駄菓子屋の前で独り言を呟く。

 

「あぁ、今日も雨か」

 

視線の先には、灰色の雲、大量の雨粒。傘を持っていない片方の手の指先で、雨を触る。

今日もざぁざぁ雨。いつ止むのか分からない。

明日、明後日も、同じ空を見ることになる。あぁ、憂鬱だ。

 

「家に帰って、今日もてるてる坊主作ろうかなぁ.....」

 

今日でちょうど365日目。あの日から、丸一年が経った。

あの日から、ずっと空は雨模様。

周りは超常現象だ、とかで騒いでいるけど、私にはそんなこと知ったこっちゃない。

私はねずみ色の空に、自分の心模様を重ねた。あの日から、ずっと世界は暗かった。

 

 

 

──────────1年前。

 

『放課後。屋上で待っています』

 

学校の玄関。その靴箱に、手紙が入っていた。

初めは警戒して、その手紙を取ろうとは思わなかった。けど、好奇心が働いて、その手紙を手に取ってしまった。

手紙には、名前が書かれていなかった。

私としてもよく判らなかったので、仲が良い友達に聞いてみることにした。

 

「えぇっ!? それ絶対、ラブレターだよ。美奈子!」

 

友達が言うには、これは『らぶれたー』、というものらしい。

ラブレターは愛を告白する手紙の事で、私は誰かに告白されるのだと悟った。

でも、イマイチ、ピンとこなかった。

思い当たる人が一人もいなくて。そんな展開に、胸を高鳴らせることも無かった。

その後、友達が私を質問攻めにした。

相手は誰なのか、どういう心境なのか、色々聞いてきた。

そんな熱心な友達とは対照的に、私は冷静に答えた。

知らない、と。

 

 

その日の放課後、私は書かれたとおりに屋上へ向かった。

そこに居たのは只の同級生。それも、一度や二度くらいしか会ったことのないような人だった。

でも、名前と顔は覚えている。

確か名前は、秋野栄太、だったはず。度々、私が手助けをしていた男の子だった。

秋野君は、私の存在に気付くと、直ぐに声をかけてきた。

 

「こ、こんにちは! あるいは、こんばんは! 来て、くれたんですね!

僕の名前、憶えていますか? 秋野栄太、17歳です!」

 

彼は照れた顔を隠すように挨拶をして、私を迎えた。

 

「えっと、はい。それで、用件は?」

 

慌てている秋野君を無視して、早速本題に入る。時間もないんだし、さっさと断って、さっさと帰ろう。

しかし、秋野君は何も言わずに、深呼吸をする。そして、深く息を息を吸った瞬間。

隣町まで届きそうなほどの、大声を出した。

 

「この僕と─────付き合ってください!!」

 

お辞儀をされて、手を差し出されて、私は告白をされた。お手本のような告白の仕方だった。多分。

多少は違えども、発せられた内容は想定通りのもの。

 

「......えっ、え?」

 

けど、私は戸惑った。

頭の中で言われるのと、面と向かって言われるのとはわけが違う。

 

「幼稚園の頃からずっと一緒に過ごせて来れて、運命だと思いました。

貴方の優しさに触れることが出来て、運命だと思いました。

容姿端麗。才色兼備。それでいて優しい美奈子さんを、僕は尊敬しています。

きっと、こんなどうしようもない僕は貴方とは不釣り合いな存在になるでしょう。でも。

私は、貴方が運命の人だと思いました。だからっ!」

 

「えっ、あの、いやっ」

 

私が一番に考えたのは、どう断るか。

秋野君を傷つけずに、それでいて納得するような断り方をしなければならない。

彼が私のことを想っていたとしても、私は彼に思いを寄せてはいない。

只の同級生。クラスメイト。寡黙な人。そういう存在でしか、彼を認識していなかった。

『好きじゃない人と付き合いたくないでしょ?』

私の悪魔がそう囁く。

でも、彼はそんな非情な答えを予想だにしていないように見えた。

 

「だからっ! 僕と付き合っ─────」

 

彼の声を無理やり中断させるかのように、雷が轟いた。それと同時に、雨が降り出していく。

 

「雨─────っ!?」

 

最初に声が出たのは私。

雨が降ってる。屋内に入らないと濡れちゃう…!

私は急いで、屋内に戻ろうとした。その前に、秋野君にも声をかけておくことにした。

 

「秋野君! 雨降っているから、中に入ろう!」

 

そこに居た秋野君は、別人のようだった。

水に濡れるのをものともせず、ただ空を見つめていた。驚いていた、という様相ではなかった。

 

「秋野…君…?」

 

私はもう一度声をかける。

すると、秋野君はくるり、と私の方に向いた。

 

「雨が、降っていますね。それも土砂降りの。

こんな雨の日に、告白するのは貴方には似合わない。

だから、また、晴れている日に来てくれませんか? 放課後に、屋上…いえ近くの駄菓子屋で!」

 

今考えてみれば、変な人だったと思う。

あまり喋ったことないのに告白してきて。私について似合う似合わないとか言ってきて。

 

─────晴れた、日に?

