先日、さるお方様よりお尋ねを賜り、これまでに書き散らしてきた記事をひっくり返す必要に迫られたのだが、その際、Ameba さんの仕様変更(2024年4月15日)により、無料サーヴィス下で開設している当方のウェブ・サイトも、その主要部分(? 「折形の折り方」及び各種雛形集の型紙を一覧し得るべく整理した「折形尽倶誌」の頁)が閲覧できぬようになっていることに遅まきながら気付いた次第である。近年、収益が見込めぬ等の理由により、ブログのサーヴィスを取りやめる業者さんも相次いでいるものと承る。事情が判らぬワケではないが、早晩、貧乏人はネット社会からも閉め出されてしまうのだろう。

 

それはさておき、この度は、折りあらばと思いつつも(おそらく)今まで引用/言及する機会のなかった書、『日本教会史・上』(ジョアン・ロドリーゲス著、岩波書店)をご紹介申し上げると共に、これまで少しく気に掛かっておりながら放置していたことどもについても触れておこうと思う。

 

この本、『教会史』と題されてはいるが、上巻には16世紀末~17世紀初頭頃の「上層社会の風俗・習慣や、礼法・文化などについては、繁雑と思われるほど詳細に書きとめ」られている(西山松之助による同書付属月報より.ちなみに、出版社の内容案内には「通訳として秀吉・家康と耶蘇会との間の交渉に当たり、長崎のポルトガル貿易にも与った〈通事伴天連〉ロドリーゲスの記録。上巻はアジアや中国の概説を始め、日本の地理、衣食住の様式と礼法、特に茶の湯のことなど。」とある)。注解者には風俗史の泰斗・江馬務も名を連ねており、文化史、とりわけ茶道の歴史に関する文献などではしばしば参照/引用されてきた重要資料と位置づけられているようであるが、贈答慣行の文脈で触れられているのを目にしたのは、管見の限りにおいては『なぜ日本人は「のし袋」を使うのか?』(齋藤和胡著、淡交社)くらいのもの・・・であった・・・ろうか。

 

少しばかり、抜き出してみよう。

 

*****(引用はじめ)

 

日本人もシナ人と同様に、進物を贈る方法とうわべの飾りを甚だ重視して、そのことにいろいろな敬意の表わし方があるが、その方法は主として三つのものから成っている。進物を包んで贈る飾りと、進物をのせて差し出す台または縁高盆と、最後に進物を座敷の中に置く場所とがそれである。・・・彼らの習慣と礼法についてすでに述べたように、彼らはこのすべてのことに大いに丹精をこめ、虚飾を重んじる。

 

贈る物が、金、銀、沈香、伽羅木、各種の香料、絹の反物、扇、帯、その他種々多数の物のように貴重な品であれば、それらを一定の流儀によりきれいに畳んだ一定の種類の紙に包むのが一般の習慣である。・・・この紙の畳み方にはさまざまの作法と、きわめて優美な形式が用いられる。贈る品物に適した畳み方をするので、このことのための規則と技術とを取り扱った彼らの礼法の書物によって、それを学ぶ。というのは、反物を飾る紙はある作法で畳み、香料を贈るのにはまた特別な畳み方をするというように、その他の品も同様にそれぞれちがうからである。品物を包んで行くこれらの紙の上には、それぞれ、模様入りの紙できれいに引き結びにした紐(注:今いう水引のことで・・・)をかける。(455~456頁)

 

贈物を持参する召使は、口上を聞く前述の玄関番に目録と贈物とを手渡す。その玄関番は家の主人に目録だけを見せ、・・・客人が座敷に入るまでに、前もって、座敷の中か、縁側にある入口か、その品物相当の場所に贈物が置かれる。それがすんでから、後に述べるように客人を室内に招じ入れて、主人が応対する。そして家の主人は贈物の傍を通りすぎる時に、実際に贈物がそこにあっても、それには視線をやらないで、見ないかのようにしなければならない。・・・なぜならば、それを持参した客人よりも、贈物の方を気にしていると思われるからである。(460頁)

 

*****(引用ここまで)

 

また、本文ではないが、400頁、「小笠原殿」についての注記には「天文頃には・・・書礼、受取渡し、饗応、婚礼法式など、室内の礼法を指導して、伊勢流を圧迫した。これは鉄砲の進出によって弓馬の礼が顧みられないようになった結果、伊勢の領域に進出したのに起因している。しかし永禄四(一五六一)年武田信玄と戦って敗れたため、小笠原の流派はその門下の小池氏、水島氏の手に移った。この亜流は、伝統の本流に自流を加え、あるいは改竄して、小笠原の名で流布することとなったのである。」と見える。

 

この件に関わることだが、愚生、かつて折形の来し方を巡り

 

■ 江戸後期:賑やかな町人たちの中へ

町人たちが次第に経済力をつけ世に台頭し始めた元禄の頃から、下級武士(浪人)たちが口に糊するため、「小笠原流」の看板を掲げて町人の婦女子らを対象に、折形のさまざまを直接に指南することが流行したようです。

 

