荒木村重は、天正ニ(1574)年に伊丹城を攻略後、城の名を有岡城に変更し、天正五(1577)年まで有岡城の大改修を行いました。また、有岡城を本城として、摂津の支配体制を確立して行きました。
その中で、村氏(荒木村重の弟)を吹田城に配置しました。
吹田城のあった場所については、2説あります。
1つ目は、吹田第三小学校付近(高城町)とする説です。
吹田市教育委員会では、昭和63年度に「天満宮所蔵文書」(明治初期)の調査を実施し、その中に吹田城についての史料を確認しました。
その史料に認められる地割が、高城町の字「城ヶ前」の地点に一致することを確認し、この地域を推定地として発掘調査を行いました。
推定地では、平成の頃に、埋蔵文化財の発掘調査が4回実施されました。
(発掘調査の結果については、以下参照。)
埋蔵文化財緊急発掘調査概況 吹田市教育委員会
平成元年度発掘調査 高城町1357他
遺構及び明確な遺物包含層は認められず、考古学的所見は得られなかった。
吹田城に関する遺構が存在する場合は、今回の調査地の東方の微高地上に展開していることが予想されるが、詳細については、今後の一帯の調査を待たなければならない。
平成3年度発掘調査 高城町1372―3
遺構及び遺物包含層を検出することは出来なかった。
吹田城に関する考古学的所見は得られなかったが、当調査地一帯の地理的状況を考える上で成果があった。
平成8年度発掘調査 高浜町1376―4他
第5層(白色砂)内から近世末以降のものと考えられる染め付け片が出土した。
しかし、他に明確な遺構・遺物についてを確認することは出来なかった。
平成23年度発掘調査 高城町1377―2
現代盛土層(第1層・第2層)以下、池か湿地の堆積土と考えられる暗青灰色粘土層(第3層)の堆積が認められたが、明確な遺構・遺物については確認されなかった。
結局、4回共明確な遺構・遺物を確認することが出来ず、吹田城がこの地区に存在したと断定までは出来ないようです。
実際に自分で現地を訪問してみたところ、現在は一帯が住宅地ですが、元々は吹田城であったのではないかと想像可能な、低い石垣のある住宅も一部存在しました。
2つ目は、アサヒビール㈱吹田工場付近(西の庄町)とする説です。
「中嶋崇禅寺寺領目録」(寛正ニ(1461)年)に記されている、「西庄城」が吹田城のことを指すであろうし、西の庄町に吹田城が存在したであろうとの説も有力です。
こちらも、実際に自分で現地を訪問してみました。
しかし、明確に城跡と呼べるような遺構・遺物は残念ながら見付からず、城跡的な雰囲気で、近年に造られたであろう石垣・門が、近くの片山公園(出口町)内に見られるのみでした。
余談ですが、片山公園の東隣の片山神社を訪問したり、少し南のアサヒビールミュージアムへのツアー(有料)に参加するのも良いかも知れません。
[参考図書等]
シリーズ【実像に迫る】010
「荒木村重」(天野忠幸著、戎光祥出版)
「埋蔵文化財緊急発掘調査概況」
平成元年度、平成3年度、平成8年度、平成23年度(吹田市教育委員会)
ホームページ「レファレンス協同データベース」
ホームページ「ニッポン城めぐり」
「Google map」
[アクセス]
埋蔵文化財緊急発掘調査実施地(高城町他)
JR西日本 京都線 吹田駅から徒歩約11分
阪急電鉄 京都線 相川駅から徒歩約9分
片山公園
JR西日本 京都線 吹田駅から徒歩約15分
阪急電鉄 千里線 吹田駅から徒歩約12分
当研究会に興味のある方は、ご連絡ください。
例会等の見学可能です。(メール連絡)
以下は、今後の予定です。
例会:令和9年1月11日(祝・月)




