怖い眼つきの猫だ。これは、ご飯🍚をくれないでいると、こんな眼つきで睨まれる。「早くご飯を食べさせろ!お腹空いて我慢出来ない。」と猫が言っていた。僕は、慌てて猫の餌を与えてやった。確か我が家の東側の石段の上で、数匹の猫が、両手を組んで全員揃って、僕を待ちに待っていた。僕の足音が聞こえとどこからか出てくる。ある猫は、狭い椅子の下から。またある猫は、暗闇から埃だらけになって、クビを振り振り。僕はなけなしの小遣いで買ったキャットフードを用意していた。猫達は、前足で、腕組みしながら待っていた。猫達は、夢中で食べながらも、前足で仲間たちにパンチ🤛をしては、食べた。お腹いっぱい食べ終わると、すぐその場ででんぐり返りして、お腹を見せて喜んでいました。その猫達も死んでしまった。どこかで、誰も見つからないところで死んだのだろう。また、あの年寄りの猫に会いたくなる。何ヶ月か、家を留守にしていたら、数匹の猫がいなくなった。家族で、僕だけ猫好きなので、猫が飼えない。僕がもう少し歳をとったら、僕の家を猫屋敷🐱してしまおう。今は、可哀想で飼えない。やっぱり年寄りの両親が動物嫌いなので猫も嫌われていては、その気持ちがわかり、猫も僕の家には、いづらいのだろう。僕の小学生の頃。僕が拾ってきた猫を父親が軽トラックに載せて捨ててしまった。捨てた場所は、僕の家から6キロも離れた藤岡市役所の周りの原っぱ。この時代には、商店街も無く、多野病院と市役所だけでほかは、何もなかった。幾日か経ったら、捨てた筈の猫がまた家に戻っていた。まさかと思いましたが、本当の話なんです。あの小さな子どもの猫が歩いて帰って来たときには、驚きましたね‼️父親も驚き、僕の弟は、この話しを平井小学校の夏休みの宿題に書いてしまった。そうしたら、弟の担任であった若い女性の先生から父親が厳重注意されてしまう。「猫🐈🐱を大切にしてください。」と言われたそうです。その頃我が家は、貧乏で家族が多く、一家の大黒柱である父親は、何かと心労が絶えなかったのだろう。
  僕が中学3年生の冬、家で仔猫を飼っていた。寒い季節で僕は受験勉強で忙しく、猫どころではなく、拾ってきたはいいが世話もせずに亡くなった。たまの休みの日には、猫に餌を与えた。僕が「にゃーにゃー」と猫撫で声をあげるとどこからか出てきた。飛んで走ってきた。まだ小さかった。悪いことをしてしまう。いつまでたっても、今でも、冬の雪が積もっている細い道をてくてく歩いていた仔猫の姿を思い出してしまう。誰も面倒もみずに、死なせてしまった。もう40年以上前なのに、昨日のことのように思いださせます。朝起きたばかりのときや、ふっと一人きりになった時に思い出します。最近では、朝まだ外が暗いときとかに、ふっと布団の中で思い出してしまう。
    内田百閒の小説「ノラ」は、戦後東京の焼け跡で、百閒先生が掘っ建て小屋で野良猫を飼い始めたが、その猫が何処かに行ってしまうお話です。百閒先生は、毎日泣いていた。新聞にも猫を探してもらう広告を掲載された。最後まで猫のノラは見つからない。百閒先生は、はじめから、おしまいまで泣いていました。


草津温泉  リゾートホテル中沢ヴィレッジにて






草津音楽の森国際コンサートホールにて



 
 
 

