松本清張先生も司馬遼太郎先生も大ファンです。初めて買った文庫本は、司馬遼太郎先生の「北斗の人」。「尻咥え孫市」。どちらも面白かった。今でも。司馬遼太郎先生の代表作は、この二つだと思う。国盗り物語よりも。ボクは好きだ!「国盗り物語」は、斎藤道三篇だけで後半の織田信長篇になるとつまらない。やはりあの小説は、最初から最後まで斎藤道三で行くべきだと思った。司馬遼太郎の最高傑作だと思う。特に。斎藤道三が今の創価学会。むかしの日蓮宗の坊さんなのもいい。台風で木曽川が氾濫し農民が飢えて死んでいくところをを斎藤道三が全財産で食糧を支援するところなど。京都で一番のお金持ちの女性が、正妻でした。今でも言うと。関西電力の社長さんでした。油屋でした。菜種油がその当時の夜の灯りを灯していました。その油屋から全財産すべてを米俵にして美濃に運び込みます。そして百姓を集めて炊き出しをします。その功績で美濃のナンバー2にのし上がっていくところ。戦国時代劇のもっとカッコイイのは、斎藤道三だと思った。スーパースターのようにカッコイイと思った。こんな人物を配置するところが司馬遼太郎なんだ!!出足が良かった。確か。人間は、みんな同じ。それならば俺が天下を取る。とうそぶく。京都の街を歩きながら。付き人と遊び歩きながら。女性とセックスすることに夢中な点も良かった。あっちこっちと女性を手に入れるところとか。司馬遼太郎さんは、変な倫理観が無いところも良いと思った。司馬遼太郎さんは、野暮な事を言ってたら、小説が詰まねーだろう!と笑いながら一笑するだろう。また京都で一番お金持ちの女性と結婚するところもカッコイイと思った。それも相手の女性は、後家さんというところもおかしな人だと思った。後家と結婚する人は、今でも少ない。それも会ってから数日で女の家に押しかけて結婚してしまう。あれー。これって実体験だと思った。司馬遼太郎さんは、自分の奥さんとこんな感じで結婚したんだと思った。あの女を手に入れてやろう!小説は空想ですが、ときどき事実を書いてしまうものなんです。ははあーんと思えます。また戦後日本の大阪府の焼け跡は、司馬さんの目には、室町幕府から応仁の乱の京都の街並みにタブって見えたのかもしれない。また国盗り物語に出てくる大型台風による木曽川氾濫による旱魃飢えが書かれている。それは、1959年の伊勢湾台風を題材にしている。だから「国盗り物語」は、戦後日本を舞台にした現代小説である。またスピード感がある小説だと思う。でも史実と違うところも良い。だって誰も応仁の乱は、知らないし。司馬遼太郎先生は、歴史家の史実なんかクソ喰らえって思っていたと思う。面白く無くてならない。だからこんな悪漢小説ピカレスクロマンを書いたのだと思う。それでは、司馬さんの20代初めは、どの小説に書いてあるかと言うとそれは。「北斗の人」千葉周作伝記に書いてある。司馬遼太郎さんは、関東軍の青年将校として群馬県箕郷町にいました。現在では群馬県高崎市です。そこの榛名山麓にある日本軍🇯🇵の戦車部隊にいました。現在では、陸上自衛隊榛名基地です。終戦時は、栃木県佐野市にいたらしい。太平洋戦争末期には、アメリカ陸軍と東京首都決戦を計画していました。だからその思い出に群馬県があれだけ書かれているのです。多分ですが司馬遼太郎先生は、高崎城址公園から烏川を渡り桑畑のあいだを歩いて鏑川や現在の藤岡市白石宮沢家の馬庭念流の剣道場を回って歩いたのでないかと想像しています。陸軍将校ですから、戦闘する場所の地理を調べていたと思う。それでは、司馬遼太郎先生の10代から20代は、どの小説かと言うと。これは、まったく出鱈目ですが。「尻咥え孫市」である。あれは、雑賀孫市が主人公です。その舞台が司馬遼太郎さんの生まれ故郷の奈良県なんです。雑賀孫市も奈良県だから。これは推測ですが。間違っていても何も言わないでくださいね。