されど小笠原流とは言いながら、口伝・秘伝とされてきた “お上” の流儀をそのままに教え伝えることは憚られたようで、少し形を変えたものに仕立てたり、武家の間ではやりとりされることのなかった品物の包を新たに作り出したりしたのでしょう(むしろ、新たに考案された面白い形に適宜な名称をあてがったという方が実情に近いかもしれません)。いつの頃にか、折形の種類は数百とも千を超えるとも言われるほどにまでふくれ上がりました。

 

との記述をしていたことがある(これは当方のウェブ・サイトに記したところであるが、他にも類似の記述があるやもしれぬ)。

 

ここに記した「口伝・秘伝とされてきた“お上” の流儀をそのままに教え伝えることは憚られたようで」という箇所は多分に憶測に基づく通説(めいたもの?)に寄りかかったものであり、何ら根拠を有するものとは言えない(事柄の性質上、出典を求めることも無理であろうけれど)。当初からいささか疑念を抱きつつの表記であり、気に掛かっていたのであるが、この機に一旦、この文言を削除しておこうと思う。ここで『教会史』の注記を借りるなら、「されど小笠原流とは言いながら、その跡を襲った水島氏らの流儀に則った手を加えたり、武家の間では・・・」といった表現が、より適切な物言いとなろうか(もっともこの訳本が出版された1967年以降、伊勢家と小笠原家との確執について歴史学上の新たな知見が得られたか否かについて、小生、知るところなきことを告白しておかねばなるまい.なお、包みの姿の変容については、荒木真喜雄『日本の折形集』24頁、また当方雛形集に示した『女子教科』の「短冊・手綱・硯・手拭」や『包結記』の解説記事における「色紙」の項をも参照されたし)。

 

ついでながら、459頁、「目録の用紙は・・・一定の形に畳んである。」の注記には「厚手上質の楮紙である檀紙(横じわのあるもの)」と明記されていることにも触れておこう(以前、どこかに記しおいたものと記憶するが、愚生、東国の事情に疎いことを重ねて申し添えておく)。このほかにも上層社会に属する人々の社交に纏わるさまざまなことどもについて、甚だ興味深い記述がなされている。同書については、早晩、国会図書館の送信サービスの対象になろうものと期待をしていたのだが、残念ながら(?)岩波書店よりオンデマンドブックスとして販売されている。ご関心のある向きはどうぞ図書館などでお手に取られむことを。

 

 

さて、上に見た通り、同書では紙の「畳み方」という言葉(訳語)が用いられている。ここでふと思い及んだのは、『包結記』関連の当方記事にて触れた「美しくたたみたる」との文言。記事には次のように記した。

 

国会図書館デジタルコレクションで確認できる『伊勢家礼式雑書・第六巻』の『武雑記』・扇の包みについての条には(14コマ:絵図は描かれていない)、「うつくしくだみたるうすやう(美しく染められた薄様)」と書かれているようだ。また、同じく『伊勢家礼式雑書・第二巻』の『包記』筆写本にも「堂 ゙ミたるうすやう」と見える(169コマ、「堂」は「た」の変体仮名)。他の写本も併せ見る必要があろうけれど、『包結記』の版本は「たたみたる」となっているが、もとは「彩みたる(だみたる)=染められた」であった可能性も否定できまい(「それがどないしたんや」の声に清き一票を捧げつつ、古人も崩し字には手こずっていたのかと思えばチト安堵・・・)。

 

 

『包結記』版本には「色々にうつくしくたゝみたるうすやうをかさねてそれにて包む」とあるが、ここに書かれている通り、素直に(?)読むなら「<美しく畳んだ薄様>を重ね、その重ねたもので包む」ということになろう。従って、この文言に従うなら「<重ねる前に、すでに畳まれている複数の薄様>を重ね合わせ、その<前もって然るべき形状に仕立てられた複数枚の薄様>を重ね合わせたものにて扇を包む」こととなってしまう。しかも、<前もって畳まれる>「うすやう」は、「色々に」畳まれているのであるから、いかに「うつくしくたゝ」まれていようとも、それらを「かさね」合わせるなら、どうにも珍妙な姿を呈するのではなかろうか。

 

一方、関連記事に引用した『武雑記補註』の版本に今一度目を遣ると「うつくしくたゝみたるうすやうのかさねたるとは、うすやうの紙を色々に染たるに、切はく、でい絵、などの書たるを七重ばかりもかさねて扇十本をつつむ也」と見える(引用文中の読点は縦書き文字の右下に添えられた小さな「●」印の打たれているところ)。念のため申し添えておくが、これは『補注』“版本”の文章であり、上記引用文中、最初の<うつくしくたたみたるうすやうのかさねたる>の文言が『武雑記』の本文である(『包結記』とは異なり、「色々に」の語は見られない)。貞丈による補註は「・・・とは、うすやうの紙を」以下となるが、「色々に染たるに」と続くゆえ、ここでは<彩(だ)みたるうすやう>を重ねて包むことが示されているものと解されよう。

 

