10時30分着。

 駐車場は適当に賑わっていました。

 今年は珍しく、狭い車道で登りと下りの車が行き遭う

 なんてことは起こらずラッキーグッ

 しっかし、暑かった炎ドクロ。 

 

 

 

 正面の山門からの出入りの人も多かったです。

 車道のガチャガチャを嫌う人たちはここから出入り。

 ですが、山門の向こうは胸突く急階段。

 あそこを最後に上り下りしたのはいつのことだったかおばけ

 

 

 

 わが家はどうしてお墓で迎え火送り火を焚くように

 なったのかしらん。

 父は幼いころに祖父が佐賀で事業に失敗してから

 佐賀に墓所を置いたまま、釜山やらどこやら流れた

 あとに、祖父と共にわが町に来たので

 墓地で火を焚くのは大分出身の母の里の風習かも

 知れません。

 佐賀の墓所を完全に引き払ったのは父が働き盛りの

 55年ぐらい前。

 

 

 帰ってから玄関先でも迎え火。

 

 

 

 わが家の御先祖さまの分、お供さんと呼んでいる

 帰るあてのない方たちの分と、お膳をふたつつくるのは

 父の家の風習。

 郷士だった父の家の風習か、祖父が応召して戦地を

 経験したからか、事業失敗後の苦労のなかでそういう

 ことになったのかはわかりません。