 むかしむかしの話し。父親がスバル360を買った。ボクが小学生5年生の時。クルマに乗って前橋市の喚呼堂書店に行った。そこで買いました。ボクはまだ小学生6年生か中学1年生か。何しろマセテました。ありとあらゆる小説を読んだ。それも絶対に秘密な小説ばかり。音楽も毎晩聴く。ビートルズは、全部聴いたし。夜遅くまで起きて。土居まさるとか落合恵子のラジオを聞く。吉川英治の宮本武蔵も読んだし。五木寛之先生も大ファンでした。青春の門を隠れて読んだし。日曜日には、父親と母親と弟と妹の5人で前三百貨店に買い物とドライブに行きました。帰りには、八百屋さんでバナナを🍌山のように買った。それでも昔は、値段が高くて1000円もしました。あの当時は、外食チェーンもなかった。家族みんなバナナをクルマの中で食べた。バナナが高級品の時代がありました。父親は嬉しそう。その当時。ボクの家の最高の果物で最高の休日になりました。喚呼堂の本屋さんには、母親は、興味無さそうでしたが、バナナを買うときは、夢中になって、嬉しそうになる。その時は、お母ちゃんが主役になる。それが我が家の楽しみでした。まだお母ちゃんは、40歳ぐらい。八百屋のお店は、今でも覚えています。むかしの前橋市内の道路沿いで近くに前橋育英高校がありました。前橋長瀞線が始まるところにありました。少し先には、両毛線の高架がある。むかしは、踏切だった気がする。現在では違うお店になっていますが所有者は、同じようです。それがその当時の一番の家族の楽しみ。前橋市の喚呼堂書店に行き本屋を歩き回るだけで楽しかった。平台には、松本清張先生の本もあったと思うが。その頃は、まったく興味がなかった。松本清張先生は、大ベストセラー作家でした。しかしながら読めない。わからない。ほんとうに困った。長者番付でも日本一でした。長い間。松本清張先生は、わからない。文章が癖も無く。まるで新聞記事のような文章だと思った。三島由紀夫や大江健三郎が全盛期。彼等の文体は、麻薬かと思った。小説とは、難しい漢字を使えば文学になると思った。だから清張さんをボクが初めて読んだ時は、すでに20歳を過ぎていました。「眼の壁」でした。北海道に蒸発していた時に東北本線でカッパノベルズで読みました。面白いと思ったが次の清張先生で読める本が無くて。多分。「点と線」を読んだのは、40歳を過ぎていました。それから「砂の器」とか読みました。主人公は、盆栽と俳句好きなところが良かった。それからまた空白が出来ました。その後。10年ぐらい経ってから「草の印刻」と「黄色い風土」を読みました。もう50歳を過ぎてました。もう読書する歳でもない。でも読める作家が松本清張先生しか居ないことになりました。本屋さんにも行って図書館に行っても松本清張先生しか借りて来ない。短編集も読みました。この後。藤岡市内にある本屋さんで「彩り河」を読む。晩年の作品である。中央線が出たり。山梨県が出たり。あちらこちらに移動するところが面白いと思った。40代から60代までは、松本清張先生ばかり読んでいます。何故かというと。僕自身がブログを書き始めてみたら。ボクは、清張さんと同じ書き方だと言う事がわかる。また清張先生を読むとインスピレーションが湧いてくる。50代でガツンときた小説は、「隠花平原」というサスペンスもの。なんと凄いだろうと思った。

  もう62歳になりました。読書もあまり興味がなくなり始めました。松本清張先生について書いたエッセイが有れば読もうと思い。群馬県立図書館に行った。
松本清張コーナーの書庫の棚の本を全部借りた。でもどういうわけか松本清張先生だけは、あまり優れた評論が無い。夏目漱石先生になるとすごいけれど。
その中で半藤一利先生の「清張さんと司馬さん」を借りて来て読み始めました。久しぶりに本が面白く感じました。後一冊は、阿刀田高先生の「松本清張あらかると」。阿刀田さんは、国会図書館勤務しながら松本清張先生の本を片っ端から読んだそうです。本は、みんな借りて読む。経済的なところが羨ましい。また図書館員しながら読書をしていたとか。
 半藤一利先生のエッセイの中の話しを紹介してみます。
たとえば。半藤一利先生の家が中央線の永福寺に住む。松本清張先生が中央線三鷹市高井戸に住む。中央線の駅から駅までが3駅。同じところに住んでいた。松本清張先生は、毎日階段の踊り場で原稿用紙にサクサク書いていたとか。家族に此処に追い出されたんだ。とか。日曜日が一番嫌だ。どうしてかと言うと。みんな遊んでいるのに、俺だけ働いているのか?と思ったらしい。半藤さんは、当時文芸春秋に勤務していました。原稿用紙を貰いに行くと。鰻重をご馳走になった話しとか。またアメリカ🇺🇸合衆国に取材旅行に行っても。松本清張先生は、お酒を飲まない。それが困ったとか。半藤さんは、ビールが大好きので。ひとりで飲んだとか。大作家に呑んべいはいない。また岐阜県木曽川の鵜がいにも一緒に行ったとか。船の上で。松本清張先生が黒田節を歌って踊ったとか。面白い人だと思った。また女性編集者にも親切でした。原稿を貰いに来た女性に腕時計を買って上げたとか。半藤さんも清張先生が大好きなんだ。小説が面白いから。登場人物がシャーロック・ホームズに似てるいるし。あとワトソン君にも似ている。シャーロキアンがあるのなら。日本にも松本清張ファンクラブもあっても良いと思う。
ときどき。主人公がカツ丼を、食べたり。おでんを食べたり。新聞記者は、みんなタバコ吸いだったり。推理小説は、実は料理小説なんです。コレがみんなわからない。たとえば大人気のアメリカ🇺🇸合衆国ボストンを舞台にした。スペンサーシリーズとか。コレのどこが面白いのかみんなわからない。あれは。実はボストンのカニや🦀ステーキ🥩の小説なんです。あの小説を読むとレッド・ロブスターが食べたくなる。

昨日から松本清張著「黒い樹海」を数ページ読む。でも悲しくなって読めない。最初の一行で涙が出るほど悲しくなった。なんでかと言うと。東京都心で働く姉と妹の話しでした。妹さんは、毎晩姉の帰りをアパートで待っていました。姉が文化部の新聞記者をしていた。妹さんは、一流商社に勤務していた。妹さんは、姉を慕っていた。仲の良い姉妹でした。そんなある日。姉が仙台に行くと言って出かけます。そしたら姉は、別の場所で殺害されます。そしてそれから妹さんが姉を殺した犯人を探すというストーリーらしい。これは、悲しく読めない。こんな悲しく恐ろしい話しは、他にないだろう。数ページで怖いと思った。多分。犯人は、新聞記者仲間達だろう。姉は、妻子ある男性と深い仲になる。男性は、出世のために愛人の女性新聞記者を殺したと思う。途中は、トリックやアリバイ工作を見破る事に終始すると思う。これは、書いてはいけないストーリーだと思う。
だいたい最近僕は、読み始めまると読まなくても想像できてしまう。