ところで、同じく関連記事に引いた『武雑記』の筆写本は、既に見たとおり「うつくしくだみたる」と書かれているようだが、今般、新たに確認した国会図書館デジタルコレクション『史籍集覧』第34冊所収の活字版では「うつくしくたゝみたる、うすやうの重ねたるにてつゝみ」と記されている(現時点にて『史籍集覧』の底本は確認できていない.また『武雑記』の版本も未見)。

ご承知の通り、往時の文章には句読点が施されていない。愚生は「うつくしくたゝみたる」は、続く「うすやう」にかかるものと解したのだが、『史籍集覧』の表記に従うなら、この「うつくしくたゝみたる」は、「(うすやうの)重ねたる」を修飾する句と見ることを可能にする・・・のかもしれぬ(小生の感覚にては、なお不自然さが残るように思うけれど・・・)。

さて、この箇所を如何に読むべきか、ご判断は諸賢に委ねるが、『包結記』、『武雑記』双方の筆写本、また『補註』の記事を見併すれば、版本に「たゝみたる」とあるのは誤記/誤読であり、「だみたる」を採るべき、すなわち、「<美しく彩(だ)みたる薄様>を重ね合わせた後に成形し、包む」と受け取るのが妥当であろうと思う(ん?『包結記』の「色々に」の後ろにも句点を置いてみたらどない? ってか・・・)。

 

なお、愚生の誤読で無い限り、『補註』に「でい絵」とある。「でい絵」=泥絵、であろう。通例、「でい絵」と言えば、「①泥絵具で描いた絵。江戸末期~明治初期、芝居の看板絵や絵馬のほか、眼鏡絵など洋風の画に用いた」(『広辞苑』:「泥絵(どろえ)」)ものを想起しようけれど、『広辞苑』語釈には引き続き「②⇒でいえ」とあり、その「でいえ」の項には「①金泥・銀泥でかいた絵。→金銀泥絵」と記されている。さらに、「金銀泥絵(きんぎんでいえ)」の項には「金泥・銀泥で描いた絵。古代、木工品の装飾や仏画などに用いられ、近世には俵屋宗達が書をかく料紙の下絵に用いた」などと見える。

岩波文庫版『嬉遊笑覧』には、「泥絵は、金泥を刷毛にて隈どり、そのうへに、草花蝶鳥などを金泥・銀泥などしてかき、又、種々の物をもかく也。『新勅撰集』賀歌、「泥絵の屏風、石清水臨時祭、・・・」」(第二巻)との記述があるが、索引(第五巻)では「都廬(とろ)」の次、すなわち「どろえ」と発音すべき語として掲げられていることを付記しておこう。

 

 

近藤瓶城 [原編]『史籍集覧』第34冊,臨川書店,昭和42. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3450097

 

過日、国会図書館のデジタル化資料をあさっていたところ、たまたま先考の下掲2書籍が「個人向け送信サービス」の対象となっているのが目に入ったのでお報せしておこう(公開開始日は共に2025年6月3日、要利用登録)。

 

『日本の折形集 : 展開図と折り方一六〇例』

https://dl.ndl.go.jp/pid/13288735

 

『折る、包む : 日本の造形』

https://dl.ndl.go.jp/pid/13292285

 

なお、後者43頁の下部に示されている「古裂類の包みの裏面」の図版は天を先に折った後、地(下底部)を折り重ねているように写されているが、これは天地を反転させて載せるべきであったハズのところ(・・・と言うか、影のありようから推すに、おそらく著者の立ち会いなきまま、撮影時点で既に誤って置かれていたのだろうと思う)。

また、61頁<金封包み各種>の上から3段目左端には白赤水引を両輪に結んだたとう折りに「祝い事など(関西風)」とあり、その右隣に配された金銀両輪のたとう折り金封にも「祝い事用(関西風)」と記されているが、これも不適切な表記である。本来はたとう折りの両者ともを「関東風」とし、いわゆる<中包み型>(本書では「金封包みと」称している)で折られている上から2段目左端の「祝い事用」と3段目右端「祝い事など」の2点を「関西風」とすべきところである(もっとも、今さら関西/関東と乱暴に線引きするのは如何なものかと思わぬでないけれど・・・)。なお、白赤水引を施した方を「祝い事<など>」としているのはおそらく「見舞い等の用途を含む」との意であろうと思う。

 

ちなみに、斯界の泰斗であらせられる山根章弘氏のご高著『折形の礼法』、『日本の折形』は、既に同サービス開始直後の2022年5月31日より公開されており、折形の一層の普及に裨益するところ大なりしことは多くの皆様方が先刻ご承知の通り。

 

『折形の礼法 : 暮らしに息づく和紙の美学』

https://dl.ndl.go.jp/pid/12101588

 

『日本の折形 : 贈る心を形にかえて』

https://dl.ndl.go.jp/pid/12122508

 

ここで、後者の表紙や見開きには「ORIGATA」と大書されている一方、前者の「はしがき」冒頭には、括弧付きながらルビではなく「折形(おりかた)」と明記されていることが見てとれる。

