僕はその頃孤独だった。父親が心配なので学生寮のようなアパートに入ることになった。名前が福島荘といった。大学近くのアパートで学校まで歩いて数分のところ。部屋が決まって入居しても話し相手がなくて。大学に入学してもう3年が経っていて。まわりの人たちとやや年齢が上だし。また1年生なのにもう3年間も大学に席があったから尚更。まわりと話し合わない。家で農業したりしていて。また家が貧乏だし。頭は悪いし。気が弱いし。恥ずかしくて。口もきけない。いつも暗い顔をしていた。ほとんど学食で食べていた。あとはカップラーメンを食べていた。カップラーメンは城西大学の西側にスーパーマーケットがあり。そこで買った。夕方から散歩がてら買い物に行った。その途中で城西大学理学部数学科の女性と出会った。あれ?クラスメートだ!でも慶一はもう経済学部でしたから。話もしが出来ない。綺麗な頭が良いような感じの女性でした。気が強くてしっかりものと言ったイメージでした。だって大学で朝から夕方まで毎週微分・積分を学ぶのだから。そうとう数学が好きでないと卒業出来ない。今でもときどき思い出す。城西大学理学部数学科の女性はみんな美人で頭が良かった。あの中のひとりと結婚出来たら良かった。卒業してからずっと思った。女性が多かったのです。2割以上が女性。たぶんその女性も夕方だから食べ物の買い出しに出たのだろう。顔も名前も知らない。ただクラスメートだったとしか覚えていない。その女の子は寂しそう。もう3年生になって居てもなんとなくいつもひとり。でも当然ですが道端で突然に話しかけて。そのあとことも考えてしまった。そのとき。クラスメートともっと話しをしていれば良かったと思った。大学の数学科は微分・積分だけ学ぶことなんです。それと中学校の連立方程式。だから。これから城西大学理学部数学科に入る学生さんに教えます。大学とは高校の勉強をやり直すことなんです。特別に別の学問がある訳ではない。

また福島荘のアパートの部屋に戻った。途中で城西堂書店に立ち寄ることがある。数学の教科書も置いてありました。でも参考書とかない。また大学の教科書は値段が高い。やっと買った覚えがあります。そこは城西歯科大学の敷地内。木々が生い茂り。やや暗くて。慶一はその場所が好きでした。その本屋さんから歩いて数分に福島荘がありました。途中に雑貨屋さんがあり。アンパンを買ったりした。現在ではセブンイレブンになってます。そこは城西大学の正門でした。そこをちょっとだけ高麗川に行く途中にアパートがありました。アパートは廊下は細くて長くて部屋はつまらなかった。隣りは横田と言った。またその隣りが尾形と言った。どうも話がしづらい。半年ぐらい経つ。ある日。部屋が変わった。1階の角でした。そこには。四方と新原がいた。もうひとつの部屋は洗濯部屋でした。新原は卓球部で忙しくて部屋にはたまにしか帰ってこない。四方は出かけるのが嫌いなせいか。いつも部屋にいた。慶一は藁をも掴む気持ちで四方の部屋に行く。やはり話し相手がいないのは寂しいから。それからというもの。毎日のように。
朝起きたらかならず四方の部屋に行った。四方は部屋でゆっくりしていた。綺麗好きなのか?いつも綺麗にしていた。インスタントコーヒーを飲んだ!!なぜか?2つあって。ひとつは僕のもの。もうひとつは四方のものだった。ネスカフェの大瓶でした。1年間ぐらい経っても半分くらい残っていた。話しはあんまりしてない。ステレオを聴いた。慶一はサザンオールスターズやビリー・ジョエルが好きだった。四方はクラシック音楽が好きでした。ビゼーのカルメンとか良く聴いていた。あとはカーペンターズとか優しい音楽が好きで。四方は石野真子の大ファンとか言っていた。隣の部屋の新原は石川ひとみが好きだと言っていた。