慶一は、ビートルズの大ファンでした。小学生の頃。アイワのラジカセを親から買って貰う。FMラジオから流れるビートルズに痺れていた。アップテンポの曲を 例えばヘルプやプリーズ・プリーズ・ミーなどを
カセットテープに録音しては聴いた。初期の頃からレッツイツビーまで満遍なく聴いた。ビートルズという本も購入した。最後のページにレコードライブラリーを必死に参照しては聴いた。レコードも買った。アビーロード。サージェント,ペーパー。ラバーソウル。レッツ・イッツ・ビー。安いステレスで聴いた。部屋には、レコード屋さんで貰ったビートルズのメンバーひとりひとりのポスターを張り巡らしていた。はじめて読んだ本もビートルズ。まだ解散して間も無いのに伝記が出ていた。リバプールというイギリスの港町から出現していた。日本にも来て🇯🇵いたが、まだ慶一は幼くて知りませんでした。慶一がはじめてビートルズを聴いたときには、すでに解散していた。その後いろんなグループ・サウンズを聴いたが、ビートルズほど夢中になった音楽は、ありません。慶一が中学一年生の時に、高崎市スズランデパートでビートルズ展をやっていた。慶一は、群馬藤岡駅から八高線に乗り高崎駅で降りた。スズランデパートまで1キロ余り。たった一人でテクテク歩いては、デパートの催し物のビートルズ展を見学に行った。頭の中は、ビートルズサウンズでいっぱいでした。ポスターが売っていたのを買って来た。ビートルズ主演の映画も観たことがある。映画は、退屈でした。ヘルプとア・ハーデイズ・ナイトの二本。どこの映画館だか忘れてしまった。もしくは、デパートの中の試写会かもしれない。

 早熟の子どもでした。嘘は、書きたくないのでほんとうの事を書き残して置きます。慶一は、もう大人の小説を数十冊ぐらい、中学生から高校生の時に読んでいた。藤岡市松野屋書店の本屋さんの経営者によく怒られた。「子供が読む本では、無いよ!」とか「まだ早いよ!」そっと本を取り上げられりした。やはりこの事は、深い傷としてよく覚えてます。題名は、「 ベピの体験」他。富士見ロマン文庫。1977年。ということは、大学一年生の時。だから18歳になっていた。ビートルズに熱中した後になる。今は便利になった。記憶では、同時に思えていたが記憶よりもネットで検索したら、少しずれていた事になった。本は、全部四散しましたがインターネットでは、本がまだ買える事ができる。また内容も確認できました。その当時は、わからなかったが、「ペピの体験」の情報が収集できました。1860年代のウィーンが舞台。あるひとりの娼婦の思い出でもある。1908年にオーストリア帝国のウィーンで出版された好色小説。かつてヨハン・シュトラウスのワルツが流行していた頃のハプスブルク家を懐かしむかのように、そんな古き良き時代について書かれた書物をウィーンの庶民が第一次世界大戦後の失意と絶望感の中でよく読まれたそうです。作者不詳。あるその手の女性が書いたという。またある二人の戯作者のどちらかが書いたとも言われた。慶一は、ビートルズと同時に外国のマル秘㊙️好色文学も読んでいました。「ヨゼフィーネ・ムッツェンバッヒェル」が正式名。別名が「ペピの体験」。作者は、フェーリックス・ザルテン。ルーマニア王国出身。または、アルトゥル・シュニッツラー。ドイツでは、長い間。青少年有害図書と認定されていた。2000年代になりやっと認定が却下されて誰もが読めるようになっていた。画家の金子國義先生の文庫本の表紙には、度胆を抜かれてしまう。本の中身よりも本の表紙に魅せられた。慶一の10代後半の鮮烈な思い出でもある。現在では、絶版につき2500円から4000円の価値がある。