氏も、当初は長らく用いられてきた「おりかた」という音(呼称)に従っておられたが、熱心なご指導を重ねられる過程において折形そのものを普及させると共に、技法・手順を意味する「おりかた(how to fold)」との混同を避けるべく按ぜられた(と承る)「おりがた」という発音をも広く根付かされるに至った、その足跡が偲ばれるところといえよう。無論、書誌の「タイトルよみ」の項にて、前者は「オリカタ ノ レイホウ」、後者は「ニホン ノ オリガタ」とその経緯を精確に反映しておられる国会図書館さんの丁寧なお仕事にも敬意を払うべきであろう(丁寧な仕事と申さば、国会図書館さん、今般の先考2著の公開に際し、事前に一言お伝えいただければさらに有り難かったと思う.どうせのことなら「ログインなしで閲覧可能」として下さればよかったのに・・・)。

 

また同じ時期、新たに個人送信の対象に加えられた図書のひとつに佐々木浩一訳注による『包結図説 : 伊勢流図解・紙包みと紐結び』(国書刊行会刊)がある。

https://dl.ndl.go.jp/pid/13263578

 

本書は本文冒頭、「・・・大きい物を包むには大高檀紙を、・・・それにかさねる次の紙には引合紙を用い、更にそれにかさねる三枚目の紙としては・・・その三枚の紙を一重ねにして・・・」云々と、いきなり読み進める気を殺ぐに足る迷訳に始まる・・・、と申したいところであるが、荒木真喜雄の復刻版(淡交社刊)も原文に「高位の人はだんしを用ひらるべし」とあるところ、「高位の人に<宛てては>」との誤訳をしでかしているので、あまりエラソウな口は叩かぬ方がよさそうだ(ちなみに、次なる水引の条においては原文「高位の人は金銀の水引をも」を「高位の人<ならば>、金銀の水引を」と、通常の主格表現(?)であるものを条件節として訳出するという程度の操作は施しているものの、文意を損ねるには至っていない.無論(?)、両者の解釈・扱いの違いについて当方、知り得る立場にあったことは否めぬところであるが、今となっては知る由もない.ついでながらもう一点。『復刻版Ⅰ翻刻・現代語訳集』72頁「稚児・華礼・女房方」も「稚児・若衆・女房方」とすべきところ。なお、同じ箇所の佐々木版(53頁)は「子供、若人、婦人への送(ママ)物をする時には水引をかけるのが良いと言ってます。」となっている。まぁ、ここまではよろしかろう。されど、この文言に続き、「そうするとよろこぶから、と言う理由からです。」との、少なくとも天保11年の版本には見られない一文が添えられている。佐々木版も「天保本を訳述した」との旨、記されているのだが、はて、さて・・・。

これらの他にも指摘すべきところはあるのだろうけれど(無論、復刻版も含めて、である)、好学の士の愉しみに取っておこう.なおこの佐々木版、出版当時(1987年)の「電算機打出原稿」をそのまま印刷に回したのであろうか、縦長のドット記号らしき文字で埋め尽くされており、甚だ読みづらい)。

 

ことのついでに、山根氏が『折形の礼法』にて言及されている西田虎一 著『独習自在礼式折紙水引結』も、やはり国会図書館の「個人向け送信サービス」で閲覧できることを紹介しておこう。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1231194

 

この度あらためて同書を眺めてみたのだが、天地折り返しの順については、「順:先に地(下底部)を上方に向けて折り、後に天が地を覆う如く、上辺を下に折り返す」、「逆:先に天を折り下げた後、地が天を覆うが如く、下底部を上方に折り返す」、その双方が混在している。折り進める工程上、そうならざるを得ないもの(「括弧()」で示した)をも含め、一瞥した限りで仕分けると下記の如くなる(誤認あれどもご容赦下されたし)。

 

<順>

茶包其ノ二、部屋見舞金銭包、婚礼結納用諸金銭包、(出産祝包)、神前御供料包、(御神楽料包)、祈祷料包、香奠包、仏前包、回向料包、酒肴料包、樽料包、(祝儀謝礼並普通金子包其ノ一)、(餞別包)、祝儀用金銭中包、紅包、白粉包、櫛・根掛其他諸品包、弓弦・琵琶・琴三味線等ノ糸包、写真・絵葉書・小鏡・銭入其ノ他小間物雑貨包、袱紗又は風呂敷包、呉服包

 

<逆>

結納御支度料包、(祝儀謝礼並普通金子包其ノ二)、凶事用金銭中包、筆・墨・鉛筆・ペン軸・其ノ他細長キ物品包、色紙包、(黄粉包、焼塩又は胡麻塩包)

 

本書については、吉事用茶菓子敷紙の姿に疑念を覚える御仁も少なくなかろうし、水引・鮑結びについても、向かって左側の輪を先に設けるという右利きのヒトにはいささか手こずり易い手順(今日でも過半の指南書が従っているか?)が示されているなど、その記述のすべてが必ずしも信を置くに足るものとは言い難いけれど(部分否定のつもりである)、昭和12年の刊行時点においては、(吉凶共に)「天が地を覆う仕立て」が通例と見なされていたであろうと解することが許されるであろう。