慶一は。桜田淳子が好きでした。またその当時クイズダービーで人気の竹下景子が好きでした。慶一は退屈な時は四方の部屋に行った。そうしていると孤独感が薄れた。少しずつ大学生になった気がした。それまでは川越市を彷徨したり。と詰まらなくなっていた。部屋はみんな同じでした。四畳半一間。家賃は一万円でした。慶一はもうすでに城西大学に入学して3年は経っていた。その部屋は良かった。隣は洗濯機が置いてある部屋。誰も洗濯機を使わない。だからひっそりしていた。一階が慶一ですぐ上の2階は富沢の部屋でした。富沢は高崎市出身。また富沢は女好きなのでしょっちゅう女の子が部屋に来ていた。慶一は女の子が来て騒ぎ出すと。うるさいから棒で天井を突いた。だから富沢はそうとう僕に対して恨みを持っているようでした。だから廊下ですれ違っても話をしない。なんであれが群馬県出身なのか?嫌な奴だと思った。新井さんは!俺の部屋をすぐに突っつくと言っていた。新原は卓球部で忙しそうでした。だからアパートには四方と慶一ぐらいしか居なかった。でも慶一は四方も午後まで寝ていたから。すぐに夕方になる。部屋に居ても勉強はしなかった。麻雀も出来なかった。たまにですが。飲み会のようなものがあり。慶一はお酒が好きなのですが。あんまりお酒というものを飲み慣れていないせいか。どのくらい飲むと意識が失うものかわからないから無鉄砲に飲んだ。だから。いつも酔ってグテングテンになっていた。まわりからは相手にされなくなるし。本人も自己嫌悪でいっぱいになった。ビールをよく飲んだが。全員がそんなにお金があるわけないから。誰かが出してくれたのだろう。でも楽しくない!話しもないし。いつも後悔していた。酒にまつわる失敗は数多く。忘れるようにしてます。冬の時期でした。そんなとき。アパートの誰かがアルバイトを見つけてきた。坂戸市のハム工場で年末年始の真空パックの仕事をすることになった。クルマはHONDAシビック。みんな乗り合わせで働きに行く。工場は夜中じゅうなので疲れた。また寒くて。手が冷たくなった。工場の名前はトーチクハムと言った。スーパーマーケット用のシールを貼る仕事でした。西友。イトーヨーカドー。などなど。でもお金が多く貰えて助かりました。確か時給が1000円でした。いつも金欠でしたから。そのお金でラジカセを買った。川越市のディスカウントショップ・ロジャースで買いました。部屋に音楽があると。毎日が楽しくなった。学校生活がいちばん楽しかった時期だったと思う。でも相変わらず勉強はしないし。将来の目標もなく。日本は高度経済成長真っ只中。だからみんな就職のことを考えてもいなかった。確かこの時期に父親が畑を売った。
一反ばかり。土地が値上がりしていた。1000万円入ったらしい。家の新築などの借金が多くて。その代わりに税務署からの税金が無税になった。うまくいった。借金していると良いこともあるなぁ!!と父親が言った。それでも慶一は土曜日日曜日は実家の藤岡市に戻った。アパートに居ても退屈してきたから。実家にお金の余裕があるから仕送りの金額が増えた。ますます。なんにもしないで毎日外食した。四方が食べるのが一番好きらしいから。慶一も食べに行くのが楽しくて。いつも夕方から城西大学裏手のみさお食堂に行く。その記憶は大切だと思っている。その頃慶一は。こんなことを考えていた。それはせっかく大学まで来たのだから、友達が出来るのが一番良い!だから城西大学経済学部に入ったからには。いっしょに食事に行く友達が出来ることをいちばんの目標にしていた。だから勉強は二の次。就職も二の次。楽しい思い出があれば一番だと思った。

やっと見つけました。さすがネット社会。僕のノート型パソコンのアダプターとコード付きマウス。