1964年組の第3弾。

 

アメリカ・ケンタッキー州の生まれ。

 

タータンファームの所有者「ウィリアム・L・マックナイト」氏による生産馬。

 

彼に付けられた名は「ドクターファーガー

 

発音的に「ドクターフェイガー」と呼ばれることもあり、どちらでも大丈夫。OK

 

馬名だけ聞くと、「進撃の巨人」に出てきそうな名前(笑)

 

お父さんの系統は、第3話に登場した「ヒムヤー」の系統。

 

血統表の中には、☆を付けた「ブルドッグ」という血が父系と母系に入っており、この「ブルドッグ」という種牡馬は、1943年にアメリカリーディングサイアーを獲得し、第9話に登場した「テディ」を代表する後継種牡馬。

 

その「ブルドッグ」の3×4という「奇跡の血量」の影響からなのか、ドクターファーガーは卓越したパフォーマンスを披露することに。

 

 

2歳7月にデビューし、デビュー戦は馬なりのまま、7馬身差の圧勝。

 

1ヶ月後の2戦目、これも馬なりのまま、8馬身差の圧勝。

 

そのまた1ヶ月後の3戦目は、12馬身差の圧勝と、走るたびに自身の着差を更新。

 

4戦目のカウディンS(ダート1400m)では、前々回に登場した「インリアリティ」と初対決。

 

さすがに、ここでは圧勝とは行かず、3/4馬身差の勝利。これで4連勝。

 

その次の「シャンペンS」では、相手陣営のラビット役にペースを乱され、2着に敗れる。

 

2歳時は「5戦4勝・2着1回」という成績で、アメリカ最優秀2歳牡馬に選出。まじかるクラウン

 

 

 

3歳初戦のゴーサムS(ダート1600m)では、前回登場した「ダマスカス」との初対戦。

 

詳細は前回書きましたので省きますが、半馬身差でドクターファーガーの勝利。

 

普通なら次走は、ケンタッキーダービーに向かうのだが、陣営は回避を発表。

 

回避の理由としては、「膝が悪いから」と調教師から発表されたらしいが、本当の理由は「距離が長いという理由なのでは?」という憶測もある。

 

 

ケンタッキーダービーを回避し、ウィザーズS(ダート1600m)というレースに出走した本馬は、当時のアメリカ競馬史上最速タイムで6馬身差の圧勝。

 

その後も「プリークネスS・ベルモントS」の米三冠レースを次々に回避。

 

ここでも回避理由は「膝が悪いから・・・」

 

その割には、普通に裏街道のレースに出走しているんですけどね(笑)

 

 

 

そして、ジャージーダービー(ダート1800m)というレースで、「インリアリティ」との再戦。

 

4馬身差の完勝だったが、レース中の1コーナーで「ドクターファーガー」が「インリアリティ」に噛みついたことが判明し、ドクターファーガーは失格扱いとなり、インリアリティが繰り上がりの勝ち馬となる。

 

レース中に噛みつくってどうよ(笑)」

 

それぐらい気性の激しい馬だったと言われています。

 

 

その後も快進撃は続き、いよいよ伝説の「ウッドワードS(ダート2000m)」に出走。

 

前話でも書きましたが、「バックパサー・ダマスカス・ドクターファーガー」の超ビッグ3対決。

 

結果は超ハイペースで逃げた「ドクターファーガー」は3着に敗れる。(勝ち馬はダマスカス)

 

 

3歳時の成績は「9戦7勝」で、アメリカ最優秀短距離馬に選出。まじかるクラウン

 

 

4歳時の後半に出走した「ワシントンパークハンデ(ダート1600m)」では、あり得ないパフォーマンスを魅せた。

 

斤量134ポンドというトップハンデを背負わされながら、「1分32秒2」というタイムで2着馬に10馬身差をつけて圧勝したのである。

 

この「1分32秒2」というタイムは、全米レコードどころか「芝・ダート」を含めたマイル戦の当時世界レコードでもあった。

 

当然、芝のマイルの世界レコードは後に更新されてしまうが、ダートのマイル戦に至っては、今なお破られてはいない凄い記録。キラキラ

 

日本のダート1600mは「東京」でしか行われておらず、その東京ダート1600mのレコード記録は、昨年の武蔵野Sを勝った「タガノトネール」の「1分33秒8

 

この記録と比べても、いかに「ドクターファーガー」の記録が凄いのかわかりますよね。

 

 

 

その後、生涯最初で最後の芝レース「ユナイテッドネーションズハンデ(芝1900m)」に出走し、クビ差で勝利。なんと初めての芝でも勝ってしまったのである。

 

 

引退レースとなった「ヴォスバーグハンデ(ダート1400m)」でも、1分20秒2という全米レコードで圧勝。

 

4歳時の成績は「8戦7勝」

 

この年は、「米年度代表馬」「米最優秀ハンデ牡馬」「米最優秀芝馬」「米最優秀短距離馬」など賞という賞を独占。

 

この4つの賞を同時に受賞したのは、ドクターファーガーが史上初めて。ビックリマーク

 

どれだけ偉大な馬だったのかわかりますよね。

 

 

 

引退後は、生まれ故郷のケンタッキー州ではなく、フロリダ州で種牡馬生活。

 

320万ドルのシンジケート(種牡馬株券)が組まれ、種牡馬としても1977年北米首位種牡馬を獲得。

 

14歳の若さで他界してしまったために、残された血は限られており、もっと長生き出来ていれば、アメリカの大種牡馬として功績を残せたと思われる。

 

 

日本にも「ドクターファーガー」の血を持った名馬が何頭かいますので、ここで紹介。

 

1992年オークス馬「アドラーブル」

 

 

1997年フェブラリーS勝ち馬「シンコウウインディ」

 

 

 

2001年オークス馬「レディパステル」

 

 

ヒムヤー系の直系としては、偉大なる競走馬であり、種牡馬でもある「ドクターファーガー」

 

彼の名を知らないアメリカの競馬ファンはいないだろう。

 

アメリカブラッドホース誌による「20世紀米国名馬100選」では、第6位に輝いています。

 

くどいようですが、どこかで「ドクターフェイガー」という馬名を見た時は、「ドクターファーガー」だと思ってください。あくまでも呼び方の相違ですから。

 

 

今回はここまで。

 

 

次回をおたのしみに。