愚生、既に商いの現場から遠く離れているので、今さらどーでもええことではあるのだが、(主として金封の裏側の重ね方を巡る)包みの世界にて天地転覆=下剋上が起こったのは、第二次世界大戦敗戦後のことではないかとの仮説を抱いている。

今なお思い出せば気持ち悪いこと甚だしいので、ご関心とお暇をお持ちの御仁様があらせますなら、是非、ご検証のほどなされたく伏してお願い奉り候。この類の内容を記した書物は、どうやら日本十進分類法にては「385:通過儀礼、冠婚葬祭」あたりに分類されていることが多い模様。

 

あわじ結びについても、何故にかくも煩わしい手順が古くから(明治期には既に、あるいは江戸時代から?)広く紹介されているのかも判然とせぬままである。初期の指南書筆写が左利きであったのか、あるいは、寺子屋師範の某による「ワテんとこ習いに来んと、ムツカシうて結べまへんやろ」との策謀であるのか、はたまた、伊勢家と***家との確執が反映されているのだろうか・・・(以下、文字で意を伝えるのは困難至極であるが・・・仮に左利きであったとしても、輪を設ける際、輪の上方に向かう先端の方を、描いた円弧の上に重ねることで、より容易に形を整えられるハズ.されど向かって左に円弧を仕立て、わざわざその円弧の下方をくぐらせ輪を拵えるという難度の高い、従って素材にも無理が及び、仕上がりの美しさが損なわれかねない手順が示されていることが多く見受けられる.これは、仕上がりの形状(すなわち、順当な流れに沿うなら前もって向かって右の輪の円弧を描いた後、さらに輪の上方に向かう先端の方をその円弧の上に重ね、続いて向かって左の輪を設けるに際し、先に形成されている右の輪の水引と交差する都度、上、下、上、下・・・を繰り返し、結果的に向かって左側に位置する輪の下をくぐらせる次第となる)こそが先にあり、その姿に仕立て上げるべく、必ずしも好もしくない手順が描かれるに至った証左と見ることができようかと思う.無論.美しく仕上げることができるなら、その順序はどっちゃでもええんですけど・・・)。

 

今日、生成AIの普及により、いかに虚偽・誤認が含まれておろうとも大量に行き交う多数派の言説のみが再生産されているらしき時勢にあっては、当方の如きかそけき声はそれが仮に真っ当な見解を示していたとしてももはや顧みられることを期待すべくもないのだろう。まぁ、後々んことまでこっちゃ知ったこっちゃないんですけど・・・。

 

 

此度のネタは、折形ではなく(遊戯的)折り紙関連。

 

 

愚生、型紙屋の看板を下ろしし後、西暦2000年を越えて早四半世紀が経とうというに、未だ「義理チョコ/義理返し」の旧弊が残存している珍妙な界隈にて糊口をしのいでいるのだが、今般、その年貢納幣に際してチト遊び心がうごめき、招き猫の折り紙を添えて奉じたところ、そこそこの好評を得ることができた(らしい)ので、ドヤ顔(死語か?)を伏せつつ、ここに掲げおく次第である。

 

 

ネコは、『高雅な折り紙』(山口真著、ナツメ社)所収の「招き猫(オリオール・エステベ作)」による。ただし、原本の左前脚は真っ直ぐ下げられているが、ここでは少しく曲げておいた(小生、いわゆる「創作折り紙」などに関わる著作権(?)のありようについて知るところは無いのだが、このネコの折り方は YouTube でも見ることができる.もっとも一部を眺めただけなので、細部に異同はあるやもしれぬけれど)。

 

また、土台に据えているのは、出典不詳ながら「ダリア」などと称されているもの(ネットで閲覧できる折り方指南の動画などでは、花弁に見立てられている箇所の左下角を折り込んでいるようだが、ここではその工程を省いている)。

 

ネコの難易度は、掲載書に示されている5段階のうちの2番目、さほどの困難を覚えずに折ることができようけれど、土台の方は、要領を得るまでに少しく手こずるかもしれぬ。

 

この度は手許の端紙を用いたため、用紙の精確な寸法を示し得ぬが、ネコは15センチ四方程度、土台は17~8センチ四方程度であったかと思う(土台は、もう一廻り大きくてもよかったか)。

ちなみに、土台に用いた金紙は特殊製紙さんのアルミ蒸着紙「ハイピカ・ゴールド」にギラ刷りを施したもの(随分以前のハナシではあるが・・・)。この紙、原紙のままでも程よくキンピカ感が抑えられているので使い勝手が良いのだが、広く入手可能な折り紙の金紙などでは“キンキンキラキラテラテラ光る♪~”、嬉し過ぎて手に負えぬシロモノに堕する恐れ無しとしない(やってみんと判らんけど・・・)。

 

 