 

でも、その時の私は戸惑っていた。頭がパニック状態だった。

だから、こんなバカな選択をしてしまったんだと思う。

 

「あ、え、いいです…よ。また明日、晴れた日に、ですね!」

 

ただ断ればいいのに。そうすれば、彼も私も重荷を背負うことなんてなかったと思う。

 

 

 

それから、雨が降り続いた。

晴れる日なんか一日もなくて、曇るだけだった日さえ、目に映ることはなかった。

告白する機会が一つもなかった日々。

彼と通り過ぎるたび、ずっと気まずかった。

彼は私を好いている。

私は彼とは付き合えない。

でも、彼はそんなこと知らない。知っても、理解なんかしてくれやしないだろう。

 

それが分かっているから、私は口に出せなかった。

チャンスはいくらでもあったのに。

始業式、終業式、移動教室、授業、日常。

周りは、何事もなかったかのように生活している。

大人は、雲が日本に集中している、異常気象だと騒いでいる。

私だけが、こんなことで悩んでいる。

 

 

そして、今。彼が転校してしまう前日。

私は駄菓子屋の前に居る。

何故か、晴れていない日に、私は駄菓子屋の前の来てしまったのだ。

今日は比較的、風も強し、水が地を覆っているほど降っている。絶対に晴れない。

彼が来るはずないじゃない。今日も、てるてる坊主を作ろう─────。

私はビルに囲まれた駄菓子屋から足を離す。

その足を、止める声。

 

「美奈子さん!」

 

「え…?」

 

私は声が聞こえた方に振り返る。

ぜぇぜぇ、と息を荒立てながら私の名前を呼ぶ栄治さんが……そこに居た。

よほど急いで来たのか、栄治さんは傘を持っていなかった。

なんで、なんで来たの…?

 

「どうして?

今日も雨が降っているんですよ。なんで、私の前に…」

 

「いやぁ、来てくれて良かった。流石、僕の運命の人。美奈子さんです」

 

私の問いなんか耳に入れず、栄治さんは独り言を呟く。一年前から、私に対する態度は微塵も変わっていない。

 

「最後のお別れをしようと思いまして。その前に、約束事を。

この状況下だと、約束は破っちゃっていますね。ま、それは置いといて」

 

コロコロと話題が変わって。

彼は一年前と同じように、手を差し伸べる。

雨が降りながらも傘を持たずに、真摯な目を向ける彼は、一年前とは比べ物にならないほどにカッコよかった。

 

「一年越しの告白です。僕と─────付き合ってください!」

 

私はその言葉に息を飲んだ。

あの男の子が、ここまで、してくれる。ならば、私はその思いに、応えないといけない。

─────でも、それじゃあ違う気がする。

 

「……」

 

言おう。

言って。

言え。

『彼は、遠くに行ってしまうよ?』

 

「ごめん、なさい。私、あなたとは付き合えません」

 

私は頭を下げて、本音を伝えた。

一文字ずつ言うたび、私の胸が苦しくなる。一年前に、言うはずだった言葉なのに。

彼は顔を歪ませていく。ほら、傷ついているじゃない。

ごめんなさい。ごめんなさい。

 

「…そう、ですか。分かりました」

 

「本当に、ごめんなさい」

 

「いえ、大丈夫です。むしろ、きっぱりと断ってくれて諦めがつきました。

元々当たって砕けろ、っていう姿勢で告白したんです。分かり切っていたこと。

自分語りになりますが、僕は入学初日にあなたと出会って一目惚れしました。

それから、ゆっくりと時間をかけてあなたのことを知りました。

でも、貴方から見たら、私はただの変人ですね。ですが。

あなたが大好き、その気持ちは変わっていません。

だから、僕は精一杯の告白をしました。断ってくれたのなら、それもまた運命です」

 

私はその真実に、驚きもしないし、傷つきもしなかった。

顔は歪んでいる。でも、瞳は輝いている。

 

「─────」

 

私はその声に返事が出来なかった。

 

「…ですけど、僕にでも漢のプライドという物がありましてね」

 

彼はポケットからお菓子を一個取り出す。

そのお菓子の古びた絵からすると、駄菓子なのだろうと気付いた。

 

「この駄菓子屋で買ったキャンディーです。あげます。いや、受け取ってください。

そうしてくれれば、僕の心残りはもうありません」

 

飴を差し出して、彼は悔しさを紛らわすように言う。

私はゆっくりとそのお菓子を手に取る。

 

「……いいんですか?」

 

「いいから、受け取ってください。後からお金請求するとかのこじつけはしないので。

それでは、僕はこれで」

 

飴を渡した彼は、後悔もなくわたしに背を向ける。

あっ。傘渡してあげなきゃ。

 

「あの、この傘、使って─────」

 

その声は耳に届かずに、彼は傘も持たずに何処かへ行ってしまった。

私は黙り込んで、飴を舐めることにした。その雨は甘い味で、口に残った。