ミリエル司教 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

ポピー

昨日は、暑い一日だった。

ご近所から、手作りのところてんをいただいたりして、いよいよ半袖の季節。

 

でも、コロナが…、 ちゃんとした春を楽しめなかった暗い晩春。

花の名所では、人が集まるといけないというので、咲きかけた蕾をバッサバッサ、斬って捨てるという光景が、TVで流れた。

 

あぁ~、なんてことを。 

1年に1回くらいしか咲かないものを…。

チューリップ、 ツツジ、 バラ、ユリ、フジ、これから、アジサイも?

長い冬を耐えて、咲こうとしていた花たち。 丹精込めて育てた人たちは、涙なくしては剪定ばさみを握れなかっただろう。

 

TVのコメンテーターは、「花はまた咲きますが、人の命は二度とはもどりません」と、決然と言い放つ。

 

花と人間の関係ってなんだろう。

日本人はとりわけ、花が好きじゃなかったのか?

生け花という文化がある。 仏壇に供花したり、床の間にも花がないのはさびしい。

 

書道との関係でいえば、古今和歌集、万葉集…。どれだけ花を詠んだ歌であふれかえっているか…。

 

花を切ることはない。 マスクをしてソーシャルディスタンスを守って、来年は咲かないそれぞれの一輪を愛でることができなかったのか…、

悔しくてならない。

 

私の畑では、今年も春の花がつぎつぎと咲き、例年に増して散歩の足を止めて、話し込む人が多かった。 花に慰められ、花に思いを託し、花を大事にする。 STAY HOMEのおともに、花を切って差し上げた。

 

うれしいことに、今年は「何か野菜をつくろう」とか、「種をまいてみたい」という人が多い。 アドバイスすると、道具もそろえて、たびたび私のところに相談にみえる。

 

ホームセンターでも、苗や土の売れ行きがいいそうだ。

コロナのおかげで、時間ができて、それをただ消化するのではなく、何かを育てて、共に生きようとする。

花が、「自然」を人間に運んでくれたのかも知れない。

毎日、水をやることだけで、自然を取り戻す。

あんなにバッサリと切り捨てられたものが、まだ、愛をもって応えてくれようとする。

 

どんなに痛い目にあっても、復讐ではなく、愛をもって応えなければならない。 愛は愛を連鎖する。 ジャン・バルジャンを変えた、レ・ミゼラブルのミリエル司教みたいだね。

 

今年の花は、人を変革するかも知れない。

 

私の畑の、1㎝にも満たない小ささだけど、今年も咲いてくれた

大好きな花たちを紹介しよう。 

 

宿根アマ

 

 

カスミソウ

 

アルメリア

 

カンパニュラ

 

ロベリア