さて、いささか大仰なハナシになるが、この「招き猫」、折り鶴に準ずる平和大使になり得ぬものだろうか。文化圏を異にする生活者の目に、片脚(左右で含意を異にするとの説もあるらしい)を挙げたネコの姿がどのように映るのかを判ずる能を持ち併せぬけれど、多くの人々に微笑みを届ける力は充分に備えているものと思う。ミサイルに替え花火を打ち上げ、隣国向けの風船には生ゴミの替りに招きネコを結わえるなら、ギスギスしたこの世の中ももうチト穏やかに成り行くのではなどと半ば本気で夢想せぬでない。

 

何はともあれ、お気に召された御仁様がおいでなら、何かの折りに手近なところからご活用いただければ嬉しく思う(・・・などと、他人様の創作品を組み合わせただけで申してよいものや否や・・・推し活? としておこう)。

 

 

愚生、遊戯的なる折り紙界にさほど積極的な関心を寄する者ではないのだが(無論、儀礼的折り紙界にも、でござんす)、ふと、このような「オモロイもん」に巡り会うと、十日ばかりは「てきとーなヒマつぶしのネタがでけた」と嬉しくなる・・・こともある。

 

それはそうと、当方ガキの時分、国鉄のローカル線などで、ボックス・シートというのだろうか、向かい合わせに配されている4人がけの席に子供が座ると、はす向かいに陣取っていた爺さんが「ボク(ここでは二人称)、これ、持って帰り」と言いつつ、キャラメルの包み紙で拵えた折り鶴なんぞを手渡している光景を目にすることは稀ではなかったように思う(あるいは郷愁が紡ぎ出した牧歌的な幻影であるやもしれぬけれど・・・ところで、おっさん、爺さんよ、中身はアンタ、喰うてもたんか?)。

ジェンダー云々がかまびすしい昨今、かようなことを申さば焼き討ちに遭いかねぬけれど、アメちゃんをくれるのはおばちゃん、折り紙をくれるのは爺さんと、概ね相場は決まっていたのではなかったか。今日でもアメちゃんを配って歩くおばちゃんは跡を絶たぬようだが(現に数年前、飼い犬に連れられ散歩していた既にオッチャンであったワタクシに対してすら、気前よく「ほれ、これでもなめとき」とアメちゃんを差し出してくれる近所のご婦人があらせられた)、折り紙を配る爺さんの姿はすっかり過去の遺物となってしまった模様。今般、年貢の包みにネコを貼り付けている己が姿は、まさにその過去の遺物(汚物?)にほかならぬのだと思い至らば、こうして推し活にいそしむのも如何なものかとためらうところ無しとせぬが、まぁ、何はとまれ、お気に召された御仁様がおいでなら・・・。

 

 

では、また、いつの日か。

先日、さる御仁より『型紙拾遺:第弐輯』に示した掛蓬莱の折形の形状について、「ここに見る<型紙-1>は蝶なるや否や」とのお尋ねが寄せられた。

 

 

無論、当方とて定かなるところを知るものでは無いながら、昨年末にも同趣旨のお問い合わせをいただいたことがあったので、ここに愚見を記しおく次第である。

 

確かに、掛蓬莱の<型紙-1>は、例えば『折形大全』に見られる「118:雌蝶」とほぼ同形のものである(翼部の折り返し箇所が原紙の中央にまとまっているか否かの違いのみ.一見にて明らかではあろうけれど、両者を比較し易いよう、「118:雌蝶」の型紙の上下を反転させて掲出しておく)。

 

 

図-01:掛蓬莱型紙

 

図-02:『折形大全』「118:(雌雄蝶 水引掛様之図)」

 

図-03:同雌蝶(上下を反転)

 

図-04:同雌蝶型紙(上下を反転)

 

図-05:掛蓬莱<型紙-1>

 

 

新春を寿ぐ飾り物ゆえ、そこに蝶を添えようとの思いが蠢いたとしても特段の不思議はなかろうけれど、すでに述べてきた通り、掛蓬莱が、旧来の卯杖・卯槌と蓬莱・喰い積みとが習合・混淆したものであるなら、この<型紙-1>は、卯杖・卯槌の折り紙部分を継承したものと見ることが許されるのではなかろうか。

 

卯杖・卯槌の包紙は、おおよそ『大全』に見る「116:瓶子花形」と同形(お家ごとに折り出し角度の異同はあろうけれど)。

 

図-06:『大全』「116:瓶子花形」

 

図-07:同

 

この笠の如き折形を斜め下方から見上げた姿を平面状に仕立て直す(様式化する)と、掛蓬莱の<型紙-1>が得られようことには、大方のご同意をいただけるだろう。(Q.E.D.)

