていた。でも、出来なかった。
だから、他の方法を探すことにした。
自分と同じように、話すのが苦手な子を探そうと思った。
そうして、見つかったのはのれんちゃん。のれんちゃんとは直ぐに仲良くなった。同じ性格で、同じ辛さを分かってくれて、
同じアニメが好きで。私たちは双子のようだった。
そんなのれんちゃんに、友達が出来た。ふざけるんじゃない。
なんだろう。その時、とても孤独を感じた。とってもとっても、不快な感覚。
自分だけが取り残される、そんな認めたくないものだった。
「今日は何だか疲れちゃった。もう寝よう。その前に、お風呂沸かさなくちゃね」
夢なんだから、もう覚めて欲しいな。明日になったら、もう忘れちゃうだろうしね。
私は風呂に入り、自分の部屋の電気を消し、ベッドで寝た。
明日こそは、良い一日でありますように。
窓から光が差し込んでいるのと、ほぼ同時に、枕の横に置いてある目覚まし時計が高い音を立てる。
「う~ん」
私はその目覚まし時計の電源を切り、ゆっくりと起き上がった。
「ふわぁ……おはよう、お母さん」
あくびをしながら、部屋のドア付近に佇んでいる母に言った。
う~ん、眠い。二度寝したいくらいだ。
「おはよう。藍香。今日は珍しく早く起きたわね」
「珍しくないよ。ほら時計見て、今七時でしょ? いつも、七時十分くらい起きているけど、あんま変わらないって」
「ハイハイ。もう、朝ごはんの準備はしておいたから、リビングに来たら食べておいてね。
私はちょっと仕事があるから」
母はそう言って、私の視界から姿を消し、自分の仕事部屋へと向かった。
私はベッドから降りたのち、服に着替えて、朝食を食べて、学校へ向かった。
空はとっても穏やかだ。きらきらと輝く太陽が白い雲から顔を覗かせている。
空を見ていると昨日のことなんてなかったように感じられた。
「おはよう。のれんちゃん」
教室に入って真っ先に目につくのは、席についている、のれんちゃんの存在。
「あ、藍香ちゃん! おはよう。今日はいい天気だね」
「そうだね」
こんな風に、語り合って一日が始まる。他愛のない会話。でも楽しい。
毎日語り合っているけど全然飽きない。だって、のれんちゃんとは親友だから。
話題が尽きることもない。
あ、そうそう。
昨日みたいに一人で帰ることのないように、今日一緒に帰ろう、って予約とっておこう。
「ねぇねぇ、のれんちゃん。今日、二人だけで帰れる?」
「うん、いいよ。昨日はごめんね。他の友達と一緒に帰る約束しちゃっていてさ」
「大丈夫、大丈夫。気にしてないから」
やった! 予約とれた!
私はそういってもらって、安心した。そして、あまりの嬉しさにその後の授業で、
『早く授業終わらないかな~』とまで考えながら受けていた。
のれんちゃんと一緒に居られるのなら、学校にはなんの価値もない。
給食が終わり、昼休みになった。
今日ものれんちゃんと遊ぼうと思う。
「のれんちゃん~。今日はお絵かきで遊ぼう?」
「あ~……ごめん。今日もりっち達から、お誘い受けちゃって。
断るわけにもいかないから、本当にごめんね。藍香ちゃん。また明日、遊ぼう?
何が良いかな? 折り紙?」
のれんちゃんは私より、そっちを優先するの? どうして?
