またまた大変長らく放置してしまいましたが、タイムリーに今、一つだけ書いておきたい作品があったので更新します。














前々回に続き、邦画のアニメーション作品を観ました。


「聲の形(コエノカタチ)」という作品。














原作は大今良時さんの漫画で、既刊7巻で完結しています。






2年前くらいに友人の勧めで読み、良い作品だなぁと思ったので、今回の映画化は非常に楽しみにしていました。














<簡単なあらすじ>

小学校6年生の石田将也は、退屈が大嫌いで、日々迫り来る退屈に打ち勝つために、常に何か面白いこと、刺激のあるものを探していました。



そこに現れたのは耳の聞こえない(聴覚障碍者)転校生、西宮硝子。
彼女は筆談ノートを用意し、「このノートを通して、みなさんと仲良くなりたいです。」と挨拶する。



退屈に打ち勝とうとする石田にとって西宮は格好の的となってしまいます。




そこから陰惨ないじめが続き、取っ組み合いの喧嘩を機に西宮は転校してしまいます。



その頃石田はいじめの主犯として、クラスからいじめられるようになってしまっていました。
因果応報ですね。




その後も中学校、高校と悪い噂と、自分のしたことへの罪悪感、トラウマによって友人を作れないまま日々を過ごした石田は、この世に残ったしなければならないことを達成し、自殺することを決めます。






その最後の一つ、それが西宮硝子への謝罪。
もちろん謝って許されるレベルの話ではないのですが、本人もそれを自覚のうえで会いに行きます。




高校3年生、18歳になる石田と西宮は再び出会います。
彼らは一体どんな結末を迎えるのでしょうか…




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といった感じです。




映画の方はもちろん2時間弱ということで、原作の全てのエピソードをカバーできるわけがなく、そんな中でも鍵となるエピソードを中心に上手くまとめられていたと感じました。





作者の大今さんによると、この作品のメインテーマは「コミュニケーション」。




現代日本人も各種SNSの発展により、対人コミュニケーションの希薄化が危惧されていますね。




一見、この作品は「いじめ」と「障碍」にフォーカスが当てられるように感じてしまいます。




実際、私も初見では、その二つのワードの印象が強すぎて、コミュニケーションというのはサブトピックだと思っていました。






しかし、コミュニケーションに焦点が当てられていると知ったあとで、原作を読み返すと、なるほどその通りであると思いました。





主要な登場人物一人一人が、それぞれ抱える人間的なコンプレックス。それに立ち向かいながら、時には目を逸らしながら、自分の中で葛藤を繰り返す、そんな様を登場人物同士の関わり合いの中で描いています。





特に表情の描写は本当に繊細で、話した言葉が全てじゃないということを強く再認識させてくれます。







映画のレビュー欄を覗くと、低評価をつけながらコメントしている人たちの多くが、「いじめ」と「障碍」の描き方について批判していて、少し残念になりました。




それは本来作者が伝えたかった「コミュニケーション」というメイントピックが、余りに重いサブトピックによって隠されてしまったということになり得るからです。





これでは、作品の持つ本当の価値もしっかり見極められないまま、評価されてしまいます。






もちろんそれを知ったうえで、それでもどうしようもない駄作だと思う方もいらっしゃると思うので、それはその人の価値観に基づいたものなので仕方がないと思います。






できればこの作者の意図が何らかの形で、そういった方々に伝わればいいなぁと心から思い、書きました。





「聲の形」
2016/10/8現在上映中です。
お近くの映画館で上映されていたら、興味がある方は足を運んでいただけたらと思います。






回し者ではありませんが、個人的にとても好きな作品です。







言葉を超えた先にある本当の想い。
私達は日常それをどれだけ理解できているか、いや、わかろうとしているだろうか。





ではまた。