ここに一つ、やや謎めいたカタチの雛形が遺されている。
すでに当方のウェブ・サイト<折形・無免許皆伝>、「第4集:各種胡麻塩包み(長方形から折り出すもの)」にて紹介済みではあるが、『小笠原流諸礼儀熨斗包折法標本』より。
 

 

「節句胡麻塩」としか記されていないが、三月節句関連の一群に続いて、五月節句瓶子、菖蒲、ちまきの包みなどと並んで置かれていることから、端午の節句に関わるものであることは明らかだろう。であれば、この不可思議な形状は・・・、兜?
 
そこで、少しばかり手を加えてみたのが次の図である。
吹き返し、もしくは鎧の大袖のごとく見える箇所を少々角度を設けて左右に広げねばならぬため、中央上部、鍬形の隙間から、わづかに余計なものが顔を出す次第となるがこれは致し方ない(原型通り、ここを詰めればよいのだが、それではつまらぬものになってしまうだろう)。
 
赤と黒で折ってみたところ、バットマンの如くなりおおせたが、チトばかりは兜らしき面貌を取り戻したと見ることができよう・・・か?
 
 
続いて、こちらはいかがであろう。
『折紙と紐結び』(山口和喜子著、巧人社、昭和12年、国会図書館デジタルコレクション)より、「端午の節句用包(草)」(75~78頁)。
 
 
袋状の三角形を折った残余部分(折り返して封とするところ)の処置は同書の指示と異なっている可能性大なれども、さしたる支障はあるまい(他の書物や雛形を見れば、さまざま異同があるだろう.また、原図が正確に描かれているのか否かを判じかねるが、ご覧の通り、当方試作は図版の通りに仕上がっていない)。
先の折形とは天地を逆に据えて仕立てるようになっているが、これもどうやら、兜を模したものであるらしい。
 
さて、この包み、当初からこのような姿として案出されたものであったのだろうか。

試みに、裏側に折り返した残余部分を適宜な位置で再度折り戻せば次図のようになる。
 
 
元来、このようなカタチであったものが、高い抽象度を好む傾きから、伝播の途中で最後の折り戻しの過程が(意図的に)省かれた可能性はありはせぬか。あるいは(意図せずして)抜け落ちた可能性はなかったろうか。
 
雛形の保管に際して、長細い たとう折り の包みなどを用いるとき、横に広がっているものは収納に難があるため、仕上がった折形を二つ折りにしたり、本来は折るべき箇所を戻した状態で収められていることがある(すべての雛形に割印が捺されているワケではない)。
また、例えばこの場合であると、師の手控えであれば、折らずにおいた仕上がり一歩手前の雛形であっても、「ここは最後に折り返して用いる」といったことを、対面の伝授の場にて口頭で補うこともできようところ、ある時点でそうした事柄が伝えられることなきまま、折らざるカタチが雛形として伝承されるに至った、そのような経緯も考えられよう。

それはさておき、ここに、先に見た吹返し、あるいは大袖様の仕立てを採り入れてみたのが、次の写真。程度の差こそあれ、具象の場から離れざるを旨とする折り紙と、常に抽象を志向する折形と。さて、此奴、ええとこ取りか、どっちつかずか?
 

 
下底部中央にて用紙が幾重にも重なり合うため、かなりに無理があることは認めざるを得ないが(多くの場合、一部を切り落とす必要が出てこよう)、思いつきで試みたものとしてはそれなりの出来と、現時点では自画自賛をしておきたい。
 

以下3点、すでに紹介済みながら、ついでのことに。
右図は、左図を基に抽象度を高めようと企てたのであろうか(兜というよりは鬼瓦の如く見えぬでもない)。面白い外観を持ちながらも残念ながらモノを収め得るところがほとんど無きに等しく、包みとしては誉められたものと言い難い。
 
最後は、先の記事にも示したもの。当方手許の雛形集にては「胡椒の包み」とされているが、しばしば「端午の節句用・ごま塩包み」として紹介されてきた形である。
 
 
以上、捲いた豆を拾い喰いしつつ気ぜわしい限りであるが、先の記事で言及する次第となったため、季節外れの話題と相成り申した。
 
なお、ここに採り上げた折形の型紙(展開図)はgoogle-drive からダウン・ロード可