私には飽きちゃったんだ。そうなんだ。でも、今日は一緒に帰れる。それだけで我慢しよう。
「えっと、うん。分かった。また今度遊ぼうね」
私はその言葉に、すんなりと頷いた。すると、のれんちゃんは笑顔になり、赤獅子凛の元へと走った。
話が終わった時点で、ちょっと気づいてはいた。
永遠に、のれんちゃんと二人きりで遊べないんだなぁ、って。この先遊びに誘ってもきっと、
赤獅子凛に邪魔される。
諦めるべきかな。のれんちゃんが私の元から段々と離れていっているし。
新しい友達を作ればいいんじゃないかな。交友関係増やした方が今後の為になるだろうし。
でも、諦めちゃったら、それって本当の友達って言えないんじゃないかな。
のれんちゃんは私の本当の友達。一生に一度しか作れない友達。ここで、諦めたらいけないと思うの。
のれんちゃんは、私が守らなくちゃ。
だって、のれんちゃんのような存在は些細な拍子に崩れてしまう程、脆いからね。
私はそう思うことにして、後ろめたい背中を押した。
退屈だった授業を終え、下校時間となった。
今回は誰も邪魔は入らない。のれんちゃんとは一緒に帰る約束をした。赤獅子達の姿は見えない。よし。
今日こそ一緒に帰れる。
その言葉を胸に、私はのれんちゃんに近づく。
「ねぇ、のれんちゃん一緒に帰ろう」
そう声をかけると、のれんちゃんが気まずい顔をしたのが分かった。
結局、悪役は登場するのが物語の常というか。
いつの間にか、のれんちゃんの傍に赤獅子と鈴木の姿があった。
「あの、藍香ちゃん。みまやりっちとも一緒に帰る約束しちゃったから、みんなで帰ろう。
それじゃ、駄目かな? この二人はいいよって言ってくれたけど……」
「ちわー。君が藍香ちゃんだっけ?」
飄々とした態度で挨拶をする鈴木美麻子。
「これこれ。みま。失礼ですよ。礼儀がちゃんとなっていない。
あぁ、どうも。私は赤獅子凛。こっちは鈴木美麻子です。よろしくね。藍香さん」
美麻子とは打って変わって、丁寧な対応をする赤獅子。
「のれん……ちゃん?」
二人組がどんな態度をするのかはどうでもいい。
問題なのは、のれんちゃんが私との約束を破ったこと。二人きりで帰るって言ったじゃん。
ねぇ、のれんちゃん。どうして、約束すら守ってくれないの?
「駄目かな、藍香ちゃん。ほら、私達あんまりクラスメイトと関わる機会が少ないから、
こういうのもいいと思うんだ。勿論、藍香ちゃんが人見知りなのはよく知ってるよ。
でもね、一緒に帰った方がいいと思うんだ。家も近いし」
そこにいるのれんちゃんは、私の知っていたのれんちゃんではなくなっていた。
人見知り。ドジっ子。黒髪ロングヘアー。真面目。謙虚。
陽気な性格。満面の笑み。茶髪のポニーテール。私以外の、友達がいる。
違う。こんな子知らない。
「だそうですよ。仲良くしましょう? 折角の機会ですから。
そうだ。マジカルバナナ~とか、山手線ゲームとかで遊びながら行きましょう。そっちの方が楽しそうですから」
「え。あぁ、はい」
私は戸惑いながらも了承する。鈴木と赤獅子はさておいて、のれんちゃんと遊べるならそれでいい。
赤獅子はその答えに、ニコリと笑う。
「それはよかった。では、私から。マジカルバナナ。バナナといったら、黄色」
「黄色といったら光、よね~♪」
「光といったら、電球……かな?」
教室内で、パンパン、と手を叩きながら、いきなり遊びが始まった。
「う~ん……、電球といったらエジソン」
私も仕方なく、その遊びに乗る。エジソン、というのは豆電球を開発した歴史上の人物だ。
電球に日本の竹を使ったことで有名だと思う。私は直ぐにその人物を連想した。
でも、みんなはその声に続こうとせずに、ぽかんと口を開けていた。
「エジソン……? ねぇ、エジソンって何?」
最初に尋ねてきたのは鈴木だった。
「エジソンは豆電球を最初に作った人だよ。知らない?」
知らないのかな? この程度のこと。
「えぇ? ねぇねぇ、二人とも知ってた?」
鈴木は、赤獅子とのれんちゃんに問いかける。すると、二人は横に首をふる仕草をした。
その様子が私の想像と違かった。
えっ。知らないの? 赤獅子はともかく、のれんちゃんまで。
この間、エジソンについて教えたじゃん。豆知識、って感じで。
「ごめんなさい。知らないわ」
「へ~。藍香ちゃん。あんま、こういう遊びで知らない言葉使わないでくれるかな。
あと、自分の知識をひけらかさないで。すっごく、ムカツクからさ」
それは、あまりにもストレートな嫌味だった。
自慢しているつもりはない。ただ、一番に連想したのがそれだっただけで……。
嫌いな相手からとはいえ、流石に私の心は傷ついた。
「あとさ、のれんにこれ以上関わらないでくれる?」
「え?」
それに追い打ちをかけるように、鈴木は言葉のナイフを投げ続ける。
「いや、だからさ。藍香ちゃんって、よ~くのれんに関わってんじゃん。ほぼ四六時中?
