信長公記 十一巻 (Gou) | 荒木村重研究会

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信長公記(しんちょうこうき 1600年頃、著 太田牛一)によると、「そもそも荒木村重は一僕の身にすぎぬ者であったが、先年(元亀四年)公方様が信長公へ敵対したみぎりにまっさきに信長公へ忠節を誓い、その功により摂津国の一職支配を任されるまでに出頭したものであった。しかしそのような身にもかかわらず村重は身のほどを知らず厚遇を誇り、ついに別心を抱くまでに至ったのである。」(十一巻)ここでは、村重のことを「一僕の身にすぎぬ者であった」と書いているが、実際は、池田勝正(摂津池田氏当主、池田城主)に一族として遇されるほど有力な重臣であった時に信長に近づき、見込まれて摂津一国の国持ち大名になった経緯を持つ。

信長公記は、戦国覇者の一級史料であるが、著者の太田牛一は信長の側近として活躍していたので、信長の正当性を誇張し、敵対したものは低い評価で記述をしたと考えられる。

なお、村重の父義村は、荒木略記によると「丹波の旗の一門の牢人にて小身に御座候」とある。

 

※ 「一僕の身」とは、一人の従者を連れていた低身分の人物の意味、また、太田牛一は、光秀のことも「一僕の身」と記している。

※「牢人」とは主人を失い秩禄のなくなった武士、「小身」は貧しいの意味

 

 

 

文字が潰れていて読みにくいが、参考に掲載

文中下線部は8行目

参考 信長公記(明治14年版)

   ふるさと戦国史 森本啓一氏