今朝、第50回スーパーボウルを見ていました。大好きなペイトンマニング選手と、ハーフタイムショーのビヨンセとブルーノマーズ、コールドプレイの共演に気絶しそうになり、煎餅をぽりぽりかじりながら、一人寂しく、いや、アメリカに住む友人とメールしたり、写真を送りあいながら、その時間を楽しんでいました。

朝からビールを飲みたい気持ちになっていましたが、仕事があったので断念。

結局、ハーフタイムショウを見てから、後ろ髪を引かれる思いで、Channel JAPANの収録に出かけました。その試合、家に帰ってから見ようと思って録画しましたが、多分見ることはないと思います。

いえ、もしも後日、「スーパーボウルを振り返る会」みたいな仕事、あるいはそれに近いものがあれば、見る必要がありますし、見ると思いますが、スポーツ中継は、生放送でないと面白さが半減、あるいはそれ以下のものになってしまうと思うのです。


TBSに勤めていた時、Jリーグの中継リポーターを6年間担当していました。中継を担当する2つのチームの前節の試合は必ず見ていましたし、色んなリビューを読んで、資料、知識として自分に蓄えていきました。


しかし、試合を見終わるまでたとえ結果を知らなかったとしても、録画で見る試合を楽しい!と、心の底から思えたことは、ひょっとしたら一度もないかもしれません。

それは、もう今から結果が変わることはないから、応援する気持ちが湧かないのと、自分の応援が届いてこの後展開が変わるかもしれないという期待感、そしてこの後どうなるかわからないという緊張感が全くないからです。


そして、今朝ふと思ったのです。
スポーツ観戦というのは、人生の縮図かもしれない、と。


もしかしたら、スポーツも人生も、過程を楽しまずに結果だけを知りたがる人がいるかもしれません。それでも私自身は、10年後、20年後、50年後、どうなるか分かっていたら、人生はとてつもなくつまらないものだと思いました。

一方で、「結果」をなんとなく教えてくれる「占い」は大好きです。これまで私の人生で大きな決断をしたことはあまり多くありませんが、その決断を下す時、私は占いに行きました。会社を退社した時。結婚を決めた時。

(初めて行った占いで、占い師さんの第一声は「あなたは占いを信じないタイプです」と言われ、私は今でもその言葉を信じています)

結局のところ、占い師さんに言われたことはピンときていなかったのですが、自分の深層心理を呼び起こしてもらえたような、ある種カウンセリングのようなものだと思いました。


もしも占い師さんが、「あなたは会社を辞めません」と言ったとしたら「いや、私は辞める」と思うだろうし、「あなたはこの人と結婚しません」と言われたら「いや、するし」と、思う。つまり、言われた言葉よりも、相手に言われた言葉で自分がどう思ったかが、大事なのです。
当たった当たらなかったは結果論に過ぎず、私は自分が本当にどう思っているのか、誰かの力を借りて引き出してもらえたことは、占いの大きな力だと思いました。


話がそれましたが、もしも自分の人生の「結果」を分かっていたら。
28歳で会社を退社し(これはほんと)32歳で結婚して(これもほんと)、35歳と38歳の時に子どもが産まれ(これはぼんやりしたイメージ。ってか、あと1年しかない!)、2020年の東京オリンピックの時にはナレーターとして引っ張りだこ(これは願望)、その後子どもの反抗期にはベランダに放り出されたり髪の毛を切られたり(私が中学生の時に母親にやりました。母さんごめんなさい)、その子どもはアナウンサーになって(ほんとかよ)、その頃私はインテリアコーディネーターの仕事をしていて(え?)、夫はニカラグアに転勤(なんでまた)、私はついていくかついて行かないか決断に迫られ(なぜなら日本での仕事が充実しているから)、結局ついて行くことを決断。その後夫とは熟年離婚の危機が何度か訪れますが(原因は夫が毎日囲碁ばっかりやっているから)、結局生涯それなりに仲良く暮らし(時々家出してホテル暮らし)、私が先に死ぬ(これも願望)。最後はしょりましたけどね。


もしもこんなことがすべて分かっていたら、そこにとらわれてしまい、人生を本当の意味で楽しむことができないような気がします。
嫌なことがあったり、なにくそって思ったり、思ったようにうまくいかなかったり、誰かに言われた一言で傷ついたりすることもあるのが人生で、だからこそ喜んだりする気持ちや幸せに思うことに感謝し、嬉しいことは、辛い時を知っているとなおさら嬉しい。
でも、もしもすべての結果を知っていたら、そんなことを感じなくなってしまうと思うのです。思いがけずくるチャンスすら逃してしまうかもしれない。

人生を設計するイメージは大切だと思います。
こんなことしていたいなとか、こんな風になりたいなとか。でも、その時に感じる旬な感情を逃さないように、しなやかに、臨機応変に、生きていきたいと思うのです。

そうそう。占い師さんではありませんが、先日年上の素敵な女性が、こんな言葉をプレゼントしてくださいました。

「女性はね、35、6歳でやっと成熟するのよ。その頃にやっと、自分の本当に好きなものややりたいことが見えてくるのよ。」

今、迷走中とも言えるくらい未熟で、整理されていない私にはぴったりの言葉でした(やったー!)。とはいえ、もうすぐ34歳なので、あと1年で自分が成熟できるとはとうてい思えませんが。

それまでは、自分の感情に素直に従って、やりたいことを何でもチャレンジしようという気持ちになりました。失敗もするかもしれません。それでも、「結果」によってもたらされる自分の幸せをはかることよりも、その過程やその時に感じるものを大切にしようと思います。

今の時間を共有している喜び。だから、「生」には魅力があるのではないかと思います。誰かの決めた人生や、筋書き通りの人生ではなく、自分で道を作っていく。「俺らの前に道などないさ~」と歌うFIREBALLのReggae Busを聞きたくなる。

そう、私の人生はまだまだこれから人生が変わるかもしれない、結果の見えない、セカンドクォーターぐらい。

と、こんなことを考えながら帰宅したら、夫が録画でスーパーボウルを見ていました。

やっぱり面白いので、私も一緒に見ることにします!ちなみに結果はまだ知らないので、言わないでくださいね!




【あとがき】
2.9の火曜日にちょっと補足しました。どうしても昨日アップしたかったので、あまり時間をかけずに書いてしまった第一回のエッセイ。言葉足らずなところが多かったので。

まずは身近なことからと思い、最初に選んだテーマが、スポーツから人生という壮大なテーマになってしまいました笑

1年後には全く違う私になっているかもしれません。自分の記録も込めて書き始めようと決めたエッセイ。気まぐれで、中身がないと思うかもしれませんが、これからゆっくりとお付き合いください。

もしも助言、ご意見、要望、ございましたら、教えてくださいまへ。

誤字、脱字含め、乱文にて失礼いたします。

おやすみなさいウインク