まるでストーカーみたい。
のれんは嫌そうな素振りは一切見せないけど、本当は嫌がってるんじゃないかって思って。実際そうでしょ。
昼休みなんか、特にそう。藍香ちゃんはのれんに付きっきり。流石にのれんが可哀そうじゃん」
─────ストーカーみたい……?
一応、思い当たる節はあった。確かに、私はのれんちゃんに付きっきりだ。独占しようとも考えている。でも、そう思えたのはのれんちゃんが私の唯一の味方だったからこそ。
私はゆっくりと、確認するようにのれんちゃんに視線を向ける。
のれんちゃんは、変わらず黙り込んでいた。
流石に言い方がひどいなと感じてくれたのか、赤獅子が鈴木に向けて注意した。
「何言ってるの、みま! 失礼でしょう」
「だって、そうじゃん。凛だってそう思ってるんでしょ?」
「……っ」
その言葉に、赤獅子は言い返すことはなかった。
次に鈴木を止めにかかったのはのれんちゃん。
「美麻子ちゃん! そういうこと言わないで……」
「のれんちゃんだって、そう思ってるんじゃない?
邪魔だって。私からしても気持ち悪いと思うよ。のれんちゃんを追い続けるだなんて。
感じ悪ーい」
その鈴木の、嘲笑うような顔を見て、私の堪忍袋の緒が切れた。
「感じ悪いのはお前らの方だよ……。のれんちゃんだって気持ち悪いって思っているんでしょ。うざいとか、ストーカーとか」
「いや、違うよ…私は、ただ」
「じゃあなんで、約束を破ったの?」
すると、ぷつんと会話が途切れた。
約束を忘れているのならまだしも、覚えていたうえでは流石に嫌だ。
のれんちゃんが自分の意見を押し通すのが苦手だって分かっている。けど。
私は訴えるような眼差しをのれんちゃんに送る。
─────のれんちゃん……。
でも、のれんちゃんはぷい、と視線から目を背けた。
─────あぁ。
のれんちゃんは二人組の傍に寄る。
─────ダメだってば。
「それは……ごめんね。藍香ちゃん」
私の訴えもむなしく、のれんちゃんは軽い謝罪で済まそうとした。
─────ひどい。
その行動の衝撃は大きかった。私の味方で居てくれないの? なんでよ。
「それなら、絶交だよ。のれんちゃん」
絶対に許さないから。
「ぜ、絶交は言いすぎじゃ……!」
のれんちゃんは何が不満だったのか反発してきた。
「言いすぎじゃない。当たり前だと思う」
「……私が、何か悪いことしちゃったんだね。ごめんね」
急に、のれんちゃんは泣き出した。その泣き顔を私に見せないように、手で隠して。
その様子を見て、赤獅子が話に乗り込んできた。
「どうしたんですか。急に仲違いして。私たちが原因なら謝ります。
その前に、理由を聞かせてください。でないと、のれんちゃんが可哀そうです!」
「うっわ。泣かせてんじゃん。可哀そ~。普段優等生ぶっているやつが、マジギレするとかうけるんだけど」
「いいよ、みんな。……私が、悪かっただけの話だし」
何? この雰囲気。私が悪いみたいな、この感じ。意味わかんない。悪いのはお前らでしょう……?
