出雲屋は笑左衛門に対して懸念材料があった。それは公私がしっかりしているか否かにあった。


大坂では常に出雲屋が接待していたが、用向きで長崎へ二人して出掛けたとき、取引会所での役人の接待など


笑左衛門が自腹を切っていた。旅費は公費で支給されていたが、新たに取引を願う相手の接待費など支給され


てはいなかったからだ。しかし公費を私に流用することはなかった。



出雲屋の懸念は払拭した。



出雲屋は笑左衛門が隠居の重豪からは厚い信頼を得ているようだが、重豪がその要職を離れた後には孫の


島津斉興(しまずなりおき)が継ぐらしいことは周知していた。


そしてその斉興の性格は暗く猜疑心が強いという噂があったからだ。



さて茶坊主上りの笑左衛門である。



茶坊主とは武士の立派な職制の一つであり、高い教養と礼儀作法を身につけた者がなっていた。

そんな笑左衛門など重豪からすれば虫けら程度の存在だった。


重豪の思惑は笑左衛門に10万両を調達させ、それを踏み倒し、全てを笑左衛門の責任にする腹でいた。



笑左衛門には、重豪にも出雲屋にも知られぬ取り柄があった、それは生い立ちによるのだが、一般的な茶坊主


の取り柄とされる協調性や情報収集力、交渉力などののほかに、自らの胸の内を悟らせないでいながら、人と親


しくなる能力であった。




笑左衛門は重豪の腹を承知の上でこの要職を引き受けていた。



笑左衛門は出雲屋をとことん信じて見せた、そのため江戸の私邸の改築費用を個人的に出雲屋から借りて、個


人の財産状態を明かしている。



出雲屋は笑左衛門の厚い信頼に応えて江戸に笑左衛門が帰っている間に、残り8万両の工面について、奔走し


新組銀主(融資団)を組んだ。今で言うコンソーシアムである。

平野屋五平衛、炭屋彦五郎、炭屋安兵衛、近江屋半左衛門、平野屋彦平衛である。


このコンソーシアムは大筋は合意したものの詳細の合意には1年を要した、


理由は債権の担保確保についての方途


がつかなかったからである。


そして二つの付帯条件を提示することで漸く合意した。


一つは笑左衛門の返済期間中での役向きの変更の禁止。


二つは重豪の朱印状である。つまり重豪の個人の保証を求めたのだ。



重豪はこれらの条件を呑んだ。こうして先の2万両と合わせて合計10万両の調達は見事に成功したのである。




その後笑左衛門は大島・徳之島などから取れる砂糖を専売制、商品作物の開発などを行うなど行政改革、農政


改革を断行、また琉球を通じて清と密貿易を行い藩財政を潤した、さらに両替商へは脅迫して借金を無利子で


250年賦払を承諾させ財政改革を成功させている。



天保11年(1840年)には薩摩藩の金蔵に250万両の蓄えが出来る程にまで財政が回復した。


藩主斉興の後継者を巡る長男の島津斉彬と三男の島津久光によるお由羅騒動が勃発すると、

笑左衛門は斉興・久光派に属した、聡明だが西洋かぶれである斉彬が藩主になる事で再び財政が悪化する事


を懸念したためである。



このため斉彬の恨みを買った。


斉彬は老中阿部正弘と結託し密貿易の件で笑左衛門を糾問した。

笑左衛門は責任追及が斉興にまで及ぶのを防ぐため自ら服毒自殺を遂げている。


享年73歳




同時期に長州藩で財政再建を行なった村田清風と較べて、額は桁違いに多い笑左衛門


だが、正攻法で再建した


清風と、違法を承知で再建した笑左衛門、後の評価は比較にならない程低いものになった。


しかしこれはその再建方法もさることながら、後継人脈の違いもあると言えるだろう。


村田清風には周布政之助、桂小五郎、高杉晋


作、伊藤博文、山縣有朋という長州人脈の本筋があった。


笑左衛門には後継人脈はなかったからだ。




調所笑左衛門


 今鹿児島市の天保山公園には笑左衛門の銅像が建つ。



 薩摩藩を幕末の雄藩へと押上、明治維新を結果的には陰で支えながら、


汚名を着たままこの世を去った調所笑左衛門の魂を救うため、


戦後歴史の再考がなされ有志によって建立されたものである。



 清風はこれまで、藩の専売品であった蝋を商人による自由な取引を許可し

下関という地の利を生かし、今で言う通行利用税を課して再建した。

 西廻り航路 樽廻船(積み荷に酒樽や醤油樽があった)寄港地



何れにしても財政再建には節約は重要だが、節約だけで達成できるものではなく、その地の持つ

資産、地の利などの有効利用なが欠かせないものなのである。

まさに今流に言えば<b>イノベーション</a>である。


安政5年(1858年)大老に就いた井伊直弼と将軍世継問題で真っ向から対立した。

島津斉彬はこの時代の大名の中では時代の先見性に於いて稀に見る名君であったが、この翌年50歳で世を去っている。


NHK『篤姫 』視聴率連続20%越え、24回連続は過去10年で最高記録とのことである。


番組の始め頃に平幹次郎(笑左衛門)は登場している。


篤姫が活躍した薩摩藩と徳川幕府は、まさに激動の時代でありドラマのテンポはトントン拍子で進む、これが

今の視聴者の心を捉えたのでしょう。



ブログネタ:タイムマシンがあったら過去と未来、どっちへ行く? 参加中


タイムマシンがあったら過去と未来、どっちへ行く?  


できることなら過去に遡り歴史の闇を確かめたい想いですね。




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