 

***

 

ところで、上に「118:雌蝶」と記したのだが、今般『折形大全』にかかわる拙稿を見返してみたところ、『大全』の「117」、「118」には「雌雄蝶 水引掛様之図」とあるのみで、雌雄の別は明記されておらず、しかも両者の絵図における雌雄の掲載順(左右の配置)が反転していることに改めて(より率直に申さば、今さらながらに)気がついた(雌雄の別が明記されている「113:銚子」については、そのありようにいささかの疑義が存する旨、すでに同稿にて触れている)。

 

図-08:『大全』「117:雌雄蝶 水引掛様之図」

 

図-09:『大全』「118:同(雌雄蝶 水引掛様之図)」

 

なお、念のため申し添えておくと、ここで云う雌雄の別はその「翼部(羽)の折り出し/折り返し方」で判ずるものと見てのことである。羽を設ける際、

117・向かって右は、手前に谷折りで折り出し、

117・向かって左は、裏側に向けて山折りを施している。

一方、

118・向かって右は、裏側に向けて山折りを施し、

118・向かって左は、手前に谷折りで折り出している。

 

このとき、私は「裏側に向けて山折りを施す」方を雌、「手前に谷折りで折り出す」方を雄と措定したのだが、その由縁の最大のものは、『小笠原流諸式折紙標本』などに見られる例。

下図は掲載順に「真の雄蝶」「真の雌蝶」「行の雄蝶」「行の雌蝶」であるが、<真>では、蝶の胴体に当たる中央部の形状が雌雄で(ほぼ)同じであるため、谷折りで手前に向けて羽を折り出すことにより雄蝶を、山折りで裏側に向けて羽を折り返すことにより雌蝶を仕立てている。

一方、<行>にては、胴体部分の形状が雄は凸に、雌は凹になっており、中央部の形で雌雄を別けている。このため、<真>の如く羽の設けようで雌雄の区別を示す必要はなく、共に手前に谷折りで折り出している。

ここには、ある構成要素(ここでは羽の設け方)が陰陽・雌雄双方で同じ形状で仕立てられているとき、それは一方のみにて両者を包摂し得る陽の性質を表すものと見なすことが許されるとの、(一般論としても)概ね受け容れられるであろう認識が働いていよう(この点について立論・論証をなし得る能を持ち併せておらぬが、ジェンダー平等が叫ばれる今日のご時世下、敢えて不適切極まりなかろう一つの例を持ち出すなら、「医師」の呼称は男女の別なく使われる中、「女医」なる語が存在する一方、「男医」という言葉は無い・・・、って、チト違う・・・か・・・?)。

 

図-10:『小笠原流諸式折紙標本』「1:真の雄蝶」

 

図-11:同「2:真の雌蝶」

 

図-12:同「3:行の雄蝶」

 

図-13:同「4:行の雌蝶」

 

無論、雌雄蝶について述べた旧稿にても記している通り、蝶の雌雄の別は個々の資料・雛形の集成ごとに“まちまち”としか申しようがなく、生憎ながら(?)ひとつの基準を以て截然と見分け得るものではない。

 

また、以下に引く『奥伝図解』の雌雄蝶や『類聚婚礼式』の樽に結わえ付けられた雌雄蝶の絵図を見れば、雄蝶は羽を外側に向けて、雌蝶は内側に向けて巻かれており、これを平面状に圧すれば、上述私見の雌雄の別はすぐさま逆転することとなろう。

ここにおいて「<陰:立体なら内向き、平面なら裏向きに>、<陽:立体なら外向き、平面なら表向きに>。立体成形と平面仕立て、両者の設計思想の相違に基づく」などと安直な強弁を垂れるのは容易であるが、かく申さば、いささかと言う以上に忸怩たる思いが募るのを禁じ得ない。

さらにまた、『大全』「119:同(雌雄蝶 水引掛様之図)」に至っては雌雄共に同形、しかもその姿は羽を山折りにて裏側に折り返す雌蝶仕立てで描かれてもいる。『大全』の図版には全幅の信頼を寄せかねる次第についてはすでに拙稿にて触れて参ったが、はて、さて、この件や如何に・・・(存外、「確たる基準無し/何でもあり」との度量の広さを図らずも示しているのかも・・・)。

 

図-14:『奥伝図解』雌雄蝶

 

図-15:『類聚婚礼式』樽雌雄蝶

 

図-16:『大全』「119:同(雌雄蝶 水引掛様之図)」

 

さて、本稿は掛蓬莱の話であった。もとより蓬莱は年の初めを祝うもの。陽の陽たる年賀の飾りを蝶で彩ろうとしたのなら、そこに据えるには雄蝶こそが相応しいと、少なくとも往年の人々は思ったであろう。

しかるに今、俎上に載る蓬莱<型紙-1>に見えるのは羽を裏側に向けて折り返した姿。雌雄の別につきての上掲私見が首肯され得るなら、これは雌蝶の仕立てである。このことも、<型紙-1>が蝶ではなく、卯杖・卯槌に由来するとの憶説を傍証するやもしれぬと心ひそかに思わぬでない(無論、先述の如く雌雄の別が不分明なれば、<型紙-1>は、羽を裏側に向けて折り返してはいるものの、(愚見とは異なり)雄蝶なのではないか、との見立ても成り立ち得るだろうけれど)。

 

 

***** 2024.12.31. 追記

 

 

さて、今一度、卯杖・卯槌の包み紙(ここでは、その代用として『大全』所収の「116:瓶子花形」を掲げておく)をご覧いただこう。

 

 

この折形は、笠の如く四方に張り出す形であり、正方形の原紙の頂点のひとつは正面に(図中①)、隣接する2つの頂点(②、③)はその後方の左右に位置する。

 

