僕の自画像。ちょっと怖そうですが、コレが一番僕に近い。文学的ではないんです。弱々しいところがありません。肉体労働者風な顔。大学一年生の時。薬学部の田口君から「新井は、三島由紀夫に似ている。」と言われた。眉毛が濃くて、目が鋭い。もっと優しい顔に生まれたかった。それなので、大学時代は夢中で三島由紀夫を読んだ。難しくて何が書いであるのか、さっぱりわからなかった。「金閣寺」も後半だけ。覚えています。主人公が京都の色街で遊ぶところ。女性から、「学生さんは、こういうところは、あまり来ないほうがいいよ。」と諭されるところ。そこは、ドキッとした覚えがあります。小説は、絶対に架空ではありません。必ずどこかに実体験を書いてしまいます。ここは、三島の実体験なんだなぁなどと思った。僕の最初の文学体験でもある。得体の知れないパワーがある。と思った。そのパワーこそが文学だと思う。

    僕は、生産工場勤めが長い。およそ20年間。工場勤務。高校3年生の時。担任の先生から日本大学生産工学部の推薦を受ける。えー。まじかー。工学部も暗いイメージなのに、生産工学部機械化だか、電気科?もう僕は、働かなくては、いけないのかと唖然とした覚えがあります。担任の先生には、僕の普段の様子からこの子の将来性まで見抜いていたのだろう。この子は、工場のベルトコンベアの現場監督が合うだろうと思つたのかもしれない。でも僕は、そんな仕事が意外と好きかもしれない。

内面まで顔に出ていますかね?実は、僕は、ドロドロしています。サッパリ系では、ありません。
読書は、力仕事でもあるです。古代ローマのセネカは、屈強な男でもあった。
だからこそ、キムチと納豆とホットモットでのり弁当🍱でお昼。質素なんです。でも頭にも力が入ります。
ぶらっと入ったら
本屋さんで見出しの文字に目が眩んでしまった。本の前で立ちすくみました。そうだ。やっとわかったと思った。
本の題名は、
「アルツハイマー病は、脳の糖尿病である。」
呆ける人は、頭の中で糖尿病を発病してしまうのです。だからこそ納豆を食べましょう‼️キンピラゴボウやヒジキの煮物を食べましょう。 粗食をオススメします。

アルツハイマー病とか認知症は、脳への栄養不足🧠から発生する糖尿病である。ご飯を食べて脳に栄養を補給すること。糖尿病には、脳🧠の存在も関わっているとの説もある。満腹感を制御するのは、脳の一部でもある。「お腹がいっぱいになった。」と感じるのは、胃でなくて脳なんです。膵臓のランゲルハンス島から分泌するインスリンは、脳からの伝達が働いています。糖質制限すると(ご飯を食べないこと)。脳の栄養が足りなくなる。それが原因でインシュリンの分泌が減る。糖質制限の危険性がわかる。白米を食べましょう。白米に含まれるある栄養素だけが、脳へ行くのだそうです。肉や魚は、ではない。白米だけです。
脳科学者の茂木健一郎さんが書いていました。脳科学者と糖尿病医学は、これでやっと繋がった。

「亡き王子のためのハバーナ 」 カブレラ=インファンテを読み始めました。世の中では3連休らしい。僕は、仕事ばかりしてました。月曜日は、やっと休日。群馬県立図書館に来ています。60才の定年後は、図書館の近くに住み。毎日図書館にくるのが、夢でした。それがまだ働いています。県立図書館の一階の書庫が今年1月から開放された。読書好きには、たまらない。垂涎の的というのか?本屋さんでは、見られない貴重本に出会えます。個人全集や古典文学がなんでも借りられます。今日の僕のお目当は、南米文学。それにポーランドなど東欧諸国の作品。発展途上国から優れた文学作品が生まれてきています。アメリカ。イギリス。フランス。ドイツ。現代文学には、めぼしい本が少ない。熱い🥵本。孤独感を忘れるぐらいの本が読みたい!
たとえば僕の頭をがーん‼️うちのめした本があります。
読んだ事がない方は、この本をお勧めします。
ロベルト・ボラーニョ 著  

野生の探偵たち  (上)
第1章。

ロベルト・ポラーニョ 著

通話

亡き王子のためのハバーナ

この本は、まったく知りませんでした。少しページをめくるだけ僕には、その凄さがわかる。細部が良ければ、ストーリーは興味ない。永井荷風の四畳半〇〇〇〇と大江健三郎のセブンティーンを足したようなヘビー級の小説です。南米文学の代表作。クラッシック音楽のラベルが作曲した「亡き王女のためのパヴァーヌ」をもじった作品。1940年前後のキューバのハバーナが舞台。人々が貧乏でも明るく自由に生き生きしていた。キューバ革命が起こる。1960年。自由主義社会から社会主義に変わる。どんな理論だか知らないが、僕は、共産党は嫌いだ。何故って、文学や芸術がなくなる。コレが最悪だと思った。まだこの時は、アメリカ支配化。女性たちがいっぱい出てきます。まるで下町の源氏物語のような雰囲気。主人公は、光源氏風。大好きなのは、女性だけ。女性に興味深々。女性の事で頭がいっぱいになり勉強に手が付かない少年が主人公。夏の暑い時期。ブラウスの隙間から見えたバストに驚いたり。隣近所の家の中で、幼馴染の下着姿に驚いたり。使い走りの仕事をしていて。新聞を買いに行かされることになる。女性から胸ポケットにあるわ。と言われて。歳上の女性のブラウスの胸ポケットの小銭を取ろうとしたら、間違って女性の胸に触ってしまうところとか。誘惑に負けてついでに胸の奥まで手を伸ばしてしまうところなど。その柔らかな手触りが30年以上も忘れられないなど書いてあった。そんな昔の少年時代のスリリングな思い出が書いてある作品である。女性たちのちょっとした触れ合いが特にいいかな。ファーストキス💋などなどがある。僕に似ている所が彼方此方に多くありますね。まだ読み始めたばかり。またあとで感想を書いてみます。

それなのでの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をカラヤンで聴いています。やはりアダージョのカラヤン。ベートーベン交響曲九番第三章アダージョをカラヤン指揮ベルリンフィルで、よく聴きました。天才的だと思った。場所は、スタバ。前橋南モール。時間は、夜の9時過ぎ。寒くなく暑くもなく。夕方の6時過ぎからじっと粘っております。女性の店員さんが優しい。「こんばんは!甘いものは、大丈夫ですか?」と言いながら、桃の🍑フラペチーノの試供品を配っていた。僕には、ちょっと甘過ぎ。でも嬉しい。彼女は、太り気味で丸顔で鼻ぺちゃのところが僕好み。やはり母親に似ている人を好きになるらしい。優しそうだなあって思った。気の強いのは、ダメ。痩せている子は、ダメ。太ってる子で、血液型O型タイプが好き。この女性となら、うまくいくような気がした。ずーっと暇してます。たった一人でテーブルに座って音楽を聴いては、本を読む。
     突然ですが、谷川俊太郎さんの詩を思い浮かべた。 「世間知らず」に入っていた。亡き王女のためのパヴァーヌで始まる詩である。有名な詩でもある。寂しそな詩でした。離婚したばかりの頃なのだろうか?僕は女性にはもう懲り懲りした。朝は、ホットケーキを食べたりして。それから、ずーっとひとりで生きていこう。そんな詩でした。

谷川俊太郎さんの代表作。

          生きる

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと