暑くなると思い出します。いつも慶一は、ひとりで遊んでいた。小学生の頃も。中学生の頃も。八高線に乗って高崎市の本屋さんに行った。たまには、前橋市の本屋さんにも行く。よしだたくろうの「元気です」!を買ったりした。よしだたくろうのポスターも貰った。それを部屋に貼った。だから友達と一緒の時は、珍しい。高校1年生の時。高崎オリオン座でダーティー・ハリー2を見に行く。藤岡高等学校に通っていた。あまり口を聞いたことがない友達でした。だからどうして映画に行ったのか?それも忘れました。大学受験のことも考えてなかった。進学校では無いから。日本大学に合格すれば。良いほうでした。だから慶一は、本屋さんで小説ばかり買って読んでいた。あの当時は、石坂洋次郎さんの恋愛小説が人気がありました。また。吉川英治さんの新水滸伝や三国志が講談社文庫から出ていた。夏の暑い日に一冊また一冊と読んでは、本屋さんまで自転車で漕いだ。小説を読む時間を英語の勉強に変えれば良かったと今は思う。藤岡高等学校に入学しました。すぐに剣道部に入った。吉川英治さんの宮本武蔵を読んで感動した。しかしながら。夏休み中に辞めました。とてもキツい。こんなスポーツは、やりたくないと思った。それからは、帰宅部になる。でもあの当時は。空手部が大人気でした。ブルース・リーの燃えよ!ドラゴンが流行っていました。体育館は、空手の道場のような雰囲気でした。勉強は、高校2年生になるとやる気がなくなり。高校3年生になると。もっとやる気が無くなる。授業中は、勉強しない。しかしながら休憩時間は、勉強していた。周りがうるさくて耐えられないから。授業中には、休み。休憩時間は、勉強するフリをして休んでいました。だから旺文社の全国試験の結果は、ひどいものでした。周りも。変な感じに思っていたと思う。休み時間には、頑張っていたような雰囲気だから。テストは、もっと良い結果が出るだろうと思っていたとクラスメートは、思っていたと思う。でもその頃から、勉強が嫌で嫌で仕方がないと思っていました。怠けているのが。周りからも分かり始める。いつの間にか。慶一を見る目が変わった。なんだガリ勉かと思ったら。われわれと同じか?と言った顔に変わった。先生からも注意を受けるようになる。特に思い出すのは、世界史です。フランス革命🇫🇷の話が永遠に続いていた。なんで先生は、フランス革命🇫🇷ばかり黒板に書いていたのだろう。慶一は、黒板の文字さえ読まず。また。ノートに書かずにいた。そしたら先生に注意を受けた。悪い事したと思う。歴史が嫌い。いや。勉強が嫌いになっていった。学ぶ意欲がなくなっていった。成績は、どんどんと下がる。下がり始めると。勉強に付いていけなくなる。その悪循環でした。ただ。本を読むことだけは、加速した。テスト勉強中も大衆小説を読んだ。たとえば。山本周五郎先生とか。森村誠一先生とか。焦れば焦るほど。小説ばっかり読んだ。石川達三先生の青春の蹉跌とか。蹉跌とは、なんだと思った。蹉跌とは、失敗という意味か?それは慶一のことだと思った。三島由紀夫や大江健三郎も読む。特に大江健三郎のセブンティーンには、驚く。慶一と同じだと思った。やることなすこと。セブンティーンは、慶一だと思った。同級生の八木君が新井は、文学部が良いよと常日頃から言った。

本を読む癖だけは、誰にも負けないと思った。それでも慶一は、理科系を選んだ。文化系にすれば良かった。大学も文学部に行きたかった。どこでも良いから。そうすれば。また変わったかもしれない。