横浜そごう地下一階。今川焼きです。名前は、御座候。旨い。甘くて。胃にもたれないところが一番良かった。普通は、一個か二個でもういいやとなる。それが毎回。10個は、食べました。値段も安かった。一個80円。普段は、行列は、出来ませんが、土曜日日曜日は、買うだけで30分は、並んだ。並んでると隣りのお店のコーヒー屋さんが試供品の碾きたて珈琲をカップで持ってきてくれるんです。ありがたかった。その御座候を隠し持って喫茶店に行くんだ。苦いコーヒーに御座候が良く合いました。慶一は、気が弱い。それなので、ズボンのポケットやサムソナイトのカバンに入れて持っていった。慶一は、生クリームのケーキが大の苦手。それなので和食の今川焼きは、ちょうど良い。あずきが大好き。また田舎の家や幼少期を思い出した。昔は、群馬県藤岡市の7丁目繁華街で売られていた。最近は、見なくなりました。あれしかなかったもんねー。甘いものって。家族全員で食べたりしました。だから慶一の家は、クリスマスは、今川焼きでした。母親が買って来た。ケーキ🍰は、食べたこと無し。

その頃ですが。その頃とは、警備員として新横浜駅近くのイオンモール本社で働いていた時。本社の社員ではなく、警備員でした。だから新横浜駅に毎日。仕事で通っていた。仕事は、施設警備員。エレベーターやエスカレーターを起動させること。閉店の際の自動ドアの戸締り。よく頑張りました。ノートを持っては、書いた。教えてくれる警備員がまた二枚目でまだ20代後半。今でもAEONモール本牧で警備員しているかと思います。なんで警備員して居るのか。サッパリ分からなかった。警備員は、どこかそこら辺の土方のおっちゃんの仕事だと思っていた。仕事が全国的になかった時でした。たしか3・11。から少しだけたつたばかり。あの原宿駅と渋谷駅の間にある有名な神社⛩の中にブルーシートが山のように開いていました。数ヶ月経つと、デパートの中を歩くのも退屈してきた。慶一の悪い癖が出た。女性の下着売り場ばかり警備に行っていた。それも無意識に行くだなぁ。華やかで楽しかったです。女性の下着売り場の周りをぐるぐる回っていた。けっして触ったとかは、コッソリ持って来たとかは、してません。そしたら、多分そこでクビになりました。友達も出来なかった。警備員は、友達が出来ない。と思います。何故か。わかりませんが?慶一は、なんで経験しております。JA。読売新聞。警備員。リゾートホテルのレストランの皿洗い。現在は、食品加工会社。なんでも見てみよう。そんな気持ちもありましたが、これではなんでも見過ぎた。相鉄線沿いに警備員宿舎があり。横浜駅西口には、よく遊びに行く。駅の構内が広くて。ただ歩いたりしていました。人が多くて。友達もいない。ただひとりで歩いていた。お酒は、飲まない。それなので喫茶店ばかり入っていました。スタバ。タリーズ。サンマルク。ドトール。その他ほとんど全部行きました。孤独でした。今も孤独ですが、横浜市での孤独は、キツかった。話し相手が居ないです。これは、詰まらない。下らない話でも、あるほうが良い。一日中話し相手が居ない。仕事していても、詰まらなかった。あの頃がどん底だったかもしれない。今から考えるとあの警備員宿舎は、良かった。鉄筋コンクリート2階建。部屋は8畳。トイレもお風呂も付いていた。部屋は2階の南側。近くにブックオフがあり、毎日通った。アナログステレオが安かった。スピーカーとアンプとCDプレーヤーを全部揃えても1万円で買えた。暗かった。ベートーベンの交響曲を1番から9番まで毎日聴いていた。その中でもベートーベン交響曲の1番と2番と4番を繰り返し聴いた。今でもベートーベン好きに会えば、すぐにわかることがある。ベートーベンの交響曲は、何番が、好きですか?と聞けは良い。第九とか第3。と答えれば、「ベートーベンを知らない。」と思います。傑作は、1番と2番です。CDを買うためのお金もなかった。それなので、野毛山の神奈川県立図書館までベートーベン交響曲全集指揮者ケンプ1960年代。を借りに行った。その後。みなとみらいがある場所からすぐ反対方向に山⛰がある場所へ、歩いたりした。途中で吉野家やすき家の牛丼を食べたり。駅の蕎麦を食べたりした。バスが安かった。新横浜駅からどこまでも100円なのが、良かった。だから混んでました。慶一は、真面目ではなかった。いや真面目かもしれない。それでもひとり暮らしが何ヶ月も経った。最初は、楽しかった。だんだんと詰まらなくなった。ひと月が過ぎ、またひと月が過ぎてくると遊びに行きたくなった。大の男が喫茶店ばかり入っていても、そのうち飽きてきた。お金は、給与は、安かった。それでも幾らかは、使えた。休みの日の夜は、新横浜駅西口のネオン街にひとりで遊びに行きました。この後、秘密です。以上。あっと、ど忘れしていました。相鉄線で大和市にも行きました。駅が小さくて。ホットしました。昔の高崎駅に似ていた。駅の周りには、立ち食い蕎麦。ドトールコーヒー。AEON MALL横浜。どちらかというと横浜市よりも住み易く感じた。

横浜市新富町は、外国人が多くて。店に入ることが出来なかった。ロシア人から東南アジアまで歩いているだけで、怖かった。いったい此処は、何処の国かと思った。それに比べて大和市は、楽しかった。群馬県高崎市に帰ったかのように感じた。夜の街も出掛けました。ピンク系も行った。有名店があった。また行きたいと思う。横浜駅は、人々で大混雑していた。学生さんが多かった。横浜ビブレとその一階のスターバックスコーヒーが慶一の行きつけでした。警備員の休日は、ビブレと決めていた。若者が山のようにいた。その隣りにドンキホーテ。それで夜のマクドナルドに行くとリュックサックなどの荷物を持って席で一晩過ごす若者がまた多くいた。何故かしら裕福な学生さんと貧しい若者が二極化していた。どちらが本当なのかと思った。

大和市 イオンモール大和。