デンマークでの記憶の中に

音がない

そこに、まさに人が生きていて、
子どもが笑顔で活動しているのに、
声が残っていない

通勤時間の人混みのホームで集まり、
電車を乗り継ぎ、バスに乗り、
自動車だってたくさん走っていたのに、
音が残っていない


においがない
敏感な私は、
土地のにおい、空気のにおい、場のにおい、人のにおい、etc.を瞬時にキャッチし、
イメージとともに記憶する。
それなのに、においが残っていない

その場、その場で感じていたはずだが、
まるで、
すっと溶け込み馴染んでしまったようである


違和感がない
街で、学校で、電車で、お店で、
尖った感じや鋭い感じ、余分な緊張感がない
どこにいても、
ゆったりした気持ちで、とても馴染む
そう、居心地がいい


適度に放っておいてくれる
過剰に親切にされることも、
よそ者扱いされることも、どちらもない

そもそも、
"よそ者扱い"なんて言葉、今浮かんだ

初めての私にも"居場所"がある


訪問する先々で、
その人なりの、それぞれの
飛び切りの笑顔で、心からの歓迎を受けた。

その姿勢は、
相手が私達でも、デンマーク人でも
変わらないのだと思う

"遠くから" ようこそ!
と、距離に対する思いが乗っかるくらい?
のような気がする


「今、ここ」
の目の前のこの人を大切にする
年齢や性別はモチロン、
国籍や学歴や肩書きや収入などなど、
くっついているものは置いといて


「あなたはどうしたい?」
あなたが "したい=心地よい" ようにどうぞ!
のメッセージ 


滞在中、
ずっとこの中にいたのだ
帰国して初めて気づいたこと

それが、私の記憶にあるデンマーク


今日もおつきあいくださり、ありがとうございます✨