 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
有名な伊香保温泉♨️がある 榛名山で〜す。麓は、群馬県吉岡町。道の駅よしおか温泉には、僕はよく通いました。伊香保温泉と同じ泉質なんです。榛名山の地下には銅や鉄などの天然資源が豊富らしい。それで赤いお湯が湧き出すのだそうです。たいへん珍しいお湯で、与謝野晶子さんや竹久夢二さんが度々訪れております。林芙美子さんの最高傑作である「浮雲」の中で戦後間もなく伊香保温泉で療養中に若い男性と知り合う場面も書いてありました。本当の事かどうかは、わかりませんが。その小説を現代作家の桐野夏生さんが「ナニカアル」の中でも書いてあった気がする。この小説は、桐野さんの最高傑作であり、読売文学賞受賞しました。林芙美子さんの小説も桐野さんを読んでから知りました。あまりに林さんの奔放な生き方に眩暈がするようでしたね。二冊とも激しい恋愛小説になっています。愛こそすべてである。そんな思いに駆られました。『All You Need Is Love』ビートルズ。
     仕事やスポーツで腰や膝の筋肉痛の方々は、是非一度お越しくださいますように。毎日通っていると自然に治ります。入浴料も400円で、だいぶリーズナブルなお値段でもあります。お風呂の後には、広い日本間の食堂には、日本の三大うどんである四国の讃岐うどんと並ぶ水沢うどんが食べられます。硬いくて歯ごたえがある。旨いよ😋。此処だとちょっとだけ安い。
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 

 
世界一水の綺麗な利根川。雄大な景色を見てください。遠くに見えるのが、赤城山。かつては関東地方の首都でした。武田信玄や上杉謙信も此処を目指してきました。徳川家康の生まれた場所でもある?新田町には、徳川東照宮があります。足利尊氏や新田義貞の子孫である。と家系図を書き換えたらしい。最強の東国武士団を取り纏めする為には、こうするしかなかった。赤城山には、国定忠治も育った。赤城の山も今宵の限り。縄張りを捨て、国を捨て、かわいい子分たちとも別れ別れの門出だ。この後、信州に逃げる途中に、現在の八ッ場ダムの手前で拿捕されました。此処の道は、草津街道と呼ばれ、野菜や果物🍎🍇🍊が栽培されて観光客で賑わっています。国定忠治は、草津温泉♨️入りたかった。冥土の土産にと思っていたんだろう。それで長野原町まで来たのかもしれません。河原湯温泉でも入ったかもしれない。この道は、再開発事業で上信越道が計画されております。渋川市から草津町を通り、北軽井沢を抜けて信州の上田市までの高速道路。開通すれば、多くの観光客が訪れるかと思われます。現在は、狭い旧道ですがやっとすれ違える幅の狭い道路に新宿区ヒルトンホテルから草津温泉リゾートホテル中沢ヴィレッジへ行く直行バスがひっきりなしに走っております。白い車体に中沢ヴィレッジと書いてあるのを見かけるかと思われます。ホテルとバス代込みで一泊1万円弱で泊まれるエコノミーパックもある。食事は、夕食朝食共バイキング形式になります。バイキングは、美味い。僕が言うのだから、本当です。冷凍食品は、使ってない。ほとんどコックさんが作っておりました。プロのコックさんばかり。東京や有名旅館から集まってきておりました。フレンチレストラン、中華のレストランが別々にあり。和食もまた別々にありました。天皇陛下ご夫妻も毎年8月末までおよそ1週間あまり滞在しておりました。何故だかわからないけれども、このリゾートホテル中沢ヴィレッジがお気に入りなのだそうです。僕も故あって某ホテルで働かせておりました。天皇陛下ご夫妻が草津音楽祭にいらっしゃるとの事なので、是非とも遠くからでも眺めようと、草津音楽祭のチケットを購入。たぶんこの日だろうと思って買ったら1日ずれてしまいました。その日は、僕の好きなモーツァルトピアノ協奏曲12番と13番が演目。たぶんこの日だろうと思ってチケットを購入したんです。そしたら次の日でした。一般の方々には、天皇陛下ご夫妻のご来場は、明確に知らされておりません。残念でした!それでも間近に見たオーケストラの演奏会は、迫力がありました。
コックさんたちとも仲良くしてました。仙台の森秋旅館から派遣された調理師は、腕が良さそうでした。よく話すし、楽しそうにしてました。観光バスの運転手もよく知ってます。常時2人体制。食事は、ホテルの従業員食堂で一緒でした。リゾートホテル近くの従業員寮で仮眠をとっております。何故知っているかというと、僕の部屋の隣が観光バスの控え室でした。