愛知県清須市「清洲城」
今年の桜は、例年よりも早い時期に見頃になりました。
「清須」と「清洲」、どちらも「 きよす」と読みますが、どちらの漢字を使うか迷うことがあると思いますが、一定の法則があることがわかりました。
江戸時代初期までは、尾張国の中心は「名古屋」ではなくて「清須」で、「清須城」を中心に栄えていて、「清須」と呼ばれていました。
1610年から徳川家康により、「清須」から「名古屋」に遷府が始まり、「清須城」が廃城になりました。この遷府のことは、「清洲越し」と呼ばれています。
この「清洲越し」から、2005年の「平成の大合併」による「清須市」成立までは、「清洲」と呼ばれていました。
市町村合併前の旧「清洲町」や平成元年に完成した「清洲城」は、「清洲」の時代に成立や完成したので、「清洲」になります。
例として、名二環(完成当時は東名阪道)は、「清洲」時代に全て完成しているので、IC名等は全て「清洲」で始まりますが、名古屋高速は、16号一宮線は「清洲」時代、6号「清須」線は「清須」時代に完成しているので、「清洲JCT」、「清須IC」のように完成した時代によって使い分けています。
清洲城の夕日
※紙芝居を見る場合は、清洲城天守閣の入場料(大人300円)が必要。
三法師(左)と佐々成政
三法師(織田秀信)は織田信長の孫で、「清須会議」(「本能寺の変」の後、織田信長の後継ぎを決めるための会議)で織田信長の後継ぎとして決まった武将です。
佐々成政は、「長篠の戦い」で鉄砲隊として活躍した武将です。
服部小平太は、「桶狭間の戦い」で一番槍をつけた武将です。今川義元を倒した桶狭間の戦いは1560年に起きています。年号は「1個60円の今川焼き」と覚えると忘れないと思います。
織田信長については、特に説明はしませんが、明智光秀に謀反を起こされた「本能寺の変」は1582年に起きています。年号は「いちごパンツで本能寺」と覚えると忘れないと思います。
三法師と織田信長と一緒に撮影した写真です。
三法師と織田信長と一緒に撮影した写真です。






