八月十日 木曜 くもり 起床 七時三十分
就寝 九時 〇分
朝、目をさますと、おばさんの声がもう聞こえていた。朝ごはんの時も
帰る時もべらべらしゃべっていた。わたしは、ようのどがかわかないものだと
思った。
昼から、ピアノにいった。先生は、来週は、休みだといった。
夜は花火大会にいった。去年より悪くて打ち上げるのに時間がかかったので
つまらなかった。
この 父の従姉妹だったおばさんの顔は
覚えていません。
ただ声だけは覚えています。
祖父は佐賀の郷士の出で、父は
「葉隠れ」の精神の話をよく聞かせる
人でした。
ただ、、
「武士は食わねど高楊枝」と
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の 二つのみ^^。
大正時代、小さな生命保険会社のような会社を経営していた祖父が
スペイン風邪の流行で会社が潰れて まずは、戦前併合されていた朝鮮に
渡って巻き返しを図ろうとして また失敗し、小学生の父と姉ふたりを
連れてわが町に流れてきたと聞いています。
「武士は食わねど高楊枝」という言葉で、よく贅沢を戒めていたarakan家。
「葉隠れ」の話は当時のわが家の苦しい時代を物語っているのだと
想像しています。
で、父方の親戚とほとんど交流がなかった上に、
おしゃべりすること、笑うこと、騒ぐこと、歌うことは「なりませぬ」という
家風のわが家に突然現れた「べらべらしゃべるオバサン」の印象は
かなり強烈でした^^。