学生時代には、このあたりを良く歩きました。イトーヨーカドーは、懐かしいので、中に入って見学しました。確か本川越駅。ここから川越駅まで行ったり来たりした、城西大学から一番近い都会でした。まだ池袋まで1時間あまりあり。此処で途中下車しました。イトーヨーカドーの近くに地下一階の喫茶店があり。行くあてもない時は、その階段を降りた。まるで。キャバクラの店内のような贅沢なソファーがあり、落ち着けた。この後。毎日通った時に。その喫茶店でアルバイトをしていた女性に好意を持たれた。でも歳上過ぎて困った。好意を持たれても、でも美人でした。まだ最初は、ひとりでコーヒー☕️を飲み、また繁華街までテクテク歩いて行く。学校は、行けなかった。理学部数学科は、難しくてわからなかった。担任の先生から学校を辞めなさいと言われた。どこか遠くに行こうと思った。数学の教科書も無いに等しい。先生は、微分・積分を教えても、頭の中には、勉強する気持ちにもならない。家に帰っても勉強しない。また、微分・積分を基礎からやるのかと思ったら、絶望してしまった。その時。辞めてどこか他の大学に行けば、良かったと思う。学校も行かず。下宿先も友達も出来ず。放蕩ではなく、単に行くあてもないようになってしまった。坂戸市の焼き鳥屋にバイトに入った。一日でクビになる。串に鶏肉が上手く刺さらない。あれは、難しい。それに、僕に愛想も無く。また暗かった。商売人に向かないと思った。そして俺は、焼き鳥屋のバイトも出来ないのかとまた絶望した。それから。川越市の本川越駅前の居酒屋チェーン店でバイト。立看板にアルバイト募集中。またやってみるかと思った。なんにでも挑戦した。それは、続いた。調理もせず。ただビールを運ぶだけ。半年もアルバイト。学校は、忘れました。友人も出来た。水田と言った。もうひとりは、名前を忘れました。適当な人達ばかり。遊んでいるのか仕事をしているのか。やっと大学に来たと感じた。川越市のイトーヨーカドーは、居酒屋のバイトの時に行く。そこの女性に大学生の女の子がいた。同じ年代だから関心がありました。そしたら、そのイトーヨーカドーの女の子がある男性と付き合っていた事が判明。驚きました。その男性は、30歳あまり。妻子持ち。それは、気持ちが悪くなった。コレが大人の世界かと思った。自転車をクルマに載せて、どこかに行くのも見た。そんなこんなしていても、学校の単位も取れない。NHK紅白歌合戦も見られない。徐々にやめようと思った。女性たちのクルマの運転手もしていた。だから本川越駅前は、良く知っている。その内。嫌になり家に帰った。川越市の繁華街は、上野アメ横に良く似ていた。もっとスケールがデカいとは言え無いが。川越駅から本川越駅までおよそ2キロがあらゆるお店屋さんでゴチャゴチャしていた。便利で住みやすい。
その時。考えれば、良かった。もう一度。あの時。やり直して。もっと簡単に卒業出来る大学に行けば良かった。当時は、本ばかり読むことが多いので、文学部でも行けば良かった。実家に帰った。農業していた。それでも学校を卒業した方が良いからと父親が学生管理部に行く。そしたら、経済学部なら転部出来ると言われた。父親は、嬉しくて、奨学金も借りられますか?と学生部長に聞いたら、馬鹿に奨学金は、貸せないと言われたとか言っていた。しかしながら経済学部の学費は、安くて。借りる心配は、無かった。
でも一旦入った大学は、やめられない。仕方がなく。この後。城西大学経済学部に転部した。そしたら、勉強が楽しくなる。授業も楽しい。先生の話しも聞いたけど聞かなくても何も言わない。試験は、高度経済成長7パーセントと書けば、単位が貰えた。大教室なので、先生も生徒も誰も知らない人ばかり。暇になると図書室に行っていた。専門の本は、読まず。確か石原慎太郎の化石の森を買って読んでいた。サッパリわからない。そしたら柴田錬三郎の全集が図書館にあり。おもしくて、全部借りて読む。文学とは、ほど遠いものが好きでした、だから文学部も駄目だと思う。