「かわいそ~」
「相談に乗りますよ。何か悪いことがあったんでしょう?」
「ひっく……ひっく……」
のれんちゃんは手で顔を隠しながら泣いている。その手の隙間から見えた気がした。
のれんちゃんが泣きながら、ニヤリ、と笑っている表情をしていたような。
背筋に悪寒が走る。
「─────っ」
私はそのまま黙って、机のランドセルを手に取って、背負う。その後は、悪夢から逃げるように走って家に帰った。
窓からくらいくらい寝室の中に、陽が差し込む。
リビングから母の大声が聞こえる。
「藍香! 今は七時五十分、今日学校あるんでしょ! 起きなさい! 遅刻したら、責任取るのお母さんなんだからね!」
うるさいなぁ…。
「早く、起きなさい。藍香‼」
なんて煩わしい声なの。
「藍香‼」
寝室の傍に移動した母が目にうつる。私はそれでも、身体を動かすことはなかった。
「いい加減に─────!」
「うるさい」
お母さんの怒声を、冷たい一言で抑える。母は予想外の声に呆然としていた。
どうせ学校に行ってもつまらない。行くことの意味が分からない。だって、
友達がいないんだから。
「藍香、何言っているの? 親に逆らう気?」
「逆らうとかいう話じゃないの。 学校に行きたくないの!」
「まさか、不登校児になるの! そんなのお母さん、許さないからね。
早く行きなさい!」
なんとしてでも連れ出す気なのか、お母さんが近くに乗り込んで、私の左腕を鷲掴みする。
私は直感的に、掴まれていない右腕の手で母の頬を叩いてしまった。
─────あ……やっちゃった。ごめんなさ……。
「……ぅ……ぁ?」
母は左腕を離し、そっと叩かれた頬を手で確認する。私が思いっきり力を込めてしまったから、頬はひどく腫れていた。
「ぁ……ぁ?」
何度触っても、事態を飲み込めていない母。母は怯えている表情をしていた。
怯えた表情のままで、私の顔を見上げる。
「─────ぁ……ぁ……。ご、ごめんなさい!」
視界に入った私の顔が怖く感じたのか、母は頭を下げた。
「わ、分かったわ。学校行きたくないわよ、ね。そ、それとね。ご飯を、持ってくるから……」
母は焦りながらそう言って、部屋を立ち去った。
私はその声を聞いて、いい気になった。言う事を聞いてくれるんだ、と。だから、もう一声かけた。
「ゲーム持ってきて!」
「はい……」
・・・
「聞いた聞いた~? 奥様。相澤さんちの子、不登校になったんですって」
「聞いたわよ。だって、相澤さんちのお宅の前に、不登校児相談せんたー、の車があるんですもの。
あと、紀木波さんちの子をすとーかー? していたら、
他の子から指摘をうけて、休んだ、っていう話を聞いたのよ。怖いわね~」
「そうなの? 娘がストーカーって。
親の顔が見てみたいわ。ほんと、怖い怖い。うちの子の反面教師にしなくてはね」
二人の主婦の視線の先にあるのは、相澤家の赤い一軒家。
そして、その玄関前にある『不登校児相談センター』と書かれている白い車。
クラスの中心人物が二人も関わっている事件の噂話。それは三か月たったいまでも語られていた。
「ゆっくりと、話せることだけ話してください。私はあなたの味方ですよ」
リビングで、女の人と私の相談、という名目の尋問が行われていた。
「……帰って」
私は絶対に答えない。私の気持ちなんか、こいつに分かるはずがない。
どうして、自分はあなたの味方だ、とか言えるの? どうせあとで裏切るくせに。
「何か学校であったんですか?」
「……うるさい」
「学校のどこが嫌だったんですか?」
「……黙って」
「どうして、学校が嫌いになったんですか?」
「─────・・・」
私はその問いに、答えることはなかった。
そう言われて、初めて今までの事を思い返せたから。
なんで、休んじゃったんだろう。元はと言えば、あいつらのせいだ。
赤獅子凛、鈴木美麻子。あいつらが手を出さなければ良かったんだ。
でも、あいつらが手を出さなくても他のクラスメイトが手を出していたのかもしれない。それもやだ。
本当に、神様って残酷だ。
なんでもかんでも思い通りにならないようにしている。ほんとやだ。ほんとやだ。
こんな自分はやだ。こんな世界、大っ嫌い。
ただ、私は、友達が、傍で笑ってくれる存在が欲しいだけだったのに。
孤独の中、潤んだ瞳は最後に下を向いていた。
おしまい。