その頃のことは。もう40年前なので。忘れた。でも食べたものとか。読んでいた本は覚えている。最初。1年生は覚えている。まだ建物が新しくて。ピカピカ光っていたこと。数学科は正門近くで。難しく感じた。また。卒業出来ないと感じたこと。教科書も買えない。また。科目が数学ばかりなので。もうダメだと思った。実はもう数学を忘れてしまった。特に微分・積分は嫌いでした。だからいつも手ぶらで歩いていた。内藤さんが?新井さん!教科書は?と聞いたから。うんうん?と曖昧に答えた。学生食堂と図書館だけは良く行った。

城西大学の学食のランチがうまかった。四角い箱にご飯とおかずが入っていた。テニス部でした。大学に入ったらテニス部に入ることを考えていた。でも。文科系のもっと平凡なサークルでも良かった。その頃は。石原慎太郎の化石の森が売れていた。でもサッパリわからないので困った。でもなんとか買っては。教科書よりも良く持っていた。家からは八高線で通った。

お昼になると。学食にランチを食べに行く。田口がいて。内藤さんがいました。内藤さんは。おとなしくて。それでいて気が強い。なんか田口が内藤さんからお金を借りたらしい。それを。返してください!!と強く言っていたことがある。そばで僕は聞いていました。でも田口は女の子からお金を借りるなんて。たいした奴ではないとこころの中で思った。田口はなぜか。みんなから悪く言われた。だからそんな田口と僕は仲が良かった。僕は。森村誠一の大ファンです。と言った。そしたら。田口はその作家はヘボだとか言った。一冊貸してというから。その頃。ベストセラーだった。新幹線殺人事件を貸した。一週間ぐらいで読み終わったら。田口が返してくれた。そしたら。思った通り。たいしたことがない!と一刀両断した。

お昼にランチに行こう!と言った。田口は珍しく。バルザックなどを読んでいた。リバイヤサンとか読んでいた。そのほかにも数人のテニス部の人たちもいた。

テニスは農家向きではないなぁと思った。毎日。八高線で帰った。みんな似ている学生が多くて。誰も同じだなぁと感じた。

そんなことをよく覚えている。当時は。僕の家は貧しくて。お金がなかった。父親と母親が農業していた。米麦養蚕農家でした。今思うと。農業大学に行けば良かった。その方が卒業出来たし。あまり。苦労もしなかった。