彩子は、私の親友だ。

親友の中の親友だ。



ただ、彩子とは価値観が合わないどころか、食の好み(彩子はチョコバナナが嫌い)を始め、好き嫌いの感覚も違う。彼女がこの春から旦那さんの転勤でアメリカに引っ越すことになった時、それまでずっと名古屋に住んでいた彩子は、一週間だけ横浜の実家に帰っていた。出発前に絶対に会おうと約束していたのに、彩子は、前日にドタキャンした。彩子らしいなと思った。



彩子は、群れない高校生だった。どこのグループにも属さなかったけど、体育祭の実行委員長だったので、みんなからは「ブチョー」と親しまれた。少し不器用で、穏やかで優しいのだけど、すごく負けず嫌いで、すごく努力家で、バスケ部で一緒にプレイしていた時、夜な夜な寮の体育館で一人で練習していた。そして、バスケットの真横からのシュートを試合中にバシバシ決めるようになった彩子は、学年で一番のプレイヤーとなった。



自分らしさや芯があるように感じたかもしれないけど、彩子はひどく優柔不断で、話にオチがない。結局何が言いたいのか分からないし、こちらの問いかけには、ポイントがずれて戻ってくる。



そんな彩子のことが私は羨ましくもあったし、また放っておけなかった。高校での寮生活では、朝起きて彩子の部屋に行き、学校から戻ったら彩子の部屋、部活が終わったら彩子、寝る前に彩子、、、週末は片時も離れなかった(彩子が彼氏といる時以外は)。私の寮生活の24時間のうち半分以上は、彩子で埋め尽くされていた。こんなに物理的に一緒にいても、時々、彩子のことが分からないことがあった。




大学生になると、違うキャンパスに通っていた私達は、それぞれ新しい友達ができ、それでも時々連絡を取っていた。寮では毎日会えたのに、大学では会えないことが寂しかったので、私は毎日彩子にメールするようになった。




大学2年生の時、二人で小田原の温泉に行った。貸し切り風呂に入りながら、私達はメールの話になった。その時彩子から、「毎日メールしないでほしい」と言われた。同じ小さなお風呂に浸かっていた私達は、お互い長い間沈黙したまま湯船から出られず、結局どういう結論になったか全然思い出せないのだけど、夏の暑い日で二人ともすごい汗だくになった。




社会人になってから、彩子は札幌に転勤になった。3回遊びに行った。一度は彩子の誕生日をサプライズでお祝いしに。二度目は、女友達と旅行で。その時彩子は快く車を出してくれて、札幌から旭山動物園まで私達をドライブしてくれた。そして動物園に着くと、彩子は「じゃあ私ここで待ってるね」と言って、駐車場に停めた車の中で寝る準備を始めた。私ともう一人の友達は、彩子のいない旭山動物園を楽しんだ。そして三度目は、私の夫となるその時の彼と一緒に、彩子の部屋に泊めてもらった。




彩子はいつのまにか結婚して(結婚式をする前日まで、一緒に体重を教え合うダイエットをしていたのだけど)、名古屋に引っ越した。妊娠期間中に断捨離にハマってしまった彼女は、とうとうテレビも捨ててしまった。彩子に電話をして、面白かったテレビ番組の話をすると、世間で話題になっていることを知らないから、いつも新鮮なリアクションをしてくれた。そんな彩子は、インスタグラムを最近始めた。「みんな、ここにいたんだ」と参加してきものの、まだ写真を一度もアップしたのを見たことがない。



今、アメリカにいる彩子。LINEはやっているからいつでも連絡が取れる。きっとテレビ電話したら、すぐに昔の空気に戻って、私達は1時間でも2時間でも話し続けるだろう。話したいことがたくさんある。高校生の時みたいに、目の前の恋や部活や勉強に精一杯になっていた、シンプルな時間に戻れる。




次、彩子に連絡するとしたら、エッセイに全部書いたけど、いい?と聞く時だと思う。そして彩子は、「毎日アメリカのアイスをバケツで食べてるからサイコーだよ。ハーゲンダッツまじ美味しいよ。でも、日本のご飯食べたいな。あれもこれも食べたいよ。こっちはやることないよ」と、答えのような、答えじゃないようなおかしな反応が間違いなく返ってくると思う。



そういえば彩子は、私の結婚式に来てくれなかった。そして、彩子がニューヨークでした結婚式に呼んでもらえなかった。彩子は、誰も呼ばなかったのだ。







彩子とは大学3年生の時に、二人で台湾に旅行した。台北の西門という街、東京の渋谷と呼ばれる地区に宿泊した際には、ラブホテルに宿泊した。(今は知らないが、宿泊費を安く済ませたい旅行者の間でユースホステルみたいな使い方でその当時よくあったことみたい。)

その時、Gが部屋にいたことは、二人の台湾の思い出話の一番に上がる。その台湾、彩子は次の年の夏、私を誘わずに一人で行っていた。そして私は先週、それ以来行ってきた!