続いて、雌雄の蝶を見てみよう。裏側に向けて山折りを施す雌蝶仕立てでは、上に示した瓶子花形同様、左右両端の頂点②、③は①の後方に収まる一方、

 

 

手前に向けて谷折りを施す雄蝶仕立てでは、左右の頂点②、③が(前後/奥行きの位置関係において)①と並ぶか、①よりも前方にせり出してくることとなろう。

 

 

かくなる次第で、<型紙-1>が卯杖・卯槌の包みに由来するのなら、それは左右両翼を後方に向けて折り返す形状をとることとなる。

 

 

 

小生、一連の型紙起こしの作業を終えて後、すっかり手を止め穏やかなる隠遁生活を愉しんでいたのであるが、今般、とある事情の下、かつて『型紙拾遺:第弐輯』にて触れていた樽飾りの迎春向け転用を試みる仕儀となった。

ここで得たのは、折り紙部分:既出の型紙通り、水引を含む全体の長さ:550 × 幅:180 ㎜ 程度のシロモノ。

 

 

 

蝶の前に結わえ付けた飾り結びは金/金銀では陳腐かと思い、絹巻の日和を当ててみたが、・・・ぬぬぬ・・・、まぁまぁ・・・悪うはないけど・・・といった程度どまり。

鮮やかながら下品にならぬ色調の朱を試したいところであるが、あいにく適当なモノが手許に無く・・・(^_^;)

 

吊り下げる水引については、赤が前面に出ぬように致しつつ、少しばかりその裾を長めに仕立ててみた。

 

無論、切り揃えねば気持ち悪いと思し召しの御仁もおられよう。長さを揃えるに際しては、白赤を左右に振り分ける、均等にバラつかせる、あるいは、中央に赤を据え両脇に白を配するなど、幾つかの代案があり得るだろう。

 

 

ところで、『小笠原流 包結のしるべ』や『女子教科 包結之栞』には樽の栓(詰め)に付する飾りとして下掲の如き図が描かれているが(『女子教科』/国会図書館デジタルコレクションより、下部に折り返しの指示があることから、栓の前面に結わえ付けて飾るものなのだろう)、

 

 

当方手許のガラクタ箱に、次図に見る「両開き熨斗」の如き折形を樽の栓に巻き付けたものが転がっていたのを目にした記憶がある(既に処分済みであろうことと思うが、再び目にする機会あらば、いづれご紹介することもできよう)。

 

 

検証の手立てなどあらぬことと存ずるが、『拾遺』取りまとめの時点にて「蝶の胴体をかたどっており、上を雄、下を雌と見なすものと暫定的に解しているが定かなところを知らず」と記していた「上下の円錐状部分」は、「両開き熨斗」のような体裁であった栓の飾りの前に蝶形を加え、より華やかなものに仕立て上げた、その経緯を示す証と見ることが許されそうだ・・・と、遅ればせながら此度の作業を進める過程で思うに至った次第である(次図のような出で立ちの屠蘇蝶にもその残滓を認めることができるだろう)。

 

 

なおこのとき、「樽飾/羽」の変形例を思いついたので(ってほどのものではないけれど・・・折り紙の技法に長けた御仁なら、1枚の用紙で左右一対を折り出すこともできるのではあるまいか)以下に示しておく。『拾遺:第弐輯』にも追記しているので、お手許必要あらば。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

以下、余談。

 

 

『続花道古書集成 第四巻』(思文閣出版)所収『生花之書』、<草木包様之事>の項に興味深い絵図が描かれていた。

木物の真草(上2点)は右前、草物の真草(中2点)は左前の仕立て。折り方は陰陽の別に従いつつも、結びはいづれも両輪(すなわち陰)になっている。

 

 

同書・解題には「池坊系の生花伝書の一種・・・思うに本書は、寛文から元文頃までの投入生花の口伝を・・・書写したものであろう」とある(寛文~元文年間=1661~1741)。わざわざ引用しておきながらではあるが、愚見の開陳は控え措こう (^_-)

 

 

もう一つ、面白い画像を。しばし前に目にした内祝いの、世に謂うところの「のし紙」の図。

 

 

 

右上に「熨斗の包み」と思しき図柄が施されているが、そこに熨斗らしきものが描かれているさまを見て取ることはできない。

すでに10年以上の時が経つであろうか、市販の金封=のし袋から熨斗(申すまでもなく、太古の昔から(?!)そのほとんどすべてが模造品、あるいは代替品であったろうけれど)の姿が消え失せ、その包み紙だけが添えられている珍妙な景色を目にしてきたが、それがついに市民権を得て定着、図案化され、まさにズバリそのまま、正真正銘、名実ともに「のし紙」の呼称に相応しい体裁を整えるに至ったらしい。

ホンマんとこ、今や誰も「(まがいモンであれ何であれ)熨斗の付された掛け紙」なんぞにぁ用事はないのだろう。

 

 

旧人曰「もしもし、ボチボチのしのし?」

 

又曰「代はりに花を 添へませう 緑の息吹 届けませう」